6・こんなものじゃないですよ? まだまだ地獄が待っています
引き続き、元の世界での話です。
会社の先輩達に指摘されてもなお、真来は自分の非を認めず、悪あがきをするように反論を試みる。
「で、でも。アリサのおかげで美亜は可愛い子ども達と関われてたんだから、喜ぶべきでしょう?」
「…………いや、じゃあ上岸も、可愛い子ども達と関われたことを喜んで育児すればいいじゃん。他人にばっかり押しつけてないで」
周囲の人達は既に、真来を完全に「やばい奴」として認識していた。
「最初は善意でやってたことだって、それが当たり前みたいになって、雑に扱われるようになったら嫌になるよ。そりゃ美亜さん、逃げ出したくもなるね」
「っていうか、逃げられてよかったよね。追いかけようとか、考えない方がいいと思う」
「いやでも、美亜がいないと、家事とか滞って、子ども達がかわいそうだし……」
「何それ。美亜さんには美亜さんの人生があるんだよ」
「『かわいそう』なんて言うだけなら、誰にだってできるよ。そんなこと言っていい人ぶるなら、自分でやりなって」
皆からそう言われ、真来はさすがに口を閉じるしかなくなった。
(いやいや、なんで俺の方が悪いみたいになってるんだよ。家族を置いて勝手に消えた美亜が悪いのに)
苛立ちを覚えながらも、美亜がいなくなった後の家の惨状を思い出し、真来の胸に靄のようなものがひろがってゆく。
家の中が荒れ放題で、子ども達が泣いていても、アリサはゴロゴロしてばかりだ。それを責めると「体調が悪いのぉ……」と目を潤ませるが、ゲームをやったり友達と遊びに行ったりすることは余裕でできるみたいだ。
アリサの言う「具合が悪い」は、単に都合の悪いことから逃げるための言い訳なんじゃないだろうか。そう気付いても、体調が悪いと泣く人間に対して何かを強要するのは、こっちが極悪人みたいで、すごく嫌な気分なのだ。
(美亜がいた頃は、今ほど家の中が荒れていなかったよな。あいつはちゃんと料理だってして、子ども達の世話もしてたし……)
美亜が消える前、彼女はいつも疲れた顔をしていて、真来はそれを、「情けない」「アリサはいつも綺麗なのに」と思っていた。
だけど美亜がいなくなった今だからこそ、思う。三人もの子どもを育てていたら、自分の身なりを整えている時間なんてなくて当然だ。子ども達の相手をするだけでも大変なのに、美亜はいつも両親の世話もやっていたのだ……
(もしかして美亜って、すごい女だったのか……?)
美亜が消える前、最後に言った言葉が、真来の脳裏に過る。
――『……許さないから――』
まるで、遺言のように。泣きそうな顔でこちらを睨んで、消えてしまった美亜。
女なんだから家事も育児も黙ってやるのが当然だと思っていたが、本当は彼女だって辛かったはずだし、逃げ出したくなる日だって、何度もあったはずだ。
(美亜、お前まさか……死んだんじゃ、ないよな?)
最初は美亜が消えたことを、何かの嫌がらせだろう、どうせすぐ帰ってくるだろうと思っていたのだが――
彼女の死の可能性を考えたら、途端に焦りが込み上げてきた。
(……今まで文句なんか言わなかった美亜が、あんな目で俺を見るなんて)
彼女が消える直前の、責めるようで、それでいて傷ついた視線が、今になって頭から離れなくなる。
美亜は何もかもやってくれて、自分の全てを受け入れてくれて当然だと、今まで彼女の存在は甘えすぎていたのだ。……「美亜なら何をやっても自分から離れていくことはないだろう」と舐めていた、ということでもある。
そうして、真来が後悔し始めていた頃――
アリサもまた、美亜が消えたことで、今までの生活が崩壊したことを嘆いていた。
◇ ◇ ◇
●アリサside
(ああもう、家中汚いし、子ども達は毎日うるさいし、最悪……! お姉ちゃんさえいたら、家事も育児も全部押し付けられるのに!)
今までアリサは、自分は何もせず寝転がって、美亜を責めていればそれだけでよかった。瞳を潤ませて被害者ぶれば、真来だっていつも味方になってくれた。ただただ責任から逃れ、周囲に甘やかされ、傍若無人に生きることができていた。
だけどその生活は、美亜がいたからこそ――美亜の犠牲の上に成り立っていたものだ。
なのにアリサは、美亜が何をしても自分に逆らわないのをいいことに、好き勝手し放題だった。美亜がアリサの我儘をきいていたのは、アリサが子どもを盾にするからであって――子ども達のために、あえて「我儘をきいてくれていた」だけなのに。
けれどアリサは美亜の優しさに甘えてどこまでも調子に乗り、しまいには美亜の彼氏さえ奪って、彼女の反応を面白がっていた。自分の方が「上」だと示してやることが、快感だったから。そんな幼稚な考えで、自分を救ってくれる美亜を、自分で追いつめていた。
(真来も子どもの面倒見るの嫌みたいだし、これからどうしよう。仕事と家事と育児、全部押し付けられる男、いないかなー)
アリサは「分担」ではなく、全部相手に「押し付ける」のを前提にして考えている。美亜に対しても、ずっとそうだったように。
アプリでカモになりそうな男でも探すか、とアリサがスマホを手にした、その瞬間。彼女のスマホに、電話がかかってきた。表示されている名前を見て面倒くさそうに舌打ちをしながらも、電話に出る。
「もしもし」
「ああ、アリサ、やっと出たな! なあ、子ども達は元気なのか!?」
電話の相手は、アリサの離婚した元夫だ。
彼は、結婚前は心優しい女を演じていたアリサに騙されて結婚したものの。結婚後、アリサは家事も仕事も育児もせず浪費ばかりしていた。それを注意すると、「私だって頑張ってるのに……! 酷い!」と泣きわめいて、周囲にあることないこと言いふらし、徹底的に夫を悪者にして追いつめた。
元夫は、アリサのあまりに泣きっぷりに、自分が悪いのかと罪悪感を煽られ、最初はうまくやっていこうと努力した。しかし次第にエスカレートするアリサの傲慢さにどんどん精神を削り取られ、離婚してくれと頼み込んだ。
アリサは養育費目当てで、「子どもをこっちに寄越すなら離婚してやってもいい。育児ならお姉ちゃんにやらせればいいし」との条件を突きつけていた。アリサとの結婚生活に疲弊しきって、精神的にも限界だった夫はその条件を呑んでしまった。しかし時間が経つと冷静になり、「アリサのもとにいて、子ども達は本当に大丈夫なのか?」「アリサのお姉さんだって絶対に大変だろう」と不安が募り、子ども達を引き取りたがるようになったのだ。
「なあ、アリサ。君は子ども達に愛情なんてないんだろう。やっぱり、子ども達は僕が引き取るべきだと思うんだが」
「はあ? 今更何勝手なこと言ってるのよ」
(そりゃ、子どもの面倒見なくてすむようになるなら、楽だけど。……でも子どもがいないと、老後に私の面倒見てくれる人がいなくなっちゃうし)
アリサにとって子どもとは、金ヅルであり、将来の自分の世話係だ。子どもを引き取ったのもそれが理由であり、自分の子どもだというのに、愛情は皆無である。
元夫の言葉を一蹴してやろうと思ったものの、三人の子ども達がまた泣き出して、アリサはその声を聞いているだけで頭痛がしてきそうだ。
(ああ、もう! お姉ちゃんが子どもの面倒を見ててくれるなら、それが一番よかったのに。本当に、どこ行っちゃったの? なんで私が、こんな思いしなきゃいけないのよ……!)
美亜がいなくなったことにより、真来とアリサの平穏な日々は崩れ去り――
二人にはこの先、更なる転落が待っているのだった。
次回からまたミアの話を書きつつ、今後も元彼へと妹へのざまぁは展開していきます!