59・甘い時間を過ごします
バルコニーに他の人の姿はなくて、ヴォルドレッドと二人きりになった。
夜空に浮かぶ美しい星々の下で、彼と微笑みを交わす。
「ふふ、舞踏会、いいわね。もともとはメイちゃんを元の世界に帰還させるため、この国へ来たわけだけど……なんだかんだいって満喫してしまっているわね」
自分には似合わないと思っていた舞踏会だけど、勇気を出して一歩踏み出してみて、よかった。こんなに楽しい時間を過ごせるなんて予想以上で、胸の中が煌めきで満たされているみたいだ。
「ミア様が楽しいのでしたら、何よりです」
「メイちゃんも、楽しんでくれているみたいでよかった。やっぱり私達にとって、『異世界の舞踏会』ってテンションが上がるイベントなのよね。ネット小説を読み漁っていた頃を思い出すわ」
「……ミア様は、彼女とよく『ネット小説』や『アニメ』など、元の世界での話を楽しんでいますね」
「まあ、なんだかんだいって懐かしいからね。そういう話をできる人は、他にいないし」
元の世界にいた頃、私の家庭環境は最悪だったけど。それでも美味しい日本の食事や、面白い漫画やアニメはやはりいいものだ。こっちの世界でももっと和食を広めたり、娯楽作品を作ったりしてみたい。フェンゼルに戻ったら、いろいろ事業を起こすのもいいかも。好きなものがたくさんあったほうが、私もこの世界での暮らしがもっと楽しくなるし。
そんな想像を膨らませていると――ふとヴォルドレッドに、距離を詰められる。
「――ミア様は」
気が付けば、壁際に追いやられていた。顔の横に手をつかれる。
まるで壁ドンのような体制だ。ドンなんて大きな音は立てられていないけれど、静かに顔を寄せられる。
「帰還の方法が見つかったら……元の世界に、戻りたいのですか」
「え……」
紫水晶のような瞳が、私を見つめている。
その瞳の中には、焦燥が揺れているようだった。
「あの娘が元の世界に帰還することを選んだら……ミア様も、一緒に戻りたいのではありませんか。あなたが生まれ育った世界へ」
距離が近い。少し動いたら、鼻先が触れてしまいそうだ。間近で見つめられると、その瞳の中に吸い込まれてしまいそうな錯覚に陥る。
「私は、ミア様が行く場所なら、どこへでもお供いたします。それが異世界であっても、です。……ですがワンドレアは、ミア様の世界に行けるのは、二人が限界だと言っていました。ミア様とあの娘が元の世界に戻るのであれば、私は――共に行くことは、叶わない」
そういえば、ワンドレアはそんなふうに言っていた。私にとっては、メイちゃんさえ元の世界に戻れればいいから、わりと聞き流していた部分だったけれど。もしかしてヴォルドレッドにとっては……不安の種となっていたのだろうか。
「自分の意思を無視して、見知らぬ場所に攫われる苦しみは理解できます。元の世界に戻ることこそが、ミア様の幸せなのかもしれません。……ですが。それがあなたの幸せだというのであれば、私はいっそ、壊してしまいたくなる」
壊してしまいたくなる――そんな言葉と裏腹に、ひどく脆いものを抱くように、彼の腕に閉じ込められる。静かなのに激しい熱を宿した声が、鼓膜と共に私の心を揺らす。
「あなたを、どこへも行かせたくない。誰の目にも留まらず、誰にも触れられぬようにしてやりたい。あなたが私から離れられないよう……永遠に、閉じ込めてしまいたい」
情熱的で偏執的な愛の言葉は、私が許可すれば本当に私を、彼だけの檻にでも閉じ込めそうな空気を醸している。
彼が、私を愛してくれていることは知っていた。だけど私は、その想いを甘く見ていたのかもしれない。ヴォルドレッドは本当に、私を鎖で縛り、鍵でもかけてしまいたいのかもしれない。彼の想いは重く、一歩間違えれば私以外の何もかもを傷つけかけない危険さを秘めている。そう思うのに――
(それほどの想いを向けてくれることが……嬉しい)
心臓が高鳴ると同時に、ぞくりと熱いものが内側から這い上がる。今まで知らなかった感情が花開くように。
私は、愛されることに弱い。元の世界で愛に飢えていたからこそ、どんな形であれ、情を向けてもらえると歓喜に震えてしまう。
(だから、私も……ちゃんと伝えないと)
「ヴォルドレッド。私は、元の世界には帰らないわ。私が宝玉を手に入れたいのは、あくまでもメイちゃんに『帰ることもできる』という選択肢をあげたいから」
そもそもあの子が、元の世界に戻るか、この世界に留まるか、どちらを選ぶのかはまだわからない。
ただ、「帰れない」と「帰らない」では全然違う。だから、不当に元の世界での生活を奪われてしまったあの子に、自分の未来を選ばせてあげたいのだ。
だけど、私は――
選択肢なんてなくても、既に選んで、決めている。
「私は……元の世界に戻る手段が見つかったとしても、帰らないわ」
もとは、望まずに来てしまった世界。だけど、今は違う。
「私はどこにも行かない。――だってこの世界には、あなたがいるもの」
ヴォルドレッドの瞳が、大きく見開かれた。
普段他の人には淡々としているのに、私の言葉の一言一言には反応を見せる彼のことが……愛しい。
もし私がメイちゃんの親だったら、共に元の世界に戻る選択をしただろう。ただ、それなら何らかの方法を探して、なんとしてでもヴォルドレッドも一緒に連れていった。
もしメイちゃんが、元の世界に家族や、頼れる人がいないのであれば。彼女が元の世界を懐かしんでいないのであれば。ずっとこの世界にいてほしいと言っただろう。ここは彼女にとって特異な世界で、魔の手もあるだろうけど、なんとしてでも私が彼女を守った。
だけど、そのどちらでもない。あの子には、元の世界に大事な家族がいる。
私はメイちゃんのことが大切だ。そして信頼してもいる。芯が強くて、まっすぐな子。これからどんどん、素敵な大人になっていく子。あの子なら、大丈夫。自分の歩む道を決めたら、その先できっと笑っていられるはずだ。
あの子が自分の世界と未来を、自分で選択できるように。
私も、自分の未来は自分で決める。
「ヴォルドレッド。あなたがいる世界が、私の生きる世界よ」
私を抱く腕に、いっそう力が込められた。
強い力。なのに、私を壊さないよう包み込むような力。激しい執着を感じるのに、押し潰されてしまいそうにはならない。――潰されてしまっても、あなたになら、構わないけれど。
「私もです、ミア様。……私はもう、あなたがいない世界では、生きてゆけません」
「……ええ。私も」
広い背に腕を回し、私からも彼を抱きしめる。
夜空の下でこうして抱き合っていると、フェンゼルの前国王を捕らえたときのことを思い出す。
(……あのときヴォルドレッドは、初めて人を殺めそうになって震えていた私のもとへ、来てくれた。綺麗ごとなんかじゃない言葉で、私を止めてくれた。……嬉しかった)
あのときは、自分の気持ちが恋なのかそうでないのか、わかっていなかった。
だけど、この気持ちの名前はやっぱり――
「ミア様、愛しています。あなただけを、永遠に……」
◇ ◇ ◇
やがて舞踏会は終わり、私とメイちゃん、ヴォルドレッドは会場を出て、普段暮らしている王宮の一角まで戻って来た。
メイちゃんが「お姉ちゃん、おやすみなさい」と笑顔で部屋に入り、それを見届けて、私は自分の部屋に向かう。ヴォルドレッドが扉の前まで送ってくれた。
「ミア様。……本日は、ありがとうございました」
「こちらこそ。……素敵な時間を過ごせて、嬉しかったわ」
「私もです。それでは……おやすみなさいませ」
ぱたん、と扉を閉めた瞬間――
「…………」
私は、ずるずるとドアの前に崩れ落ちた。
(うわああああああああ、何、さっきの)
バルコニーで抱きしめ合ったときのことが、彼の囁きや温もりが、頭から離れない。思い出して、今になって心臓がバクバクする。
さっきは彼の気持ちが嬉しくて、まるで甘く酔うみたいに、抱きしめ返したりできたけど。
今になって冷静に思い返すと、なんだか無性に恥ずかしい……!
(い、いや。ヴォルドレッドの気持ちが聞けたし、彼の不安が解消されたなら、いいんだけど。いいんだけど……っ)
あんなふうにお互いの気持ちを打ち明けて、熱く抱きしめ合ってなお、私の中には、一つだけ後悔があった。
(また、私から『好き』って伝えられなかった……!)
どうしても、その言葉を言おうとすると、あと一歩のところで止まってしまう。顔がすごく熱くて、鼓動がどこまでも高鳴って、自分が自分じゃないみたいで。言葉が喉を抜けなくなってしまうのだ。……私の馬鹿。
(ま、まあ、私はずっとヴォルドレッドの傍にいる、ってことは伝えられたし。これは一歩前進と言ってもいいのでは? ……うん、焦る必要はないわよね? そ、そのうち、ちゃんと伝えるわ……!)
ぐっと拳を握りしめつつも――やはり、さっきの出来事を思い出すと、頭からぼふっと湯気が出そうになってしまう。
……今夜はなかなか、眠りにつくことができなさそうだ。
読んでくださってありがとうございます!
次回はピピフィーナが、以前手に入れたメイの髪の毛を使って何かするようです!
ですが聖女の力は呪いを跳ね返せますのでご安心ください!