55・今この時間を大事にします
(メイちゃん……)
ずっと行方不明だった実の母親のことを知って、ショックではあるだろうに、彼女は気丈にピピフィーナに対峙している。
一方ピピフィーナは、何故怒られているのかわかっていないようで、きょとんとしていた。
「ふえぇ。ピピ、メイちゃんのために言っただけだったの! 怒っちゃやだよぉ~」
どれだけ言葉を尽くしても、彼女には何も響かない。メイちゃんは呆れ果てた様子でピピフィーナから顔を背け、私の方を向いた。
「もういい、行こう、お姉ちゃん。この人といつまでも一緒にいたくないよ」
「そうね、行きましょう」
ピピフィーナは反省をしない。「自分は間違っていない」という意識が根底にあるからだ。
こういう人に対して、「根は悪い人じゃないから」みたいに言う人もいる。だけど、悪意がなかったら、なんでも許されるのだろうか。……私は、違うと思う。だってそれが許されるのなら、無邪気に傷つけられた人間の心は、どうすればいいというのか。
だから私は、一度だけ彼女に振り返って言った。
「ピピフィーナ。別に私だって人に上から物を言えるような、できた人間じゃない。無自覚に他者を傷つけてしまうこと自体は、多かれ少なかれ、誰だってあることだわ。……それでも私は、自分と、自分の大切な人を傷つける人間のことを、許すつもりはないから。あなたがこのまま自分を省みず、似たようなことを繰り返すなら――この先はもう、容赦するつもりはないわ」
これは忠告ではない、警告だ。
ここまで言ってなお、また私達に何かしてくるようなら、そのときはもう知ったことじゃない。今が、ピピフィーナの分岐点だ。ここで自分の発言や行いを見直せないようであれば、いずれ彼女は破滅するだろうし、そのときどれだけ後悔したって遅い。
「ふえぇ? ミアちゃんはまた、よくわかんないこと言ってピピを困らせるぅ。そういう女の子って、可愛くないよぉ?」
「あなたに可愛いと思われたいわけじゃないから、どうだっていいわよ」
ピピフィーナは目をうるうるさせていたけれど、私は構わず彼女に背を向けた。
◇ ◇ ◇
ピピフィーナと別れ、王宮へと戻る帰り道。
さっきピピフィーナが、アリサのことをバラしてしまったこともあり、私は微妙に気まずさを抱えていた。今まで隠していた件について、謝ろうとしたところで――
「お姉ちゃん、ありがとう」
「え?」
メイちゃんからそう言われ、思わず瞬きをする。
「さっきも言ったけど、お母さんのこと……私のために、隠しててくれたんでしょう? だから、ありがとう。……お姉ちゃんは謝ったりしないでね。悪いのは私のお母さんなんだから」
「……私の方こそ、そんなふうに言ってくれて、ありがとう。少し、ほっとしたわ」
だけど、一応聞いておこうと思い、続けて口を開く。
「ねえ、メイちゃん。あなた、お母さんに……アリサに会いたい?」
「え? 絶対会いたくない!」
きっぱりとした即答だ。清々しい。
「だってアリサさんって人のことに関して、全然いい記憶がないもん。うっすら覚えてるだけでも、いつも私のこと邪魔扱いしてた人ってイメージ」
「まあ、そうね。聞いておいてなんだけど、私も、会わない方がいいと思うわ」
「うん。……私にとっては、血の繋がりよりも、私と一緒にいてくれたとか、私のことを大事にしてくれたとか、そういう人の方が大事なの。――お姉ちゃんみたいにね」
「メイちゃん……」
メイちゃんはにこにこと微笑んでいて……だけどふと、真剣な目をした。
「ねえ、お姉ちゃん。少しだけ、昔の話をしてもいい?」
「もちろん」
月明りが照らす夜の道で、彼女は私を見つめたまま、ぽつぽつと語り出す。
「お姉ちゃんが消えたときのことなんだけどね。私はまだ小さかったとはいえ、あまりに鮮烈な光景だから、よく覚えてたんだ。だって本当に、すうっと消えちゃったから……」
「まあ、人間が突然消えたら、驚くわよね……」
「ただ、大きくなるにつれて、人がいきなり消えるなんてありえないし、見間違いだったのかもしれないしと思って……。お姉ちゃんは今、どこでどうしているんだろうって、気になってた」
私にとっては、まだこの世界に来てから数ヶ月だから、あまり実感が湧かないけれど。異世界ゆえの時間の歪みなのか、私達の間で流れた時間は大きく違う。
十三年。私が消えてから、メイちゃんにとっては、それだけの時間が流れたのだ。
「どこにいてもいいけど、幸せでいてほしくて。だからやっぱり、私は……お姉ちゃんは異世界で暮らしてるって、信じることにしたんだ」
私がいなくなってからの、元の世界でのこと。
メイちゃんが話題に出さないことから考えても、きっと私の両親も、私のことを心配していないし、もう忘れているのだろう。それ以外の人達だって、私が消えても、変わらない日常を送っているはずだ。私一人いなくなっても、元の世界は、問題なく回っていく。
――だけど。彼女は私のことを、覚えていてくれた。
「だから、もともと好きだったけど、異世界ものの作品がもっと大好きになった。小説やアニメっていう、没頭できる趣味が見つかって楽しかったし、同じ作品を好きな人と友達になれた。……お母さんに愛されなかったことで、自分と他の人を比べて落ち込む日が、なかったわけじゃない。それでも、寂しいときにはお姉ちゃんのことを思い出してた。……今の私があるのは、小さい頃、お姉ちゃんが一緒にいてくれたからなんだ」
時折思う。「聖女の力」がなかったら、この世界でも私は、砂粒のような存在でしかない。
だけど、砂粒のような私でも、こうして大事に思ってくれる人はいる。
「だから、お姉ちゃん。私、やっぱりお姉ちゃんのこと、大好きだよ」
昔、私は自分の家にいても、家族から蔑ろにされて、自分は何をしているのだろうと毎日思っていた。自分の時間を削り、家族のために身を粉にして、感謝されることもなかった。
だけど今、十三年の時を越えて、メイちゃんは私に笑顔を届けてくれた。
過去の孤独と虚無が、温かく埋まっていくみたいだ。
「……私も。あなたのことが、大好きよ」
メイちゃんに「お姉ちゃん」と呼ばれるたび、胸がぎゅっと締め付けられる。
アリサじゃなく、メイちゃんが本当に、私の妹ならよかったのに。そうしたらきっと、私達はあの両親のもとでも、支え合って幸せになれたかもしれない。
――もし、魔竜を倒して宝玉が手に入り、メイちゃんが元の世界に戻ることができたら。
メイちゃんとは、もう会えなくなってしまう。
寂しい、と思う。だけど、彼女に元の世界を捨ててほしいわけじゃない。
それにこの世界にいるかぎり、メイちゃんは「聖女の姪」として、ブレードル達みたいな奴らに狙われたり、「偽聖女の娘」としていらぬ中傷を受けたりすることにもなりかねない。アリサや真来の魔の手だってある。
大切な子だからこそ、もう誰にも傷つけられない場所で幸せになってほしい。
(いつか、別れは訪れるのだと思う。だからこそ、今を大切にしたい)
再会できたこと自体が奇跡なのだ。ならその奇跡に感謝して、笑顔を積み重ねていく。
この世界にいた記憶が、この子にとって、少しでも愛しいものになるように。
「さ、もう遅いし、早く王宮に帰りましょうか。今日は疲れたし、何か甘い物とか欲しいわよね。せっかくだし厨房を借りて、昔日本で作ってたお菓子でも作りましょうか?」
「わ、それ最高! お姉ちゃんのお菓子、食べたい~!」
私達を軽んじる奴らのことはとっとと忘れ、大切な人達と、楽しい時間を過ごすことにした――