39・何故だか取り合われています
――これは、メイちゃんにとっては十年以上前のことで、私にとっては少し前のこと。
私の家で、まだ幼かったメイちゃんが泣いていて。私はメイちゃんを抱っこして泣き止ませようとし、そんなメイちゃんを、実の母親であるアリサが鬱陶しそうな目で見ていた。
「ったく。ぎゃんぎゃん泣いて、うっさいわねぇ」
「ちょっと、アリサ。そんな言い方はないでしょ……っ。子どもなんだから、泣くのは当たり前だよ」
「うるさいからうるさいって言ってるだけでしょ。これだから子どもは嫌なのよ。は~あ、早く大きくなって、私の面倒見てくれないかなあ」
「な……信じられない、最低……っ」
「はあ!? 私のどこが最低なのよ、お姉ちゃん、酷い!」
「アリサ。メイちゃんの前で、大きい声出さないで」
「何それ、私が悪いみたいじゃない! お姉ちゃんが意地悪言ったからなのに!」
(……駄目だ。いつものことながら、話にならない……)
これ以上メイちゃんに汚い言葉を聞かせたくなくて、私はメイちゃんを抱っこしたまま外に出た。
向かった先は、近所の公園だ。
桜の花が咲いていて、花びらがはらはらと舞って、とても綺麗で……嫌な気持ちを洗い流してくれる気がした。
「メイちゃん、怖かったよね。もう大丈夫、大丈夫だよ」
私は、メイちゃんの母親じゃない。誰かの母親になったことはない。……だけど、親から愛されないという気持ちなら、よくわかる。
私がアリサの子ども達の世話をするのは、アリサに育児を任せておいたら子ども達の命が危ういから、というのもあったけれど――
どこかで、子ども達に自分を重ねていたのかもしれない。
自分が親から冷遇されてきたからこそ、子ども達を、自分と同じ目に遭わせたくなかった。
子ども達のことを、可愛いと思っていた。それは本当だ。でも……。
(う……昨夜もあんまり寝られなかったから、眠い……)
仕事に家事に育児に、毎日休む暇もなくて、すごく疲れていて。時折ふと、一人になりたい、と思ってしまうときもあって。そんなことを考えてしまう自分が嫌だった。
決してメイちゃんが憎かったわけじゃない、ただ自分のための、休む時間が欲しかったのだ。誰かに力を貸してほしかったのに、誰も助けてくれない。実の両親も、恋人の真来も、「子どもがかわいそうだろ、しっかりしろよ」と言うだけだったし。本来、育児をするべきなのは、私じゃなくてアリサなのに――
「おねえ、ちゃん?」
はっと、我に返る。腕の中のメイちゃんが、じっと私を見ていた。
「なんでもないよ、大丈夫……大丈夫だからね。……大好きだよ」
「だいす、き」
「うん。私は、メイちゃんのことが、大好き」
「……メイも」
ふわり、と。メイちゃんは、青空の下で、満開の花ような笑顔を見せてくれて――
「おねえちゃん、だいすき!」
◇ ◇ ◇
(あんなに小さかったメイちゃんが、こうして大きくなった姿が見られるなんて……。なんだか、まだ信じられないわ)
しかし、どうやら夢ではなく現実らしいので、リレートの森を浄化した私達は、転移魔法陣で王都へ戻り、フェンゼル王宮に戻ってきた。浄化の件と、それからメイちゃんのことを、リースゼルグに報告する。
「なんと。異世界からやってきた、ミア様の姪っ子とは……」
「メイと申します。よろしくお願いいたします」
メイちゃんがそう言って頭を下げると、リースゼルグは穏やかな笑みを浮かべた。
「私はこの国の王ですが、今の私があるのは、全てミア様のおかげです。そのミア様のご親戚ということであれば、私にとっても尊い存在です。メイ様、どうか気を張ることなく、楽に過ごしてください。この王宮で自由に過ごしてくださって構いませんし、必要なものがあればなんでも揃えましょう。メイ様のための部屋も、ミア様の部屋の近くにご用意いたします」
「ありがとうございます。こんな綺麗な王宮で、お姉ちゃんと一緒に過ごせるなんて、夢みたいです」
メイちゃんは朗らかにそう言って、再び頭を下げるけれど――
「……ちなみに、なんですけど。これってやっぱり、帰還の方法がないタイプの異世界転移ですか?」
なるべく空気を暗くしないように言ってくれたみたいだけど、メイちゃんの声色からは、若干の不安が読み取れた。もう、「帰れないのだろう」と薄々予想はついているようだ。
「……うん。帰還の方法は、少なくとも、私は知らない」
「そっか。お姉ちゃんに会えて嬉しいけど……お父さんや弟達にはもう、会えないんだね」
「メイちゃん……」
――私がこの世界に来たときは、絶望のどん底で。戻りたいという気持ちもあまりなかった。
でも、メイちゃんは違うだろう。父親はまともな人だったはずだし、弟達や友達だっていたはずだ。もう二度と会えないと言われるのは、かなり辛いはず。
どんな言葉をかければいいのだろう。大切な人と二度と会えない、なんて現実の前に、どんな言葉も意味を持たない気がする。だけどメイちゃんは、またすぐ笑顔になって――
「まあいっか! せっかくの異世界転移だし、こっちの世界を満喫します!」
「ポジティブ!」
なんという清々しさ。メイちゃんは笑顔のまま、ぐっと握りこぶしを掲げる。
「大丈夫。これまで数多の異世界転移主人公達が通って来た道なんだと思えば、これもまた一興。王宮とか魔法とかワクワクするし、こっちの世界も楽しそう!」
オタクって強い。ネット小説とか全然読まない人が転移してきたら、もっと大混乱なんだろうなあ。
「メイ様。あなたが何故この世界に来てしまったのか、元の世界に戻るための方法はあるのか。私の方でも調査してみますので、しばしお時間をください。そしておっしゃる通り、こちらの世界にもきっと、メイ様にとって興味深いものはたくさんあります。どうぞ、楽しい時間をお過ごしください」
「ありがとうございます、陛下」
そうして、メイちゃんは私と同じようにフェンゼル王宮で暮らすこととなり――
◇ ◇ ◇
「お姉ちゃん。今日は天気がいいから、一緒にお散歩しない?」
「いいわね、行きましょう」
私は日々、メイちゃんと二人でいろいろなことを楽しんでいた。
聖女として活動する中で、私はこの国にも顔見知りが増えてきたけれど、やっぱり元の日本を知っている人相手だと心が落ち着く。
「この王宮の庭園って、すごく綺麗だよね」
「そうね。今日みたいによく晴れている日だと、特に気持ちいいわ」
「ふふ。お姉ちゃんとこうして毎日一緒にいられるの、嬉しいな」
「ええ……私も」
――アリサの子どもを育てるために自分の時間を費やして、真来に婚約破棄を突き付けられたとき。私は、今まで何をやっていたんだろうと虚無感に襲われた。
だけど、私のしてきたことは、無意味なんかじゃなかった。こうして目の前でメイちゃんが笑っていてくれて、そう思う。
慕ってくれることも嬉しいけれど、それ以上に……この子が元気でいてくれたことが、とても嬉しい。
「にしても……私がメイちゃんと一緒にいたのは、メイちゃんがすごく小さい頃だったのに。よく、私のことなんて覚えていたわね」
「あんまり小さい頃のことは、ちゃんとは覚えてないかな。だけど子どもの頃、お母さんの代わりにお姉ちゃんが一緒にいてくれたってことは、うっすら覚えてるし……。それに、写真があったから」
「写真?」
「お姉ちゃんと一緒に、桜の下で撮った写真」
「ああ! そういえば、あの日も、こんなふうにいい天気だったっけ……」
あれは、アリサがまだ離婚する前。第二子を妊娠したアリサは、出産準備のため実家に帰ってきていた。それで、アリサとメイちゃんの世話は私がすることになっていて。ある天気がいい日、私はメイちゃんを連れて公園に行ったのだ。
するとそこで偶然、私の同級生の子と会った。その子は自分の子どもを連れていて、子どもの写真を撮るために買ったのだという、いいカメラを持っていて。私とメイちゃんの写真も撮ってくれたのだ。その子に貰った写真を、私は「メイちゃんが写ってるから」と、アリサに渡していた。
写真を撮ってくれた同級生の子とは、その後も何度か公園で会ったものの……相手は旦那さんとラブラブで自分の子どもがいて、私は未婚で妹の子どもを育てている身。その子は優しい子だったけれど、だからこそ私に対していろいろ気を遣うところがあったようで、次第に気まずくなり、疎遠になってしまった。まあ、向こうだって遠慮なく旦那さんや子どもの話をしたいだろうし、複雑な境遇の私に関わりたくないという気持ちは仕方ないのだろう。写真を撮って渡してくれただけでも、いい子だったと思う。
「昔のことはあまり覚えていなくても、その写真を見るたび、なんだか懐かしい気持ちになったんだ。小さい頃、いつも私の傍にいて、頭を撫でてくれたり、絵本を読み聞かせてくれたりした、優しい人がいたって」
語りながら、メイちゃんは柔らかく目を細めて微笑む。
「私、お母さんっていなかったし、長女だから上に誰もいなかったし……。お父さんやおばあちゃんは優しくて感謝してるけど、それでも美亜お姉ちゃんは、私にとって特別な存在だったんだ」
「……ありがとう。そんなふうに言ってもらえて、くすぐったいけど、すごく嬉しいわ」
「あ~もう、やっぱりお姉ちゃん大好き!」
「わっ……ふふ」
メイちゃんが、私に抱きついてくる。
そんなふうに、ほわほわと癒しムードに浸っていると――
「ミア様」
「ん? ああ、ヴォルドレッド」
いつの間にか彼がやって来ていて、声をかけられた。
「お二人分の、お茶の準備ができました」
「ありがとう、ヴォルドレッド」
「いえ。ミア様に喜んでいただくことが、私の生きる意味ですから。……それにしても、お二人は本当に、仲がよろしいですね」
「ふふ。私のだーい好きなお姉ちゃんですから」
メイちゃんはぎゅっと、いっそう私に抱きついてくる。すると、ヴォルドレッドは優美な微笑みを浮かべて――
「そうですか。もっとも、ミア様を愛する想いでしたら、私も誰にも負けるつもりはありませんが」
ごふっと、飲み物も飲んでいないのに噴き出しそうになってしまった。
……現在、私と彼の関係は微妙なところだ。
私はヴォルドレッドに「愛しています」と言われたし、私も彼のことを大切な人だと想っている。ただ、「恋人」かというと、まだそうじゃない。大事なことだからこそ、適当にせず、よく考えたいと思っているからだ。
正直に言って、私もヴォルドレッドも、あまり健全な精神の持ち主ではないという自覚はある。しかもお互い、なまじ他害できる能力を持っているため、一歩間違えたら簡単に依存関係になるし、自分達以外の他者を排除しかねないことになるし、ストッパーになってくれる人もいない。――彼との関係を壊したくないし、長続きさせたいと思っているからこそ、今、感情のまま突っ走るのは危険だと考えている。
とはいえ、それはそれとして今のヴォルドレッドは独占欲全開でメイちゃんに「ミア様は私の愛する人」オーラを出している。メイちゃんもそれは察したようだが、対抗するように笑顔を浮かべていた。
「ああ、やっぱりお二人はそういう関係なんですね。まあでも、それと姪は別枠ですから。私もお姉ちゃんだーい好きなので……譲りませんよ? ふふ」
再びごふぅと噴き出しそうになってしまった。いやいや、なんで私を取り合うみたいな構図になってるんだ。ここは別に乙女ゲー世界とかじゃないだろう(乙女ゲー世界でも、姪っ子キャラはそうそういないけど)。
「私の方がミア様を愛していますよ」
「私だって、お姉ちゃんが大好きです」
「言っておきますが、私のミア様への想いは、生半可なものではありません。ミア様は、私の救いの光なのです」
「私だってお姉ちゃんに救われましたよ? 何せ私、生まれてからしばらく、お姉ちゃんに育ててもらっていたんですから。お姉ちゃんがいなかったら、今、生きていたかもわかりません」
「それは私も同じです。私はミア様がいなければ、旧フェンゼル王家によっていずれ殺されていたでしょう。私にとってミア様と出会えたことは奇跡であり、ミア様は私にとって何より大切な……」
「いやいやいや! 二人とも、恥ずかしいからやめて!」
嬉しいような、くすぐったくてムズムズするような。
大切な二人に挟まれて、すごく幸せだけど、少しだけ戸惑っていた――





