33・痛みを全て、差し上げます
私はこの世界の人間じゃない。
本当はこの世界のことも関係ない。
だけどこの男は、ヴォルドレッドを他国から連れ去り、蹂躙し、人の命さえ奪わせた。彼の人生を、壊したのだ。
だから、私は。
――こいつだけは、生かしてはおけない。
「何その攻撃、それで殴っているつもりなの? やっぱりいつも騎士達に戦わせて自分は何もしていないから貧弱なのね、笑えるわ。国王様、よわ~い」
「貴様、よほど殺してほしいようだな……」
「やれるもんならやってみなさいよ。騎士も魔術師も、瘴気のせいで倒れているのよ? あなたはいつも、こいつらに命じて自分は後ろでぼーっとしているだけなんでしょう。あなたみたいな、権力がなければ何もできない無能に、今何ができるの?」
「き、貴様……っ!」
王の顔は、暗い中でもよくわかるほど真っ赤だった。
彼は腰に提げていた剣を抜き、私に向ける。
「喜ぶがいい、この手で直々に処刑してくれる!」
そうして国王は、剣で私を――刺した。
「――かかったわね」
この王に、徹底的に隠してきたことがある。
無論――私の力のことだ。
ずっと他国に滞在していた国王は、伝令魔石でフェンゼルと連絡を取ることもせず、私のことを何も知らなかった。
そして――王都に帰還してからは、王女がいた。
従属の呪いにかかった王女は、完全に私の駒だ。私は王女に、王の帰還前にこう命令していたのだ。
『私の能力について、王には絶対に隠すように。周囲にもそれを徹底させるように』と。
呪いによって、王女は忠実に私の命令に従い、王宮の人間全員に命じた。
『いいですわね、お父様には、偽聖女が傷を移せるということは、絶対に秘密にするんですのよ! 私の命令は絶対ですわ!』
『か、かしこまりました。しかし、どうして……? 偽聖女の力は危険なのですから、陛下にお知らせした方が……』
『私には私の考えがあるんですのよ! あなた達が余計なことを考える必要なんてありませんわ! いいから私の命令に従いなさい、愚図ども! でないと処刑ですわ!』
王女は、処刑すると言ったら本当にやる。王宮の人々は、誰よりそれを間近で見てきて、知っている。だから逆らえるわけがない。しかも、王女がわけのわからない無茶苦茶な我儘を言うのは日常茶飯事なので、怪しまれることもない。
そのため王女は、「王に私の力を隠す」ことにおいて、とても役に立ってくれた。本人は最悪の気持ちだろう。だが、王女の自業自得である。今までもそうやって我儘を言い、本当に人々を処刑してきたのだから、その報いだ。王女がまともな人間であったなら、そんな命令、おかしいと怪しまれていただろう。
王宮の人間は王女に逆らえないし、王子すら私の味方だ。念のため王子には王宮に戻ってもらい、騎士団や魔術師団に「あのミアとかいう女はやはり偽聖女だった。魔力を消費しすぎて、もう力を使えないようだ」と言ってもらった。アリサは、王女に呪いをかけた際、気を失わせたまま縛り上げ、捕らえておいた。今はベリルラッド村の納屋に閉じ込めている。王に私の力を知らせる者など、誰もいなくて――
だからこの王は、知らなかったのだ。私が「傷を移せる」と。
ただ単に、少し治癒が行えるだけの偽聖女だと思っていた。
……あとは、ここを襲撃してきた魔術師と騎士達を呪いで眠らせ、それも「瘴気のせい」にして私の力だと思わせずに。直接王と対面し、これでもかというほど挑発してやれば――王は必ず、自分の手で、私を刺すと思っていた。
全て、計算通り。
力について、徹底的に隠してきた甲斐があった。
私の力について知っていたら、私を刺すなんて、できるはずがないのだから。
私はあらかじめ能力向上で自分の防御力を上げ、致命傷でも、即死だけはしないようにしておいたのだ。
――本当は。私はもっと、簡単に王を殺せた。
だって聖女領域に保存されている尋常じゃない量の傷や呪いを、ただ移せばいいだけなのだから。従属の呪いがあるなら、自害を命じてやってもよかった。
じゃあなんで、わざわざこんなことをしたのか、なんて。
それは――私のためだ。
人を殺すことを、自分の中で「当たり前」にしたくなかった。簡単に人を殺してしまっては、私は、駄目になってしまう。
人を殺すなんてことに、慣れてはいけない。
私はこの痛みを、覚えておかなくてはいけない。二度と、こんなことをしたいと思わないように。――二度と、こんなことをしなくていいように。
ただ自分にとって気に入らない人間を殺すなら、この王や、王女と同じになってしまうから。
人を殺すなら、自分もその痛みを味わう覚悟をする。
それが私が、この力を持つ聖女として出した、私のための答え。
我ながら馬鹿だと思う。そのために今、文字通り死ぬほどの激痛を味わっているのだから――
ああ、痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い。死ぬ。死ぬ死ぬ死んでしまう。腹に穴が空いている。血が体外に溢れ出す。身体が絶叫を上げて、全身に苦痛を訴えるみたいだ。なのに――ああ、駄目。ふふ……笑えてきてしまう。痛い。ひどく痛い。ああ、痛い! でもこの痛みを、今からこいつに移せる。こいつがこの信じられないほどの痛みを全部、全部全部味わうことになる。こいつはこの激痛の中で死んでいく。全部こいつが、自分でやったことだ。ざまあみろ。自分の愚かさを思い知るがいい。ふふ、あははっ、笑いが止まらない! 今にも絶命しそうな苦痛の中で、血に塗れながら、私はいつしか哄笑していた。
「これが、あなたが私に負わせた痛み。……くらいなさい、クソ野郎」
聖女の光を放つ。王が私を殴った痛みも、私を刺した傷も。
全てが一瞬にして――王に、移る。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああ!!」
王は夜闇を貫くような絶叫を上げ、私の前に転がる。
「ひ……っ、ぐ……、あっ、あぁ……何っ、何が、起きた……!?」
苦しそうな呼吸を上げ、王は無様に地を這う。その痛みはよくわかる。何せ私が一瞬前まで味わっていたものだ。こいつが今、あの激痛の中でもがき苦しんでいるのだと思うと、胸が震えた。
「ぐ……っ、は、ぁ……」
私は、足元に倒れている、血塗れの王を見下ろす。
間違いなく致命傷だ。私はこいつを治癒できる力があっても、治癒してやる気は毛頭ない。
――あとはもう、この男は、死ぬ。
私の前で、人が死ぬ。
私の力で、人が死ぬ。
……私が、殺した――
「ミア様」
「――!」
私を呼ぶ声がして、振り返る。
「ヴォルドレッド、どうしてここに……」
(このことを、知られたくなかったから。王都の人達の傍にいるように、言っておいたのに)
「申し訳ございません。ご命令には背いてしまいましたが……どうしても、ミア様のお傍にいたかったのです」
彼は、地面に転がって血を流している王を一瞥した後、私を見つめ――
「ミア様。王の治癒をしてください」
予想外の言葉に、私は一瞬目を見開く。
「……どうして」
(この男は、あなたを支配し、蹂躙してきたっていうのに。助けるつもりなの?)
彼の考えがわからず、その瞳を見つめる。
彼も、まっすぐに私を見つめ返してくれた。
「あなたは以前、私があなたの元恋人を殺そうとするのを、止めたでしょう」
真来のことだ。確かに私はヴォルドレッドが彼を殺すのを止めたけれど、それが今一体何の関係が――
「あなたは私を止めたのに、あなたはその男を殺すなんて、ずるいです」
「――は」
復讐はよくないとか、手を汚さないでほしいとか、そんなの残酷だとかじゃなく。ただ「ずるい」と。
こんな状況に似合わない、子どもみたいな言葉に――肩の力が抜けてしまう。
(ああ、でも……)
それはとても、綺麗ごとなんて似合わない、私達らしいと思えた。
だって私達は、「復讐はよくない」「残酷なことはよくない」なんて言えるような人間じゃない。聖女として人々を救っていたって、私は結局アリサのことも真来のことも王女のことも国王のことも大嫌いで、絶対に許せなくて、できるかぎり苦しんでほしくて。聖女なんていうけど、どこまでも「一人の人間」でしかなくて。
そんな私を止める理由が「ずるい」なんて――それも、彼らしくて。こんな状況なのに、思わず笑ってしまった。
「……わかったわよ、もう」
私は王を治癒し、代わりに、動けなくなる呪いを与えた。今、私が殺しはしなくても、決して逃がさないし、正式に罰を受けてもらう。
どこかすっきりしていて……あと、ほっとしている自分がいる。
この男は、生かしてはおけないと思っていた。
だけどやっぱり、自分が殺人者になってしまうのは――怖かった。
(……ヴォルドレッドは、こんなことを、無理矢理やらされていたのにね)
そう思うと、やはり胸が軋む。
悪を許せないのに、自分の手で殺すのは怖いなんて。やっぱり私は、特別でもなんでもない、ただの人間だ。聖女の力があったって、中途半端で未熟な……美亜という、一人の人間。
だけど、そんな私のもとに、ヴォルドレッドは来てくれた。
彼は、私を心から心配するように眉根を寄せている。
「ミア様……何故、このようなことを」
「別にあなたは私が血で汚れたって、私を慕っていてくれるでしょう」
「さすがミア様、私のことをよく理解してくださっています。……しかし、無茶しすぎです。この男は確かに死ぬべきですが、あなたが、この国のためにそこまでする必要はありません」
「国のためじゃない、私のためよ。――こいつはあなたを蹂躙したから、許せなかったの」
そう告げると、ヴォルドレッドは驚いているようだった。
「私のために……?」
「だから、あなたのためじゃないわ。私のためだって言っているでしょう。……私は、私がしたいことしか、しない。やりたくないことなんてやらないの。知っているでしょう?」
「はい、それがあなたです」
「私が、こいつを許せなかったの。あなたを苦しめたこいつに、私の力で制裁を下してやりたかった」
そう。単に捕らえて、他の人の手で処刑してもらうだけでは、意味がないと思っていた。私の手で、痛みを与えてやりたかったのだ。でないと、私の憎悪がおさまらないから。
ヴォルドレッドは、信じられないものを見るように、同時にとても眩しいものを見るように、私を見ている。
「……そんなに……私を、想ってくださっていたのですか?」
――わからない。
でも、彼の過去を聞いて、どうしようもなく腹が立った。
ヴォルドレッドが真来と会ったとき、私に「なぜそのとき傍にいて守れなかったのか」と言ってくれたように。私も、なぜもっと早く、聖女としてヴォルドレッドに会えなかったのだろうと、悔しくて仕方がなかった。国王のことを、絶対許せない、この手で殺してやると思った。
だってヴォルドレッドはずっと、傍にいてくれた。
私が、ありのままに振舞うことで、嬉しそうにしてくれた。
偽聖女だと追放されても、ついてきてくれた。
悪夢を見てうなされた私に、黙って寄り添ってくれた。
いつだって私だけを見て、私だけのことを考えてくれた。
こんな私に、惜しみない愛を与えてくれた。
――うれしかった。
元の世界で捨てられた私にとって、それが、どれだけ救いになったことか。
「――私はまだ、あなたを愛しているとは言えないかもしれないけど」
真来に、アリサと浮気されて婚約破棄され、この世界に召喚されたときは「もうどうにでもなれ」と思っていた私だ。もしかしたら自分を好きになってくれる人なら誰でもよかったのかもしれないし、この気持ちは、単なる依存かもしれない。私はまだ、今まで知らなかったこの感情に、名前をつけられずにいる。だけど――
「それでも、あなたは大切な人だわ。私の騎士、ヴォルドレッド」
「ミア様……」
――気付けば、私達は抱きしめ合っていた。
理由なんてない。なんだかどうしようもなく、そうしたくなったのだ。
彼の体温が温かいと感じて、今まで寒かったのだと気付く。抱きしめてくれる腕は優しくて、とても心地いい。彼は、もっと強く抱いてしまいたいけど、私が痛くないよう、そっと包んでくれているのだとわかった。なんだか無性に目の奥が熱くなって、私はぎゅっと腕に力を入れる。
ついさっき血塗れになったばかりで、今も周囲には騎士達が転がっていて、ムードなんて欠片もない。甘くロマンチックな抱擁とは、程遠いかもしれないけれど。
それでも、夜空に浮かぶ月が、私達を見守るように、淡い光を届けてくれていた――