「幸せと、意味を知ります」(ワンドレア視点)2
まだどこか信じられない気持ちで、面会室に足を踏み入れる。
すると、ずっと会いたかった彼女の姿が目に映った。
健康的な生活を送っているせいなのか、俺が召喚したときよりも艶やかな長い髪。
怒りに満ちているときでなければ、穏やかな瞳。
一見おとなしそうに見えるのに、芯の強さを感じさせる佇まい。
その全てに、目を奪われた。
彼女は絶世の美人というわけではない。むしろ、どちらかといえば容姿は地味な方だと思う。俺も、彼女を召喚したばかりのときは、本人に対してそう言ったし。
なのに、どうしてだろう。彼女が別人になったわけではないのに。
今は彼女が、ひどく眩しく思える。
「ひさしぶり、ワンドレア」
声をかけられたのに、なかなか返事の声が喉を抜けなかった。唇が、言葉の紡ぎ方を忘れてしまったかのように。
「聖女……どうして、ここへ……」
「真来とアリサが脱走を目論んだそうだから、罰を与えにね。せっかくだから、あなたの様子も見にきたの」
「そう、か……」
以前彼女が俺に会いに来たのは、姪を元の世界に戻すための方法を聞くためだった。
彼女は、何か用があるときか、何らかのついででなければ、俺には会いに来ない。……当たり前だ。
だが、再び会えた。それだけでいい。
彼女が、目の前にいる。
それだけで、どうしようもなく、胸が締めつけられる。
(何か、言わなければ。これを逃したら、次いつ会えるかわからない。……もう二度と会えない可能性だってあるのだから……)
小さく震える手で、俺はなんとか彼女に、とあるものを差し出した。
「聖女……」
「ん?」
「これ、俺が、作って……その……君に……」
差し出したのは、一輪の造花だ。
囚人労働の一環として作ったものだ。王子だったときの自分なら、大輪の薔薇の花束でも贈ってやれたのに。今の自分には、このくらいしか差し出せるものがない。
せめて彼女が、受け取ってくれたら。
ヴォルドレッドと暮らす部屋の、片隅でもいい。この花を飾ってくれたら。
枯れないこの花を見るたびに、俺を思い出してくれたら――
「……いや」
俺は、その花を、ぐしゃりと握りつぶした。
「……やはり、こんなの、許されないな」
ここで、自分のことしか考えず彼女に花を押し付けるようであれば。俺は、他者の気持ちなど何も考えていなかった傲慢な自分から、何も変わっていないということだ。
「君は、ヴォルドレッドと結ばれる。俺達王族が、便利な人形のように使い潰してきたヴォルドレッドと」
俺は、従属の呪いを解く力があったにもかかわらず、ヴォルドレッドを放置し続けてきた。
その罪を、決して忘れてはならない。
「優しい君は、俺が祝福の花を渡せば、大事にしてくれるのかもしれない。……だが俺が渡した花を君が大切にするなんて、ヴォルドレッドにとって許せることではないだろう」
彼女に花を渡せば、俺の心は多少救われるかもしれない。
だが、救われては、いけないのだ。
俺は過去に、それだけのことをしてきた。
「やっと俺も、ここまで人の気持ちを想像するということが、できるようになった。君のおかげだ」
「ワンドレア……」
「だが、遅すぎた」
自分の手で潰した造花の花びらが、足もとに落ちている。
散った花は、二度と元には戻らない。
俺がこれまで壊してきた人々の人生が、二度と戻らないように。
「もっと早く君と出会えていたら、俺はもっと、まともな人間になれていたのだろうか。あれほど多くの人々を傷つけずにすむ生き方が、できていただろうか」
今更後悔しても償えない。
彼女と出会ったときには、全てが手遅れだった。
「考えてしまうんだ。俺は、どこから間違えてきたのだろう、と」
どこから、なんて。
……生まれてきたことが、そもそも、間違いだったのだろうか。
なあ、誰か教えてくれ。
俺が生まれてきたことに、一体、なんの意味があったっていうんだ?
◇ ◇ ◇
●ミアSIDE
「考えてしまうんだ。俺は、どこから間違えてきたのだろう、と」
――そう呟いたワンドレアは、「自分が生まれてきたことは間違いだった」と自責しているように見えた。見ているこちらの胸が痛いほどに。
ワンドレアのためなら、私は彼に、許しを与えるべきなのだろう。「あなたはもう十分苦しんだ、もう前に進んでいいんだよ」と――
だけど、それは私には、できない。
だって、彼が人々……そしてヴォルドレッドを虐げてきたことは、紛れもない事実だ。
もしも、長年私を虐げてきた人々……例えばアリサに対して、ヴォルドレッドが「お前を許す」というようなことを言って救ったとしたら、私は、傷つくだろう。
私は、自分がされて嫌なことを、ヴォルドレッドにしたくない。
彼が今ここにいなくたって、私がワンドレアを許すことは、ヴォルドレッドへの裏切りだ。
ワンドレアを許しを与えてあげられる人がいるとしたら、それは私以外の誰かであって。
――私は、私だけは、絶対に彼を許すわけにはいかないのだ。ヴォルドレッドのためにも。
「あなたがどこから間違っていたのか、どうすれば道を踏み外さずすんだのか、私にはわからない。それは、考えたってどうにかなることじゃないわ」
「……ああ。そうだな、その通りだ」
「でも」
私は、ワンドレアの味方になることはできない。
だから、私が告げられるのは。
許しでも、救済でもなくて。
ただの「事実」だけ。
「あなたが私をこの世界に召喚しなければ、私は一生、ヴォルドレッドとは会えなかった」
目の前の青い瞳が、零れ落ちそうなほど見開かれた。
宝石のようなその瞳は、ひどく純粋に見えて……まるで幼い子どものように錯覚してしまう。
「ワンドレア。あなたが、私とヴォルドレッドを、出会わせてくれた」
彼がずっとヴォルドレッドを虐げてきたことが、曲げられない事実であるように。
彼が、私達を出会わせてくれた。それもまた、確かな事実だ。
「あなたが、私をこの世界に召喚した。その結果私は、この世界で幸せになれたの。……召喚された当初こそ、理不尽だと思っていたけど。でもね」
許しも、救いも贈れない。
だけどせめて、今ここにある事実を証明するように、穏やかに微笑んでみせる。
「私、今は幸せよ。この世界に来られて、幸せなの」
◇ ◇ ◇
●ワンドレアSIDE
俺はこの先きっと、何も報われることなく生きて死ぬだろう。
報われる資格など、俺にはないから。そのくらい、大勢の人々を見捨ててきたから。
俺は大勢の人々を不幸に突き落とした。だから俺が幸せになれないのは当然の報いだ。
だけど。
「私、今は幸せよ。この世界に来られて、幸せなの」
――たったひとつ、たったひとつだけ。
俺は、初めて好きになったこの女を、幸せにすることが、できたのだ。
俺がこの先幸せになれなくても。
この女は、ミアは、この先もずっと、幸せでいてくれるのだ。
「…………ミア」
「何?」
「俺、は、君の、ことが、好きだったんだ」
絞り出した声は嗚咽のようで、少しも滑らかに話せなかった。途切れ途切れで、情けなくて、格好悪くて。なんの虚飾もない、心からの気持ちだった。
「俺は、生まれて初めて、人を好きになったんだ」
「ええ」
「本当に、心から、君のことが、好き、なんだ」
「……ええ」
彼女は、ありがとうとも、嬉しいとも言わない。俺が彼女にそんな言葉を望むこと自体が烏滸がましい。
それでも彼女は、ただ静かに、俺の言葉を受け止めてくれた。
成就することはなくとも、肯定されることがなくとも。
彼女が俺の言葉を聞いてくれることが、どうしようもなく嬉しかった。
大粒の涙が溢れ、視界が白くぼやける。
そんなぼやけた世界でも、目の前の聖女はひどく美しかった。
「ミア。俺は、君を……」
俺は生まれたときから、全て間違えてきた。数えきれないほどの罪を犯した。多くの人間を見捨て、罪悪感すら抱いていなかった。きっと俺には、人の心というものがなかった。
それでも、俺は君を好きになった。
俺がこの世界へ召喚した、俺の大好きな君は、この世界で幸せになってくれた。
こんなこと思う資格、俺にはないんだろうけれど。
――ほんの少しだけ、生まれてきてよかったのだと、思える気がした。






