1・我慢するのはもうやめます
「俺達結婚することになったから、お前との婚約は破棄させてくれ」
「ごめんねぇ……。お姉ちゃん、そういうことなの……」
私、青羽美亜は、恋人と妹からそう告げられた。
言いたいことはいろいろあったはずなのに、言葉が出てこなかった。
頭の中が真っ白になって、身体が凍りついたみたいになってしまったのだ。
そんな私の様子を見て、妹と恋人は勝手に勘違いしたみたいだった。
「やっぱりお姉ちゃん、怒ってるよね……」
「おい、そんな責めるような目でアリサを見るなよ。アリサは大変なんだって、お前も知ってるだろ? だから俺は、アリサを支えたいって思って……わかるだろ?」
わからない。だけど私の恋人であったはずの上岸真来は、「わからないのは、お前の理解力が足りないせい」みたいな呆れた目でこちらを見ている。
「いつから……?」
「二年くらい前からかな」
「……私、真来に別れようって言ったこと、あったよね?」
正直私も、いつも私より妹を優先する真来との関係に疲れて、別れを切り出したことがあった。だけどそのとき彼は、「悪かったって! 俺はただ、大変そうなアリサと子ども達を助けたいだけなんだよ……」と泣きついてきたのだ。
そんな言われ方をしたらなんだか、許せない私の方が、心が狭いみたいで……結局ズルズルと付き合い続けてしまったのだ。
「あのときは、本当にお前と別れたくなかったんだよ。でも、人間の心なんて変わるもんだろ」
「そんな……」
「あのなあ、アリサには子どもがいるんだぞ。子どもには父親が必要だろ」
――そう。妹のアリサは過去に一度結婚して、青羽アリサから、阿久井アリサになった。しかし、その後離婚。前の旦那さんとの間には三人の子どもがいて、アリサが三人とも引き取ったのだ。
離婚の原因について、「旦那さんが酷い人だったのぉ……」と言っていたが、アリサは平気で嘘を吐く子なので、真相は定かではない。実際私も、昔から「お姉ちゃんが酷いのぉ……」と悪者にされてきたし。
いずれにせよ、妹には三人の子がいる。四歳と、二歳の双子だ。だけどアリサは、大切にしてあげたくて子どもを引き取ったわけではない。そもそもアリサは、まともに子育てをしたこともない。
離婚前から「私って身体弱いし、疲れがたまっちゃってて」と実家に帰ってきて私に世話を押し付け、離婚後は「離婚の精神的ショックで、何もする気が起きないのぉ」とか言って、いつも私に世話をさせていた。おそらくアリサは養育費目当てで子どもを引き取ったのだと思う。だけど、私に育児の対価を払ってくれたことは一度もない。
私は二十代で、高校卒業後会社員として働いていたのだけど。子ども達と、妹と違って本当に身体が弱い両親の世話もあり、仕事をやめてパートにした。日々、ろくに睡眠時間もなく親と子ども達の世話をしていた。
子ども達の、実の母であるアリサは毎日ぐっすり眠り、「気分が優れないから」といって昼寝までする。それを指摘すると、「酷い、体調が悪いんだから仕方ないじゃない……! お姉ちゃんは病人をこき使う気なの?」と喚いて泣き出す。自分の子どもが泣いていても、「お姉ちゃん、子どもが泣いてる。早く面倒見てあげてよ、かわいそうでしょ」と言うだけで自分では何もしない。
真来は、昔私の家に遊びに来た際にアリサと面識を持ち、彼女の境遇に同情して……「大変そうなんだから、協力してあげないとな」と言って、子ども達と遊んでくれたりした。その姿を見て、優しい人なのかなと思ってしまったけど。
今思えば、たまに子ども達と遊んでいただけで、オムツ替えや食事の世話などは全て私にやらせていた。まあこれに関しては、真来が父親なわけでもないし、仕方がないのだが――
正直、私だって、自分の子でもないのだから、育児を放り出してしまいたかった。
だけど実際、子どもに罪はない。アリサに任せたら、いずれ虐待のようなことをしかねない。だからこそ、辛くても必死に頑張ってきたのに――
「おい、アリサを責めるんじゃないぞ。子ども達がかわいそうだろ」
(……またそれか)
これまで、何度も聞かされてきた。「子どもがかわいそう」。
子どもを責めているんじゃない。アリサと真来の日頃の行いや浮気を責めているんだ。なのに、子どもを盾にして私の方が悪人であるかのように仕立て上げる、アリサと真来の腐った性根に吐き気がする。
だけど障子を挟んで隣の和室では、子ども達が寝ている。大声を出せば起きてしまうだろう。それに、実の母や伯母が、こんなドロドロした話をしているなんて……いくら幼いとはいえ、気付かせたくなかった。まだ小さいとはいえ、大人達の嫌な空気というのは、伝わってしまうものだ。
だからこそ、何も言えなかったのだけど――
次の瞬間、ぐらりと視界が揺れた。
(え……?)
気付けば、私は畳の上に倒れていた。
(な……に? おかしい……)
苦しいわけではないのだが、身体が熱く、言葉で説明できない感覚がある。
「やだお姉ちゃん、どうしたの? そこまでして真来の気を引きたいの……?」
「マジかよ、そういうのやめろって」
目の前で私が倒れても、二人はクスクス笑っている。……信じられない。
私には、「もっと思いやりを持て」とか「皆がかわいそうだろ」とか、言っていたくせに。私に異変があっても、助けてくれようともせず笑っているだけなのか。
自分の人生を削って妹の子育てや親の世話に費やしてきた私は、「かわいそう」じゃないのか。私には「優しくなれ」と言ってきたくせに、私には優しくしてくれないのか。
(――私はこんな奴らのために、今までずっと我慢していたの?)
こんな奴らのためではない。子ども達のためだ。
だけど、沸々と湧き出る怒りが止まらない。
(我慢なんか、するんじゃなかった。私を軽んじる相手なんかに、まともに接するんじゃなかった――)
どす黒い気持ちが渦巻き、薄れゆく意識の中で、最後になんとか二人を睨みつけて――遺言のように、口にした。
「……許さないから――」
◇ ◇ ◇
「――あれ?」
てっきり、過労か何かで倒れたかと思ったのに。気付けば私は、全然知らない場所に立っていた。
見た感じ、西洋風の豪華な広間だ。私の足元には大きな魔法陣があり、目の前には、物語で見る「王子様」というのが相応しい衣装に身を包んだ、金髪碧眼の男性が立っていた。その隣には、王女様っぽいドレス姿の女性もいる。更に、私の周りをぐるりと囲むように、武官や文官らしき人達の姿もあった。
(まさか、これは……『異世界召喚』ってやつ?)
最近は忙しくて全然読んでいる暇がなかったが、アリサの子ども達を育てるようになるまでは、よくネット小説でそういうのを読んでいた。
鏡こそないものの、自分の姿を見ると、身体も服も全く変わっていない。異世界転生じゃなくて、転移のようだ。
これが夢なのか現実なのか、よくわからなくてぼんやり立っていると、王子らしき男性が口を開いた。
「貴様が異世界の聖女か。ふん、聖女というには絶世の美女が現れるのかと思いきや、随分やつれて隈のある、貧相な女だな」
(――あ?)
なんだ、こいつ。多分私を召喚した人間だろうに、何の説明もなしにいきなり人に暴言吐くってどういう了見?
「まあ、いい。この俺が直々に召喚してやったんだ、ありがたく思え。喜べ、貴様のような貧相な女でも、これから俺とこの国のために働けるのだ。光栄だろう?」
絶句する私の前で、王女っぽい人が彼を褒め称える。
「聖女召喚の儀を成功させるなんて! お兄様、さすがですわ!」
「ふ、当然だ」
呼応するように次々と、周囲の武官や文官達も「王子、さすがでございます」「素晴らしいです」など、口々に彼を称賛していた。……いやいや、私は? 説明もなく放置?
「で、聖女。貴様は何をしている? とっとと俺の前に跪き、名を名乗れ」
ブチ、と私の中で何かが切れた。
元の世界であんな扱いをされ、わけもわからず召喚された世界でも、こんな扱いなのか。私の人生は、どこまでも他人に舐められ続けなければならないというのか。――ふざけるな。
(そうだ。私はもう、言いたいことを我慢しない。――我慢してたって、何もいいことなんてないって、思い知ったから)
「人に名前を尋ねるときは、まず自分から名乗りなさい」
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