終わりの時
「かしこまりました。では、あの女に復讐して差し上げましょう」
「どうやって、ですか?」
クリストファーが前のめりに詰め寄る。ハンナはそれを押し戻しながら、さらりと言ってのけた。
「簡単です。やり返せば良いんですから」
「やり返せばいいって……」
「殺すんです」
なんでもないことのように語るハンナに、クリストファーは絶句する。
「それは……いくらなんでも」
「エリスベンさんがジェシカを切っ掛けに死んだのなら、あの女も殺してやれば良い。そこになんの間違いもないのでは?」
クリストファーはハンナを信じられないものを見るような目で見た。ハンナは胸を張って堂々とクリストファーに詰め寄る。クリストファーはハンナから目を背け、しどろもどろになりながら目線を彷徨わせた。
「いくらなんでも、殺すのはまずいんじゃ?」
「どうして?」
「殺すなんて、そんな……」
「あなたはもうエリスベンさんを殺しているでしょう?」
クリストファーが言葉に詰まる。図星なのか黙りこくって、その場に沈黙が影を落とした。
「ね。私はなにも、死ぬより苦しい目に合わせようとしているわけではありませんよ。ジェシカを切っ掛けに、エリスベンさんは死んでしまった。ならばジェシカも死ぬべきでしょう。」
それが平等というものです、とクリストファーに滔々と説く。クリストファーは黙りこくったまま俯いている。
「……死ぬよりつらい目に合わせるわけにいかないんですか」
「それは、正真正銘、私たちが悪者になってしまいますよ。やり返していいのは、されたことまでです」
「殺すのが、一番いいんですか?」
「ええ。エリスベンさんを送り出すのなら、それが一番かと。……やめますか?」
「殺す」という言葉に躓いて、クリストファーは頭を抱え唸る。ハンナはそれを暫く見下ろしていた。日が傾き、窓から赤い夕陽が差し込み始める。その夕陽が薄暗くなってきて、ようやくクリストファーは顔を上げた。目は潤み、涙を滲ませている。
「やります、やらせてください、あの女を殺しましょう」
ハンナはにいと悪い笑みを浮かべた。
「もう間もなく夜になる。殺して、逃げてしまいましょう。夜逃げの準備をしてください」
ハンナは墓地で落ち合おうと言い残し、エリスベンの家を出た。夜のベールが空を覆って、星空が瞬き始める。復讐にはもってこいの美しい夜だった。
「お待たせしました」
エリスベンの墓石に祈りを捧げていたハンナは、走ってきたクリストファーの息切れにそちらを向いた。クリストファーは小さな斜めがけの鞄を一つ持っていただけだった。ハンナは驚いて、「それだけでよいのですか?」と聞く。クリストファーは躊躇いがちに頷いた。
「もう、僕の人生に必要なものは殆どありませんから」
そういうものか、と自分を納得させ、ハンナはエプロンスカートについた雑草を払った。
「……どうやってジェシカを殺すんですか?」
「そうですね。人間というのは、脆いですから。ナイフでなんども刺してやれば、すぐ死にますよ」
ハンナの声色は冷え切っていた。クリストファーは震えるふくらはぎを平手で強く叩き、叱咤する。
「殺害にはこれを使ってください。魔法でできた特別なナイフです」
ハンナはクリストファーの手に銀のナイフを握らせた。クリストファーの肩がびくりと揺れる。
「それで刺すんです」
「……っ、ぅ、」
「怖いですか?」
崩れ落ちたクリストファーに声をかけると、クリストファーは必死の形相で頷いた。ハンナは呆れとも哀れみともつかない小さなため息をついて、クリストファーの耳に囁く。
「エリスベンさんを天国に送り出すため、ですよ」
唆す罪悪感はなかった。クリストファーは震えながらもゆっくりと立ち上がり、そのナイフを懐に隠し踵を返す。
「行きましょう……………ジェシカを、殺しにっ」
声が上擦りながらも、クリストファーは進む。目が充血し、顔色は悪く、表情は何かに脅かされたかのように固い。道行く人々はクリストファーを
見て怯えながら去っていく。ハンナはそれを一歩引いた場所でついて行きながら見ていた。やがて村から外れ、大きな屋敷が見えてくる。他の家と違い立派で、ふてぶてしい雰囲気が伺える。クリストファーは深呼吸ののち、その家のドアをノックした。はぁい、と小さく声がして、ジェシカが顔を出す。そして花が咲くようなほほ笑みを浮かべた。
「まあ、クリストファー! ようやくわたくしのもとへ来てくれるのね!」
ジェシカのその言葉に、クリストファーは肩を跳ねさせる。その顔色を伺うと、怒りに燃えていた。ジェシカはハンナの姿を見つけると、途端顔色を変え鼻を鳴らした。
「まあ芋女、あなたも? どういうつもり、クリストファー」
「中へ入れてくれ」
ぞわり、とその場に悪寒が駆け巡るような冷たい声。正気を失っている、とハンナは勘づいた。
「……いいわよ」
ジェシカがクリストファーとハンナを中へ招く。人はいないようで、薄暗い中にジェシカの持つランタンの光だけが照らされている。
「それで? 芋女を連れて、どういうつもり____」
刹那のことだった、懐から布を裂く勢いでナイフを抜き取ったクリストファーは、ジェシカの腹にそれを突き刺した。ちょうど振り向いたジェシカは呆気にとられ、痛みにうめきながらその場に倒れ込む。白いネグリジェがどす黒く染まり始めた。ハンナは後ろ手に扉を閉め、鍵をかける。
「お前のせいで、エリスベンが変わってしまった!」
勢い任せにナイフを引き抜き、もう一度突き立てる。汚いジェシカの断末魔が響いた。
「ぎゃあああっ! 痛いっ、痛いいいいい!! があ゛っ!!!」
クリストファーのはジェシカの髪を鷲掴みにして、涙の滲む目と顔を合わせた。顔の穴という穴から液体がもれ出ている。
「いやっ、だずげでぇぇぇ!!!」
濁音のような汚い悲鳴と助けを求める声に、クリストファー顔を顰めは手で口を塞いだ。そして何度も何度もナイフを突き刺す。肉がえぐれ、血の匂いが充満した。
「お前のせいでお前のせいでお前のせいでお前のせいで!!!!!!!!」
「ん゛ん゛ぅーーーー!!!!」
やがてジェシカが無駄だと悟り抵抗をやめなくなったころ、扉が勢いよく叩かれ始めた。誰かがジェシカの悲鳴を聞きつけたのだろう。
「クリストファーさん、逃げますよ」
「まだ殺しきれていません」
「いいから!! 私まで捕まるのはごめんです!」
クリストファーを引っ張り、二階へと逃げる。クリストファーは何度も死んでいるであろうジェシカを振り返り、恨めしげに「死ね」と唱え続けていた。二階のベランダから木に飛び移り、そのまま村に面した森を走り抜ける。ハンナが後ろを振り返ると、松明を持った人影が集まり始めているところだった。クリストファーとハンナは森を駆け抜け、村の松明が見えなくなるところまでたどり着いてから足を止めた。そこでクリストファーは、また崩れ落ちた。
「僕……僕は人をっ……うわああああ……」
強い後悔の色がクリストファーを覆った。ハンナは時間がないと焦り、呻くクリストファーの腕を引っ張る。
「クリストファーさん。あなたは復讐に成功したんです。エリスベンさんはきっと、天国にいけます。大丈夫です」
「でも、でも僕は二人もこの手で……」
「……約束通り、後悔の感情をいただきます」
茫然自失のまましゃがみ込むクリストファーの顎を無理矢理に持ち上げ、銀の液体を流しこむ。そして魔法を唱えた。
「まじないの魔法」
びくり、とクリストファーの体が大きく跳ねて、倒れた。ハンナは顔を覗き込む。
「大丈夫、気は失ってない……」
後悔の感情が消えたことで、自分を見失ったのだ。ハンナはすぐに立ち上がり、エプロンスカートの裾を整える。
「さようなら、クリストファーさん。どうかお元気で」
ハンナの言葉に顔を持ち上げたクリストファーは、また項垂れた。ハンナはため息をついて、魔法でクリストファーを持ち上げ、用意しておいた馬に乗せる。しっかりと手綱を掴ませてから、馬を送り出した。遠のいていく背中に頭を下げて、ハンナは踵を返す。森のざわめく音だけがその場にこだましていた。
「おう、ハンナ。帰ったか」
ねがいの庭まで馬を走らせ、塔の上へ登ると、ヒュリオがふてぶてしく寝台の上で丸まっていた。血のついたハンナのエプロンスカートを見て、呆れ顔を披露する。
「その様子じゃ、ろくでもなかったみたいだな。ほら、寝るぞ」
「そうね」
ヒュリオが退けたスペースにハンナは倒れ込んだ。疲れで瞼が落ちてくる。意識が闇に飲まれる直前、ふとハンナはヒュリオの体を撫でた。
「ねえ、ヒュリオ。人ってどうして死ぬんだろうね」
「……それは、人だからだなあ」
「そういうもの?」
「そういうもの」
夜は長い。いい夢を見ろとヒュリオが頬を舐めたのを感じながら、ハンナは静かに眠りに落ちた。