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絶望と復讐

エリスベンの家を出て墓地の方へ歩く道すがらに、活気ある商店があった。ハンナがその商店を観察しながら通り過ぎようとすると、突如立ち止まったクリストファーの背中に勢いよく顔をぶつけた。

「いっ……クリストファーさん?」

「……ジェシカ」

クリストファーはハンナには目もくれず、突然表れた化粧の濃い女を陰気に睨みつける。ハンナはすぐに、それがジェシカであると理解した。ジェシカは腕を組み、肩を無駄に聳やかしながらクリストファーを睨みつけた。

「本当に、最低な男ね」

「なんだ、ジェシカ。今更何の用だ」

「あのバターくさい貧民の女が死んだら、今度は余所者の芋女? 婚約者のわたくしのことは本当に二の次なのね、この浮気者!」

ジェシカはハンナに向かって芋女と言い放ち、クリストファーの肩を平手で叩き打つ。クリストファーは険しい顔で一歩前へ踏み出た。

「言っただろう、僕は君と結婚するつもりはない」

「あら、まだそんなことを言うの? ならばその女も潰してあげる、そうすればわたくしのところに帰ってくるかしら?」

「潰して?」

ハンナは思わず声を漏らした。クリストファーはジェシカの言い分に気がついていないのか、なにも言わない。

「あなたがエリスベンとかいう女に走るから、わたくしもお父様も面子が丸つぶれ。責任をとっていただかないと!」

「だから、君のために捧げる責任は僕にはない!」

「あなたのせいでお母様も体調を崩してしまわれたのですわよ!」

「知らない! そっちが勝手に舞い上がって、勝手に!」

諍いはどんどん大きくなっていく。商店の店番がちらちらとハンナたちを伺うのを見て、ハンナは慌ててクリストファーを止めた。

「クリストファーさん、やめましょう」

「芋女、あなたは黙っていて!」

ジェシカの厳しい声が飛んで、クリストファーの肩を掴んでいたハンナの手が払われる。ハンナはジェシカから喉に扇の先を突きつけられた。

「っ!」

驚きで息を詰まらせるハンナを、ジェシカは鼻で笑う。

「まあ、根性のない女。この程度で驚いてどうするのかしら!」

ジェシカの罵倒は止まらない。ハンナは怒りを顕にしないよう、なんとか感情を抑える。

「だいたい、貴方余所者でしょう。この村に似合わない、きったない匂いがするわ。さっさと出ていって!」

「いい加減にしてくれ!」

ジェシカの扇が喉に食い込むのを止めたのは、クリストファーだった。鋭い視線でジェシカを諌める。

「クリストファー、何よ」

「どうして僕に執着するんだ。そんな暴言ばかり吐いて。本当、僕には釣り合わないよ、君は!」

クリストファーがそう言い切る。ハンナが恐る恐るジェシカの顔色を確認すると、ジェシカは怒りで顔を真っ赤にしていた。

「何よ……何よ! あなたはわたくしの婚約者だというのに!!」

ジェシカは吐き捨て、去っていく。去り際、一度振り向いて、「挙式の予定は後日、お知らせいたしますわ」と言い今度こそ姿を消した。クリストファーは怒りに拳を握りしめていたが、やがてその拳をひとつひとつ開いて、大きく深呼吸した後ハンナを振り返る。

「すみません。早く墓へ行きましょう」

「いえ。戻りますよ」

クリストファーの腕を引っ張り、ハンナはエリスベンの家へと戻っていく。引き摺られるクリストファーは目を丸くした。

「えっと、どこへ?」

「エリスベンさんの家へ」

驚くクリストファーを無視して再度エリスベンの家に入り、一目散に日記帳を開く。先ほど読めなかった頁を開き、筆跡から頁をなぞって解読する。読めない箇所は前後から判断し、エリスベンの身に何があったかを調べる。時間をかけ、ようやくその頁は見つかった。



いたい、いたい、いたい、いたい

あの女に汚された、全てはあの人のせいだ

クリストファーがあの女を止めていれば私は汚されなかったかもしれないのにどうしてどうしてどうしてどうして助けて

もう誰も私を助けてくれない、あの女のせいでジェシカのせいで

助けてだれか、クリストファー、助けて、

もう苦しみたくない

全部クリストファーのせいだ



半ば怪文書じみたそれを読んで、ハンナは日記帳をぎゅっと握った。紙がくしゃりと音を立てて、文字ごと歪んだ。ハンナの背中を茫然と見ていたクリストファーは、恐る恐ると声を上げた。

「あの…………」

「……まじないは、かけられません」

「え?」

クリストファーが素っ頓狂な声を上げる。クリストファーを振り仰いだハンナの瞳には、静かな怒りの炎とそれに匹敵する憎悪が混ざった暗黒が浮かび上がっていた。

「彼女に必要なのは、どうやらまじないではなく復讐のようですから」

「復讐………?」

「エリスベンさんが変わってしまったのは、ジェシカさんが原因です」

そう言うと、クリストファーの顔がぐにゃりと歪む。殺したときのことを思い出したのだろう。

「クリストファーさん。エリスベンさんは、恐らく。ジェシカさんの手によって暴行を加えられたのでしょう」

「暴行を?」

ハンナは一瞬の逡巡のうち、エリスベンの日記を閉じる。

「この日記に、エリスベンさんの苦しみが綴られていました。きっと暴行だけでなく、犯されもしたのでしょうね」

「……は……?」

「先ほど、ジェシカさんが言っていた『潰して』という言葉。きっと、このことですよ」

クリストファーは混乱しながら、黴臭い寝台に座り込む。ハンナは日記を見せないように、文机の上にまた隠した。

「ジェシカは……僕と、愛し合っていたエリスベンが邪魔だったから……」

「はい。そうです。エリスベンさんは暴行を加えられ、こうなったのはジェシカさんを止められなかったクリストファーさん、あなたに責任がある、と思うようになったのでしょう」

「そんな……僕が殺すべき相手は、エリスベンじゃなくてジェシカだったのか……?」

目が再度充血し始め、クリストファーはブツブツと自責の念と後悔を口にする。それをハンナは無言で見守った。やがてクリストファーが項垂れるだけになると、床にしゃがみ込み、クリストファーの顔を覗く。

「どうしますか、クリストファーさん?」

それがクリストファーにとって悪魔の囁きだったのか、天使の囁きだったのかはわからない。それでもクリストファーの救いであったことは確かだった。

「……僕の、僕のどんな感情を差し出しても良い。この先笑えなくてもいい。だから、ジェシカに、あの女に復讐してください」

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