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ねがいの庭のハンナ

花々が咲き誇る世にも珍しく美しい庭。小鳥たちが天使のように囀り、小川のせせらぎが遠くから歌うように響く、どこか天国めいたその場所。そこに二人の人影が顔を突き合わせている。片方は猫ともつかない丸い生物を膝に乗せて、絶えず右手で大切に撫でる少女。その少女に摩訶不思議な銀の小瓶を差し出された男は、憔悴しきっている。

「これを飲めば、あなたの恋人の病気は治ります。ですが、あなたが持つ『恋人への愛』をお代としていただきます」

少女が鈴のような声で笑う。男は銀の小瓶をじっと見つめたあと、少女と小瓶を見比べだした。

「それを飲んだ瞬間、あなたの恋人への愛は消え失せる。それでもいいですか?」

「……それでも、いいです。僕はフランシスカが生きていればそれでいい。」

男は両手を握りしめ、深く何度も、刻み込むように頷いた。少女は掌で小瓶を指し示す。

「では、それを飲んで」

「は、い。」

こくり、こくり、こくり。男が小瓶の中身を嚥下していく。銀色が小瓶から全てなくなると、唇が離れた。すると小瓶は跡形もなく消え失せる。

「……これで、彼女の病気は?」

「ええ。心配なら見に行っては」

「……そうですね。ありがとうございました」

男の声色が冷え失せた気さえする冷たいものになる。少女は庭を去る男の後ろ姿を見送り、それが豆粒ほどになってから漸く庭へと戻った。抱いていた猫もどきを降ろすと、猫もどきはにゃおんだかみゃうんだかくうんだかと聞き取れない不思議な鳴き声を漏らした。少女はふう、とため息をついて、机の上のティーカップを魔法で浮かせる。

「ねえ、ヒュリオ。今の人は、また恋人になるのかしら?」

ヒュリオと呼ばれた猫もどきは、少女をじっと見上げたあと、「さあな」と声を上げる。

「人の愛ってのはわからないものだ」

「そういうもの?」

「そういうもの。ハンナはまだわからないだろうけどな」

「うるさいわよ」

クッキーの入った籠を抱え、空中でふよふよと踊るティーカップを連れて、少女ことハンナは庭の奥に聳え立つ塔の中へと入る。石と煉瓦でできた不格好な塔の中には最上階に続く階段だけが重々しくそこに鎮座する。ハンナはその階段を一歩一歩登り、ヒュリオは短い足で階段を二段飛ばしで駆け上がる。先にハンナの住む部屋に辿り着いたのはヒュリオだった。三段さきからぴょこっと飛び跳ねてハンナを煽る。ヒュリオの足では届かないドアノブを回して扉を押し開けた。優しい風がハンナの淡い緑の髪をさらう。エプロンスカートの裾がはためいてヒュリオの視界を塞いだ。クッキー籠を台盤所の棚に置いて布をかけ、ハンナは窓際の机の前に腰を下ろした。そよ風が歌うように吹き抜ける。ヒュリオが窓際の花瓶の下で丸まって寝息を立て始めた。ハンナが右手を上げて指先を曲げると、本棚から一冊、赤茶けた表紙の本が浮き上がってハンナに突撃した。ハンナはそれを難なく受け止めて、ページを開く。静寂の中に風と紙の音だけが鳴った。

「あら」

不意にハンナの視界に小鳥が入り込んできた。小鳥は青の混じる白い羽をいっぱいに広げ囀る。

「アミティヤ、どうかした?」

アミティヤが小さな嘴を振り回し、来客を知らせる。ハンナはあとため息をついて、アミティヤにヒュリオを起こすよう告げて立ち上がった。塔を駆け下りて庭へ出る。暖かな日差しがハンナを照らした。小川に近い白のガゼボへ駆け込み、机にクロスを引く。塔の上からヒュリオとともにティーカップとポットが落ちてきた。わ、とハンナは一歩後退る。ヒュリオはとん、と着地し、その丸々としたふかふかの体でティーカップを受け止めた。ヒュリオの体に乗り切らないポットはハンナが受け止める。

「ヒュリオ、だからそれやめて」

「効率がいいんだからいいだろ」

もう、とハンナは嘆息しつつ、ヒュリオの背中からティーカップを拾い上げる。ティーカップを二つセットして、ハンナは踵を返した。薔薇の海の向こう側の森から人影がゆらりと向かってくる。門に絡まった蔓がゆっくりとほどかれて、躊躇いがちに少女が入ってくる。ハンナはその少女を悠然と迎えた。

「ようこそ、ねがいの庭へ」

そう告げると少女は安堵の表情を見せる。次にハッと表情を変えて、ハンナへ詰め寄った。

「あのっ、お願いがあるんです!」

「まずはこちらへどうぞ」

顔を近づけてくる少女を躱し、ガゼボの中へと案内する。少女は見渡す限りの美しい薔薇に心を奪われていた、少女をガゼボの中で座らせ、紅茶を差し出す。少女は出された紅茶を一口飲んで、琥珀色の瞳を不安げにハンナに向けた。ティーカップを机に置いて、俯いたままぽつりぽつりと話し出す。

「私、魔法学校に通っているんです」

「おや。それはまた、なぜ私のところに?」

ハンナがそう聞くと、少女の膝に涙がぽろぽろと零れ落ちた。

「落ちこぼれなんです。頭悪いから」

「そうでしたか。では私に叶えてほしい願いとは?」

「……私の頭を良くしてほしいんです」

想像通りの願いにハンナは密かにため息をついて、また笑顔を作った。

「かしこまりました」

「……! いいんですか?」

少女が勢いよく顔を上げる。涙が跳ねて地面に落ちた。唖然としてこちらを見つめる姿に、ハンナは口角を上げた。

「お任せください。ねがいの庭のまじないが、貴方のねがいを叶えます。」

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