3-5 二人の弱点
――それはボクがまだ、保育園にいた頃のことでした。
最初にこう語り出し、翔は保育園時代のとある雷雨の日のことを振り返る。
「今日よりはまだマシだけど、その日も同じく雷雨の日で、ボクは教室にあったおもちゃで遊んでいました」
翔の両親は生まれた頃から多忙で、保育園でもお迎えが来るのはいつも最後だった。
次々とお友達が帰って行く中、翔は常に一人取り残されていた。
「それじゃあ、独りぼっちじゃない。先生はいなかったの?」
一つ気になった綾音は、合いの手を入れるように質問した。
「いました」翔は静かに肯きながら、しかし先生と一緒にいなかった理由を続けた。
「けれどボク、先生に嫌われてたみたいで。あまり仲が良くなくて……」
だから一人で遊んでいたし、先生から暇つぶしを提案されたこともない。
幼少期から孤独。それでも翔はただ一人、黙々と遊んでいた。
「そしてあの日、ボクは人生で初めて『雷』に対面しました」
今の今まで、教育番組などのテレビでしか聞いたことのない「かみなり」。
大昔から「かみなりさまがやって来る」、「こどものおへそを取ってしまう」と、子どものトラウマになりかねない伝承がある。
「突然大きな音がするし、天気も悪いし、すごく怖かったです」
「へぇ、それで雷が……?」
「でもそれよりも、怖いことがあったんです」
言って翔は、身体を震わせながらその日起こったことを語った。
「どうしてあんなことをしたのか、今でも分かりません。けれどあの日、先生はラジカセで……」
「ラジカセで?」
「雷様の歌を流し出したんです……!」
何を思ったのか、教室にいた先生はラジカセをかけ出したのだ。
それも何を思ったのか、子供達が怯えるであろう雷様にまつわる歌を。
『雷様がやって来るぞ』『こどものヘソを奪いに行くぞ』
どんな嘘であろうと信じ込んでしまうような、純粋で純真な幼少期の子供にとって、雷様はどんな怪物よりも恐ろしいものだった。
雷と一緒にやって来て、有無を言わさずヘソを奪いに襲ってくるんじゃあないかと。
そんな恐怖が翔を襲い、人生で初めて大泣きした。
「え、何それマジ? ワケわかんないんだけど」
「ボクだって分かりませんよ! 逆に知りたいです!」
翔は言い返し、当時のことを振り返る。
今思い返しても、何故あの時、雷様の歌を流したのか分からない。
しかしそれは確実に、翔の心に『恐怖』という深い傷を負わせた。
「流石のボクも、ある程度は克服しました。高校生ですし」
「嘘つけ、さっきめっちゃ叫んでたじゃない」
「そ、それは状況が状況だったから……」
翔は口ごもる。その様子に、綾音は静かに笑みを浮かべて言った。
「でも意外だなぁ。まさかそんな可愛い一面があるなんて」
「か、可愛いって、やめてくださいよ……」
顔を真っ赤にして、翔は俯きながら言葉を返す。
しかし満更でもない。俯いて隠した顔は、無意識にも笑っていた。
「それじゃあ次は、天道さんの番です」
と、話題を無理矢理元に戻して、今度は綾音へ話題を振る。
何故カエルが苦手なのか。
「実はアタシも、幼稚園の頃のことなんだけど……」
綾音はそう語りだし、幼稚園時代のことを振り返る。
まだ幼く、あまり物心のついていなかった綾音は、当時から可愛く整った容姿を持っていた。
「両親も親バカでさ、周りからよく『子役とかどう?』とか『スカウトされたりして』なんて褒められっぱなしでさ」
「ま、まあ天道さんならできるかと」
「無理よ。昔のアタシ人見知りだったし、お遊戯会とか地獄だったのよ?」
と否定する綾音。今の彼女の性格からは全く想像も付かない過去に、翔は思わず驚いた。
「それでさ、男子から好きだって、毎回のように言われるワケ。皆純粋で、アタシも嬉しかったけど」
まだ幼い子ども達にとって、恋愛なんて概念はまず存在しない。
カレーやハンバーグが好きなように、友達関係などで何に対してもすぐに「好き」と言ってしまう。
言うなれば、「ライク」と「ラブ」の区別がついていないのだ。
「昔から告白されているんですね……」
だが区別が付いてきた今も告白され続ける。
今も健在の美貌に、翔は確かな説得力を感じる。
「全然よ。むしろそのせいで酷い目に遭ったわ」
それは謙遜でも無く、事実だった。
純粋故の無邪気さ。無邪気さ故の残酷がある。
「男子って昔から本当にバカだからさ、イタズラをするのよ。好きな子に」
キュートアグレッション。とどのつまり、好きな子に気を惹かせるために行ってしまう嫌がらせ。無意識な心理的行動。
まだ感情の言語化ができない子どもに多く見られる行動である。
そしてそれは、好きになった人が多ければ多いほど発生する。
「好き避けとかって言うのかしらね。そういった事がよく起こってね」
「確かに、女子をいじめる子いましたけど……まさか……」
「そのまさか。アタシを好きな誰かが、アタシの鞄にカエルを入れたみたいで」
しかしそれに気付かないままの綾音。不本意にも鞄に閉じ込められたカエルがどうなることか、想像に難くないだろう。
そうして何も知らずにバッグを開けて出て来たものは――
「干からびたカエルのミイラが出て来て、以来それがめっちゃ印象に残っちゃって……」
「それは、嫌でも残りますね」
「幼いながらに『生き物を殺しちゃった』って罪悪感が凄くてさ。そっからカエルを見ると思い出すようになっちゃって――」
無理になってしまった。そう締めくくり、綾音は再び口を閉ざした。
意外な弱点を共有した二人だったが、しかしそれで倉庫の扉が開くことはなかった。
ざあざあと降り注ぐ雨の音だけが響き、そこから何一つとして進展はない。
「……はぁ」
あまりの退屈さに綾音はため息を吐き、一か八か友人のひよりにメッセージを送る。
けれどもう帰ってしまったのか、待てど暮らせど既読は付かない。
「……ねえ、アタシ達ってずっとこのままなのかな」
ふと嫌な予感がして、綾音は無意識に言葉を漏らす。
正直なところ、その答えは翔も分からなかった。
「いいや、出られますよ。きっと」
それでも翔は希望を捨てなかった。必ず誰かが気付いてくれると。
「それっていつ? 今日中には出られるの?」
「今日中には、必ず! ボクにも予定とかありますし、学校泊まりだけは嫌です」
自信満々に言う。がしかし、脱出するための方法は思いつかずにいた。
窓からの脱出は不可能。小柄な翔であれば、無理矢理脱出することは可能だろうが、綾音の身体ではすり抜けるのは難しい。
出口を破壊することも、二人で力を合わせればできなくもないが、事情があれ弁償沙汰は確実。
そもそも小柄で非力な翔の力など、あってないようなものだった。
とはいえ、何もしなければ無駄な時間が過ぎていくだけ。
ならばと、翔はそっと立ち上がった。
「如月?」
そうして出口の前に立ち、翔は大きく息を吸い込んだ。そして――
「誰かー! 助けてくださーい!」
翔なりの全力で、大声を出して助けを呼んだ。
何度も何度も声を張り上げ、外の誰かに届けと願って叫ぶ。
だがその度に体力を消耗し、喉にも負荷がかかる。
やがて声が裏返り、息も上がっていく。
「はぁ。もう無理、少し休憩……」
やや枯れてハスキーボイスになりながら、翔は倒れ込む。
「如月、アンタ何してるの?」
「何って……助けを呼んでるんです」
希望は薄くとも、何もしないよりはマシ。
翔はただ無駄な時間を有効活用しようと行動したのだ。
「何もしないより、少しでも誰かを呼び寄せないと……」
そんな翔の姿に、綾音は心を打たれたような気がした。
何もしなければ助けなど来ない。無駄に時間を浪費し、翔と二人きりの気まずい時間だけが過ぎていく。
「確かに、アンタの言う通りかもね」
ないよりはマシ。しかしそれが大きな結果を引き寄せることだってある。
すると今度は綾音が立ち上がり、大きく息を吸い込んだ。
「誰かーーーーッ! ここに閉じ込められてますーーーーーッ!」
そうして綾音は、腹の底から声を出して叫んだ。
翔よりも張り詰めた声は反響し、倉庫中に響き渡る。
「ほら如月、アンタもボサっとしてないで立ちなさい」
「え、ええ……」
「え、じゃない! ここから出るんでしょ?」
綾音は翔を鼓舞して、無理矢理立ち上がらせる。
そうして翔も再び、大きく息を吸い込んで叫ぶ。
「誰かーーーッ!」
「た、助けてくださーい!」
二人は息を吸い込んでは、何度も叫び続けた。
外にいる誰かに届くように、何度も、何度も。
そうして時間も忘れて叫び続け、転機が訪れる。
――ガタンッ。と、外から物音がした。
そうしてダンダンと、だだっ広い体育館を駆け抜ける音が聞こえてくる。
「来た……!」
足音はやがて二人のいる体育館倉庫まで近付き、ガチャンと静かに鍵の開く音がした。
本っっっっっっっ当に大変長らくお待たせしてしまい申し訳ございません。
去年の8月に更新したのを最後に、気付けば年が明けておりました。いやはや、時が過ぎるのは本当に早い……。
本当に2024年は色々ありました。社会の理不尽でクソな部分を知り、鬱になり、現在は無職。ただただ小説を書いては寝て、勢いに任せて買った漫画を読む自堕落な日々を送っております。(ならさっさと更新をしろ、クソニートが)
2025年こそは漫画原作などでデビューしたり、目標のスタートラインに立ちたいです。
タイムリミットはあと4年……。それまでには、自分の生きた証を書店に残したい所存でございます。
今はただのメンヘラクソニート、憂鬱botですが、それでも引き続き何卒よろしくお願いいたします。