廃人一号303号室の男
最近のわたしは、廃人だ。昔から、口が軽いというか、隠し事が出来ないわたしは、母にいかがわしいお店に行った事などを話す何とも子供じみたにんげんで、田舎ものが都会の人間臭さに当てられてそんな気分になったものだから、やっかみだったのだろう。父の精力的な姿を見て私は嫉妬し、母が父に靡くのを見て嫉妬する。恋人など出来た事のない私は、詰まらない中途半端な都会である母の生まれ故郷の街等に行った時は、只カップルの多さに惨めさが募った。一人でいるより、家族といる方が惨めで、一人でいるより、家族といる方が辛かった。感じて欲しくも、気づいて欲しくも無かった。耐えられる物も、気にしないそぶりも、孤独を引きずる方が何倍も楽に感じる。
兎に角、惨めさが募るのは、其処に正解しか無いから。かもしれない。正しい、そうありたいと羨むのは、人情で、残念ながら自分は、努力の有無に関係なく手に入らない物だとしても、其れを目の当たりにすれば、心が引かれてしまう。んだら、そっぺ、そげなことねぇべさ、用は、不満足な位置に居るときに其れより満足な位置にあるもんに引かれるだけのこっつさ。
本当に東京を美化しすぎなのだけど、ごちゃまぜなカオスを内包しているのが、東京で、馬鹿みたいにカップルが密集して、馬鹿みたいにお決まりのプランでお決まりのデートコースで、お決まりのレシピでお決まりのお洋服のブランドでお決まりの格好をしてお決まりの食べログを閲覧してお決まりのささやきでお決まりの矯正でお決まりのあいづちでお決まりのキメ顔でお決まりの会話でお決まりの話題でお決まりの出会いでお決まりの将来を、そんな風に人は区分けされて、例え、田舎だろうと暗黙の落ち着くという箇条書きされていないルールで生活していて、どんどんどんどん隅の方に自分は引っ込んでいく。社会の隅の方に落ち着くという理由でひっこんでいるし、誰もそう望んでいなければ、此方側に来る事も望んでは居ないだろう。少なくとも、お決まりをお決まりお決まりする気がなければ。
兎に角、惨めで、出会い系等をしてみようと思うのだけど、お決まりにもうんざりで、母に接するように、ひたすら愚痴やらのべたり、弱音等撒き散らして、聖母マリア様様、出会いを探すのだけれど、中々、世知辛い世の中で誰もわたくしめをみとめてくださらない。
本当に、ドップリとDEEPな空間で、とっくりとワインなどを深紅に傾けながら、立ち上がる気力を根こそぎ削ぎ落とすかのようなディープな黒河のソファーに沈み混んで延々泣き言を漏らして、みさかいなく鼻水垂らして、ミサンガよろしく協会のミサのように、突然鐘が鳴るように笑い出すんだ。勿論、彼女の泣き言を真剣に聞いて、そのぐしゃぐしゃの顔を覗き込んで、不意に目の前の人間が誰だか分からなくなって、協会の堅い長椅子の横に身を預けて、目の前にいる背中越しの頭を見詰めて、そっか、此の特徴的な丸と広い後頭部は彼女なんだなっとまだ自分の記憶の中に彼女がいることをしって、安い眠りに着くんだ。
そんなこんなで、俺は毎日いまもオナニーしているよ。飽きるほど、してる。もう、枯れてるんだけど、立たないくらいにふにゃふにゃで、其れでも擦ってる。兎に角、負け犬なんだ。もう、聞きあきる位に、アメリカの映画の中じゃ、負け犬って言葉が出てくるんだぜ。
あれがアメリカナイズでどうしようもないのさ、奴等は真剣なんだよ。根っからのバーバリアンなんだ。奴等にとって人生は、闘争で、勝ち負けで、この世には、勝者と敗者しかいないのさ。どんな悲惨な人間でも、人生に打ち勝てば、其れはもう平等な勝者なんだ、きっと。
じゃあ、俺はなんだって?やっぱり負け犬なんだ。だけど、負け犬かどうかは死ぬときまで分からないし、一瞬の切り抜きで、一時の瞬間で、そんな風に区分するのはどうかと思うぜ。そういう貴方はやっぱり負け犬だってか、はっはははは。はーははははは、はっ。
ジャスティスとゴット、彼らに二人の心強い味方がいるんだ。
でも、きっと何処までいっても差別は存在するんだ。何せ、この世には勝者と敗者だけなんだから。