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どうして

※同じ世界観で二次創作 (※パロ)を書いたものがPixivに置いてありますが、此方はすべてオリジナルキャラクターになります。


よろしくお願いします。



 いちばん遠い記憶は、見上げたそらの色。

 透き通るような青とそれを斑に覆う白い雲と、その隙間から降り注ぐ陽光のとばり。瞳を射すような眩しさに目を細め、仰のいた首が痛くなる前に視線を落とせば、向こうまで見遥かす天穹てんきゅうよりも濃い青碧あおの海。漣の白が顕れては消えていく。

 涼やかな風に乱される髪は黒。疎らに視界を塞ぐそれを掻き上げる手は白く、剥き出しの腕は陽光の熱さにじりじりと灼けていた。額に翳した掌から落ちる影に無意識の安堵が零れ、蟀谷こめかみから滲む汗が顎を伝って落ちた。

 身を浸すのは、青碧あお蒼穹そらを映す海ではなく、そこを眺める山並みの端に湧く温かな泉。透明なそれは膚の白い全身を透かし、生まれたままの姿を視界に晒す。

 陽光と泉の熱さに茹りそうな顔を山頂から吹き下ろす風が冷ましていく。




 穏やかで心地よい記憶に、何故、と自問する。

 遠い遠い、昔の記憶なのは解った。けれどもそれが何を示すのか、理解出来なかった。

 脳にこびりついた光景へ潜るのをやめ瞼を上げれば、視界に広がるのは茶色と灰色の世界。砂と岩に囲まれた世界で天を仰いでも蒼穹などはなく、在るのは鈍色の雲が重く立ち込める曇天ばかりで。

 気付いたのは、唐突だった。

 見上げても目を眇める必要のない空に、灼ける心配のない薄暗い空気に、ただ心を沈ませる灰色に、飽いて厭いてしまった頃。かつては鮮やかな視界が広がっていたのに、と不意に思って、その記憶の存在に気付いた。

 鮮やかなものなんて、この世には無い。

 そもそもこの世にあるのは灰色と茶色ばかりで、仄暗いも鮮やかも判断する基準が、比較する対象が無い。このときまでは視界を〝色〟として判断していなかったのに。ただ、同じものの繰り返しを映す視界に厭いただけだったのに。

 それなのに、記憶に気付いてしまってからは、うんざりする理由が増えてしまった。

 この身で経験した記憶では無いけれど、確かに脳内に焦げ付いたそれが己の記憶だと訴えてくる。己はそれを知っていると。鮮やかな世界がかつては在ったと。

 知らなければ良かった。思い出さなければ良かった。

 鮮やかな世界を知らなければ、この世を陰鬱だなんて思わなかったのに。ただ岩と砂に囲まれた世界で、倦んでいったかもしれないがその事実にすら気付くことなく、幸も不幸も知らないままに生きていけたのに。あんな世界を知ってしまっては。思い出してしまっては。




 眼裏に映る光景が、己の感情を揺さぶる。

 空の青と、海の碧。降り注ぐ陽光の白に、それを遮る雲の白に、漣の白に、波打ち際の砂の白。夕暮れの空の朱と紫のあわいに尾を引く薄紅と、首を巡らせれば広がる紺碧とやわらかく照らす月光。満ち欠けに揺れる夜空の明るさと、朔の天に瞬く星々の煌き。

 暁暗に水平から射す閃光と、次第に薄縹に明けていく空に、見渡せば広がる緑とその波間に揺れる花々の多彩な色。地には砂と土と灰色の舗装があって、それの隙間から顔を出す草木の健気さと、灰色の壁に区切られた中でも極彩色な布と滑らかな鉄の塊に色の上限などなく。音を吐き出す箱と模様に溢れた書物の重さに、夜闇に輝く刺激的な光と見下ろす光の絨毯と。

 ありとあらゆる光景が、脳裡にまざまざと蘇る。

 始めは何も解らなかった。しかしそれが失われたかつての世界だと理解するのに、時間はかからなかった。だって知っている。音を吐き出す箱が、今ではただのガラクタでしか無いことも、大多数にとって、書物がただの紙の束でしか無いことも。

 失われたかつてが己の中にある。

 だから何だと言うのだろう。

 少しだけ残る寒さの中で風に舞う薄紅が視界を埋め尽くすのが好きだったと、熱く湧き出る泉に浸り身体を解すのが楽しみだったと、温かな布団に包まって本を読むのが好きだったと。

 そんなことを思い出しても、そのどれもが、今では失われてしまったというのに。



 視界を埋め尽くすのは、砂と岩。見上げた先には重苦しい曇天。

 鮮やかに栄えたかつてと比べてしまえば、それは、とても。



 溜息を吐くことすら億劫になるくらいの苦しさに、胸を掻き毟る。

 握り締めた拳は、嘗ての記憶に見たよりも更に白い。当然だ、陽が射さないのだから。肩から零れる髪も、薄い色が更に煤けて薄汚れていることしか判らない。

 降り注がれることの無い陽光を想って、天を仰ぐ。

 世界がこんなにも薄暗くなってしまったのは。



 知らなければ、焦がれることなどなかったのに。

 憶えていなければ、懐かしむこともなかったのに。

 忘れたままでいれば、心乱されることもなかったのに。



 何故、己だけが。



 壊れてしまった世界の真ん中に、独りだけ。








   


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