回転木馬はクルクル回る
ここは……
気がつくと目の前には人混み。
「ほら、何してるの?早く行きましょう?」
そう言いながら手を引く彼女は奥に見える、人混みの中心へと向かっていく。
門には奇妙な文字。だが、その風貌から類推するに、目指す先は遊園地のようなものだった。
人は皆、列を為しながら一つの遊具へと向かっていく。当然、我々も。
しかし、違和感。目の前にあるのは大きな大きな回転木馬だ。一般的に人気のある物とは言えない。それでも人々は嬉々として回転木馬へと向かっていく。ある者は白馬に跨り、またある者は馬車に乗り込む。
「ああ、私たちは次の周だね。」
彼女は残念そうに語る。
「せっかく▅▆▇▇█▇▆▇に来たのにメリーゴーランドに乗れないのは残念だからね。」
そうか、ここではこの乗り物はそれほどの物なのか。見れば確かに、ポスターには大きく、この回転木馬が描かれたものが多い。
そうこうしている間に回転木馬は止まり、新たな客を招き入れる。
彼女に手を引かれ、入る。
どうやら中は見た目以上に広く、多くの人間を収容できるらしい。
「あ、あそこに二人乗りの馬があるよ!あれに乗ろう!」
指差す先には仏頂面の赤毛の馬。
「私が前乗るね!」
彼女の、最近染めたばかりの茶髪が靡く。
どうやら香水を変えたらしい。
人が乗り込む。それでも列はなくならない。
やがてゲートは閉じ、回転木馬はゆっくりと動き始める。
軽快な音楽。上下に揺れる木馬。流れる景色。人々の嬌声。
しかし、この木馬は一向に止まらない。見ていた時よりずっと長く回っているようだ。
前に座る彼女を見る。どうやら彼女も違和感を覚えたようだ。
おや、と思う。
さっきこの木馬が止まった時、客は降りてきていたか?
よく考えてみれば止まった時に、既に乗客は一人としていなかった。
では、彼らは?我々は?
一体どこに行ってしまうのだろうか?
「ねえ、周り、見て。」
言われるがまま見渡すと、なんと多くの人間が気を失ったかのように項垂れている。
これはいけない。早く止めてもらわねば。
恐る恐る床へと降りる。流れる景色の中の乗務員を探す。しかし、流れているかのように見えた景色は全て静止画であった。静止画を回転させていたのだ。
では、無事な人間を救助しようと試みる。
しかし、だめ。気を失っていない者は取り憑かれたかのように木馬から離れようとしない。
回転木馬はクルクル回る。
お客を乗せてクルクル回る。
音楽に乗せて、このような文言が聞こえる。
「ねえ、なんか目が回ってきた……」
彼女の顔は青ざめていた。
気を失ってなかった者も今は虚ろな目をしている。
必死に安全圏を探す。どこか、回っていない場所を。
大地も壁も、回り続ける。馬は上下し、乗客を揺さぶる。
ある者は落馬し、ある者は馬に全身を委ねる。
そんな馬より少しは楽だろうと、馬車の中に彼女を休ませる。
彼女は他の乗客と同じくらい酷く衰弱していた。
一刻も早くここから脱出しなければ。
先から続く目眩、吐き気。
このままでは……
回転木馬はクルクル回る。
馬鹿なお客はスヤスヤ眠る。
そう聞こえた。やはり、このままではまずい。
壁へと向かい、叩く。
反響音から察するに、これはコンクリートだ。相当分厚い。
叩いて穴が空くようなものでは無い。
どうしたら……
ふと、おかしなものを見た。
この回転木馬に一頭だけ誰も乗っていないものがあった。
それは馬でも馬車でもない、お菓子の乗り物だ。
四本のキャンディスティックを脚にし、クッキーで胴体を作ったお菓子の馬のようなもの。
幸いか、これは他の馬とは違い、上下していない。
少し休むかとその上に乗った。
回転木馬はクルクル回る。
馬鹿なお客はスヤスヤ眠る。
かしこいかしこいお客様。
どうかそのままごゆるりと。
この乗り物にいると、少し楽になった気がする。
ああ、と思い至る。
馬鹿なお客、とは馬、もしくは馬車に乗る者のことを言うのか。で、この馬は賢いと菓子を掛けた言葉遊びか。
では、彼女は。
この馬は一人乗りに見えるが、彼女だけでも助けなければ。
お菓子の馬から降り、先の馬車を探す。
見つけた。彼女はぐったりと倒れてしまっている。
彼女を背負い、お菓子の馬に戻る。
が、見つからない。さっきと同じ場所のはずだ。
アナウンスがまた聞こえる。
回転木馬はクルクル回る。
主の友は一人で充分。
重荷を捨てればあなたを助ける。
そうしなければあなたも生贄。
……この仕組みは悪趣味だ。
あのお菓子の馬は一人でないと見つけられないというのか。
それに、このままだと生贄にされる、らしい。
彼女はいつも、明るく導いてくれる。
それを疎ましく思ったこともあるが、今はそれが欲しいと切に思う。
……彼女を失うくらいなら。
回転木馬はクルクル回る。
とうとう主とご対面。
馬鹿なお客は食べられて、
賢いお客は主のおもちゃ。
主を満足させたのならば、
帰してあげよう貴方の命。
壁と床の回転が止まり、出口のイラストが描かれた部分がスライドする。
気絶していた乗客達は映画の中のゾンビのようにフラフラと出口に向かう。
背中に乗せた彼女もまた、同じように動き出す。お願い、もう少し待ってて。
出ると、大広間が待っていた。天井までゆうに30mはあろうかという大きな広間だ。
ズシン、ズシン。
地響きがなる。
ズシン、ズシン。
だんだんと近づいてくる。
ズシン、ズシン。
その巨躯が明かりの元へ出てくる。
ズシン、ズシン。
20mはあろうかという巨大ななにか。
腹はヒキガエルのように大きく、顔は蛇のように小さい。
その大きな腹に大きな口が付いていた。
化け物が口を開くと、乗客達は皆、躊躇いなく口の中へと入っていく。
お馬鹿な賢いお客様。
残っているのはあなたとその荷。
どうぞ前へとお進みください。
主の口へとお進みください。
捧げられるのが怖いと言うなら、
どうぞその荷を捨ててください。
たったそれだけであなたは助かる。
きっとそれこそが正しい選択。
アナウンスが急かすように告げる。
「嫌だ。」
そう答える。
「二人でここから出る。」
沈黙。
主と呼ばれた化け物は、その口を閉じて咀嚼を始める。
硬い骨でもボリボリ砕く。
鮮血が口から漏れ出す。
食べ終わると、化け物は話す。
「そこなる者よ。貴様は何故その者を背負っていながら無事なのだ?」
簡単な話だ。
「それは彼女を助けるためだ。」
「理解が出来んな。」
「奇遇な事だな。今の今までわからなかったが、初めてここで理解したんだ。」
「なるほどされば、問に答えよ。回転木馬は何故回る?」
「回転木馬は主の元へ贄を求めてクルクル回る。」
「では貴様らは、我が贄となるか?」
「残念ながらそうはならない。」
「であれば再び、問に答えよ。回転木馬は何故回る?」
「回転木馬は道に迷って同じ所を回るだけ。迷いが失せれば木馬は進み、正しき場所へと導く物だ。」
「ならば貴様の迷いはなんだ。」
「今となっては迷いはあらず、ただ元の世界に帰るのみ。」
問答が終わると、化け物は後ろを向き、帰っていった。
馬鹿で賢いお客様。
愚かで聡いお客様。
あなたは見事赦された。
我らが主に祝福された。
どうぞこのままお帰りください。
さすればあなたは元通り。
また迷うことがあるのなら、
またこの場所へと来てしまう。
そうならぬよう気をつけて。
そうさせぬよう気をつけて。
ふと、目を覚ました。
「今日の営業時間は終了しました。またのお越しをお待ちしております。」
園内にアナウンスが鳴り響く。
今この場に残っているのは二人だけ。
早くこの遊園地から出てしまおう。
彼女はまだ目を覚まさない。
彼女を背負ってこの場所を立ち去った。
翌日、彼女はいつも通り目を覚ました。
「なんか変な夢見ちゃった。」
夢じゃないよ、とは言わなかった。
ふと、気になってあの遊園地を探してみた。
すると、その場所には遊園地なんてものはなく、あるのは小さな古びた祠だけだった。
「ねえ、また今度、遊園地いかない?」
彼女は明るくそう言った。