京師にて②
実際、もうどういう状態なのかよくは分からない。
だが超高速の馬車で日暮れと同時に粟田口に着いた時、牛の次郎丸はすでに到着していた。
ナニコイツ、実は超能力でもあるの?
それとも、知られてないだけでウシって馬より速いんだっけ?
それよりもなによりも、逢坂山つづら折り越えでの相次ぐ急旋回で、腰の骨が粉砕されたかのようだ。
当然の如く我等がルキ様はこっちの意など少しも解せず、ニコヤカに馬車から降りろと命じる。
「はいよ、到着、到着~。さっさと降りれ~」
「ハァハァ…し、死ぬかと思った……」
「な、なんという速さじゃ……」
さすがの澪ですら、馬車から崩れ落ちるように降りてからしゃがみこんでしまった。その様子にどうも御不満らしく、ルキがプウッと頬を膨らませる。
「ケッ、こんくらいの速度でビビってんじゃあないよ、そんなこっちゃら立派な馬借になれねーぞ」
「……別になる気は無いんだが」と、言いかけて火に油を注ぐようなもんだと気付き、慌てて口を両手で蓋する。そこに夕闇の長い影が視線に入って顔を上げた。
秋の季節独特の長い影かと思ったらそこには本当に背の高い人物が居た。蓬髪ではあるがどうやら女性の様だ。
「お待ちしておりましたニャ、ルキ様。早速ではございミャすが、本日の“借り”を返してもらうべく、参上仕りましたニャ……」
その体躯に似合わず、ニャアニャアと可愛い声を出す。
「いよぉ、石川ン所の虎じゃねえか! 久しぶり……ってどうしたんだい、随分急な物言いじゃないか?」
その人物に気付いたルキが手を振りかけて、急に声を潜めた。それに対し、高身長の女も身を屈めてヒソヒソ話に切り替える。
「…それも、兄の甲斐性の無さが原因ですニャ。先般より敵対していた“白河衆”が、我々の手数が少ない時を狙って攻勢に出たのですニャ。それがイヨイヨ抜き差しならにゃい事にニャってきたのです」
「ほお…白河衆とな……かの有名な“白河印字打衆”の事か」
今まで黙っていた澪が、頬をさすりながら興味深げに口を挿んだ。
「“いんじうちしゅう”…ってナニ?」
すると長身の蓬髪娘が訝しげにこちらを見つつ、ルキに訊ねた。
「……アノ…失礼ですが、そちらの方々は?」
「ああ、この連中が例の村の奴等。右から要領悪そうなのが悪七、侍のカッコしたネエチャンが澪、田舎丸出し娘が信乃だ。そんでこっちのひょろ長いボサボサ髪が“石川党神人衆”頭領の妹、虎御前だ」
オイ、何だか雑でいい加減な説明だな。しかも誰も得してないし。
「むう…今の紹介には些か納得いかないが……石川党という事は…今朝の飛礫は、やはり彼等の“印字打ち”によるものなのか」
フムと澪が頷けば、ルキも、虎と云う長身娘も同様に相槌を打つ。
なんなんだ一体?
「え、どういうこと? 『オレ』にも分かる様に説明してよ」
ツアッとアカラサマに舌打ちしてから、鼻くそをほじりつつ簡潔に教えだすルキ。くっそ、我慢だ…「オレ」は我慢できる…出来る子!
「メンドウだなぁ…だからぁ、今日侍共を襲ってきた石礫は、オレッチが昨日この石川党とお願いしてきたの。で、合図と共に石を投げてもらった訳。そんで、そのツケを今すぐ払えと言ってるの」
「そこからはアチシが説明を。八坂神社領や建仁寺領内に逃げ込んで棲む困窮した民の事を、京師の口さがない民草は“まつろわぬ者”として、『犬神人』と呼びますニャ。そして彼等を統括・警護する組織として我等『石川党』が存在してるんですニャ」
やはり村を出て良かった。というか、村を出てから驚きの連続だ。
ルキの小馬鹿にしつつ人を見下した態度は非常に腹が立つが、それでもいろいろと知らなかった世界がどんどん開けていくのは楽しい。それにしても“犬”神人なのに、語尾がニャーニャー言う虎が面白い。
「彼等は“エタ”に所属し、街中の棄てられた人の死体を河原に持って行って焼き、また牛馬・狗等を屠っては革など加工して生計を立てておりますニャ。それらから拵えた弦や弦巻、膠などを売ったりしております」
人語を介するとは思えないが、不意に次郎丸がブルリと体を震わせた。
「ああ知ってる…アンタ等“つるめそ”ってやつだね!」
やっと知ってる話題になったのか、嬉しそうに信乃が声を上げた。
「そうですニャ。中には業の病に罹った者同士の“惣”もありミャすが、何より我等の収入の大半を占めるのが“犬追物”と“印字打”ニャのです」
再びニヤリとする澪。侍の家に生まれたせいなのか、なんだかんだで澪はよく物事を知っている…と思う。
「ほぅ、犬追い物とは雅な……しかし今ではあまりやらんのではないか?」
「仰る通りですニャ。昔は一色様や赤松様、細川様や山名様でさえ催しされたもので、金子数千貫も要して犬を五百頭も使った大々的なものもありましたニャ。しかし最近では六角様や三好様が居た頃、少々やった程度のモノで…“右府様”の時代になってからはこれっぽっちも……」
後で聞いた話によると、“犬追い物”というのは騎馬武者が馬上弓の鍛錬の為に行う競技で、追い立てられた犬を射止めるという内容らしい。各々大名の若武者が名を上げる為の花形競技だったらしく、見物客で賑わい、桟敷席は有料で、それでも元が取れたという。
しかし競技とはいえ、神域の『公界』で行われるので流血は嫌われ、矢の先には刺さらぬよう丸い木の玉が付いていた。それでも一度犬追い物を経験した狗は怯えて役に立たぬ為、犬神人達が競技終了後、狗鍋にして観客に振舞ったという。
中にはそれが目的で見物する者も居たらしい。
犬を追う勢子から、犬を集める者、そして犬を解体して鍋にする者…犬神人の『犬』とはそういう所から付いているのだそうだ。
「そこでもう一つの稼ぎ頭と言えるものが“印字打ち”なのですニャ」
ボンヤリ聞いているうちに、いつの間にやら犬追い物から印字打ちの話に変わっていた。
「かつては武田甲斐守にも召され、武田の軍団が最強になったという謂れを持つものだな」
したり顔で澪が頷く。どうやら澪は、今まで知っているウンチクが披露出来て嬉しいらしい。
「よく知ってるね澪チン。だけどそれは“白河印字打ち衆”の方だげんちょな…キキキ」
ルキに突っ込まれ、ちょっと赤面する澪。そのスキに隣の信乃の小脇を肘でちょこっとつつき、そっと耳打ちする。
「…なあ、信乃。あそこの三人だけで分かってて、『オレ』達だけ分からないってのも癪だよな」
すると実に意外そうな顔をして信乃がこっちを見返した。
「…え、アタシャ分かるよ。“印字打ち”って、要は石打って意味でしょ」
なんてこった! 世間知らず仲間だと思っていたらとんだ誤算で、何も知らないというのは「オレ」独りだということを。今の今まで知らなかったとは、情けない。
「え? あ、そうなの」
印字打ち…コレも後でサンザ馬鹿にされながら教わった事だが、平安の古より行われている礫合戦で、河原で石を投げ合うのだ。だが、あまりに危険なため、時の統べる者達が幾度となく停止命令を出しているらしい。だが、いつもなし崩し的に再開されているのだという。
「この石投げの技術を高め、命中率や到達距離を上げて戦場に召される様になったのが“白河衆”でしたニャ」
「ふむふむ」
「だがそこに馬借と組んで、より高機動力、より遠方まで請け負える集団が突如出現した訳じゃな……」
キラリとルキの目が光ったが、澪に対して今度は何もツッコまなかった。
「そうですニャ。それこそが、奈良の八田坂より戦災で流れてきたエタの流れと謂われている我等、石川党なのですニャ!」
「まー、昔から京師で“瀬田童子”とつるんでいた“白河衆”と、奈良の“八瀬童子”に支援された“石川党”という似た者同士が、似たような事業展開してりゃあ、いつかは衝突するわなあ」
…なるほど、なんとか分かってきたぞ。
つまり老舗だった白河衆の縄張りに、新興の石川党が切り込んできたから白河衆としては面白く無い。そこで、石川党が手薄なのを狙って一気に潰そうと目論んだという訳か。
ん?
しかし、そんな情報をどうやって知ったんだ?
「それもこれも、我が兄・五右衛門の性格が優柔不断でおっとりしてたせいで、白河衆に付け込まれたんです。しかも各地に同朋を皆送り出したスキを狙って、決闘を申し込んできたんです」
クッと涙を噛み締める虎。どうやら兄さんの名前は石川党の五右衛門というらしい。湿っぽくなってきたので話を逸らそうと、さっきの疑問をぶつけてみる。
「…偶然で、たまたまじゃないの?」
途端にキッと虎に睨まれてしまった。
「河原者の情報網はどこよりも正確でしかも早いのですニャー!」
そういえば、忍びの者はこういった者達から主に情報のやり取りや交換をすると聞く。とすれば、河原というのは情報の集積場なのかもしれない。
ふーむ、と少し長い溜息をつくルキ。
「しかし、なんだか話の雲行きが怪しくなってきたぞ……」
「いやまあ、そんなに構えニャいで。先の“天文法華の乱”以降、未だ京の半分は焼け落ちたままです。その廃墟を使って互いに十対十の石合戦にて決着を付けようとなったのです」
「オレ」がゴクリと咽喉を鳴らし、肝心の確認をする。
「まさか…それに加われと言うんじゃあるまいな?」
「ご名答」
今日一番の笑顔で虎が応じた。すると意外にも信乃が鷹揚に笑って「オレ」や澪の肩を叩いた。
「良いじゃないか悪七。アタシ等本来、今朝までの命だったかもしれないんだぜ……それに馬借の大将はなんか案でもあるんじゃないの?」
そう言ってルキの顔を見ながらニヤリと笑う。皆、腹の探り合いがウマイ。
「ムホホ、そうさなあ……それよりもオレッチ等これから難攻不落と言われた有岡城を攻略しなきゃなんねんだけんちょ、加勢する代わりに『盤古練』について何か教えてくれない?」
のらりくらりと質問を逸らしつつ、今度は虎に逆質問をした。
「ん……お主、『盤古練』が何だか知らないのか?」
澪が不審そうな顔でルキの顔を見やったが、聞こえなかったのかどこ吹く風だ。それにしても何も知らない武器(?)で城攻め一番槍を引き受けたのか……大した器量なのか、大バカなのかよく分からない。
「ムッホホホ、細かい事は気にしなさんな」
そう言われて考え込む虎。
「フム…我等に攻城の技術はニャいが……いや待てよ、長老に訊けば……或いはニャ……」
一瞬、ルキの瞳が光ったのを見逃さなかった。
「おっ? 何だかいい流れ~」
だが敵もさるもの、虎御前。
ひょいっとルキの追及を躱し、にんまりと笑みを返す。
「おっと、教えるのは白河衆との戦に勝ってからにしましょうニャ~」
おもむろにルキがこちらを向いて、ニコやかに告げた。
「…という事ですわ、諸君。さあ目的の為に頑張ろうではないかぁ!」
トホホ…結局やる羽目になるのか。…いや、分かっていた、分かってたさ……
『オレ』は今日、諦観の笑みというモノを習得した。
10年前の小説ですが……こうして改めて校了すると、若さというか、奔放さにビックリしますな。お恥ずかしい。