女村にて⑤
―曇り時々、馬の嘶きと侍達の阿鼻叫喚、後に青天へと変わるでしょう―
ルキが例の不思議な呪文と妙な地団太を止めると、ピタリと石礫が止まった。
主を落とした馬達はそのまま、侍どもを見捨てて何処かに逃げてしまった様だ。呆気にとられているのは武士だけじゃなく村の連中も一緒。
眼前に起こった事が認められないまま固まってしまって、眉毛一つ動かす事が出来ない。
「ぐぬぅぅ…こ、こうなったら……城内の兵に下知を飛ばして一気呵成に、村諸共焼き滅ぼしてくれるわっ」
弥平次が捨てゼリフを吐くと、未だ残っていた馬に手をかけ駆け去ろうとしたその時。
まさに新たな騎馬武者が十騎ほど駆け寄ってくるのが見えた。今度こそ万事休すか。
「おお、コレはなんたる重畳。ご同朋達安心めされい、援軍が参りましたぞ!」
しかし、どうも様子が違う。
「三宅左馬助弥平次控えおろう!」
「へ?」
「明智日向守様直属の母衣衆であるぞ。控え、控えい!」
「はは~!」
揃いの麻青の母衣を背負った騎馬武者、それは弥平次の連れてきた騎馬武者とは違い、実に統率がとれている感じを受ける。もし、初めにこいつらの襲撃を受けていたら……背筋に寒いものが走った。
「ニャハハハ、四つん這いになってやっぱ犬じゃん。わんわんわ~ん」
場の空気を読まずにルキだけ独りで調子に乗っている。弥平次が実に悔しそうに涙を垂らした。
「ぐぬぅ…くっそぉ~」
弥平次の涙をニヤニヤ眺めていたルキがやおら立ち上がり、母衣衆をキッと睨むと叫んだ。
「…で、もう一戦始める気かい? 十兵衛さんやい!」
「無礼者! お館様の字を易々と呼び付けるで無い。それにココにはお館様はおられぬ」
ざわつく母衣衆。
十兵衛?……そ、それって。
「いや、そういうのは良いから…顔出しなよ惟任さん」
「フフフ、よくぞワシが居ると分かったな。ルキとやら」
鎧も付けず平服で初老の男性が満を持して前面へと馬を進めてくる。顔は見た事が無い、というか、雲上人の如き存在の人物……明智日向守十兵衛光秀だ。
「ニャハハハ…街道の口さがない噂雀の話では、アンタは現場主義で情報の徹底には労を厭わないという話だったからな。こんな騒ぎを聞いて直に見てみたくなったんじゃない?」
「その通り。しかし、危うい論理よ。もしワシが居なかったらどうするんだね。まるで良い面の皮じゃないか」
「“たら・れば”を言っても始まんないョ。アンタは実際ココに来ているんだし…それよりどうするんだい、この落とし処?」
天下の武将に向かって、堂々と腕組みしながら説教垂れるルキのその姿は、現実味がまるでなく、我が目を疑ってゴシゴシと擦った。
「フフッ、弥平次の無礼は詫びよう。これも謹厳実直ながら少々融通が利かない。近々養子に迎えて鍛え直すつもりじゃ。だからこのワシに免じて許してくれないか」
「フフン、タヌキ親父。その事を言ってるんじゃないって事くらい分かってるくせに」
「むう…この村の仕置については変わらんぞ。寧ろ変える事が“出来ない”と言った方が早いか」
「フン、なるほど。結局アンタも最終決定権を持っていない中継ぎにしかないという訳か…いや、それとも他の村に示しが付かないから、見せしめに滅ぼそうと考えているのかな?」
「そうかもしれないし、そうでないかもしれん」
玉虫色の返答。だが粛々とやる事には変わりないという気概と覚悟が見える言葉でもある。それを知ってか、ルキの眦が上がる。
「見てみろや、このシミッタレてショボクレタ連中を。アンタ等が御大層な天下やら大義の為と言って戦を繰り返した結果がコレだよ。民を食いつぶして何が天下布武さ。ソレは人間の尊厳を奪ってまでやる事なのかい?」
うな垂れる村の連中。言いたい事も言えないこんな世の中じゃ、人と言うのは只聞き流すしかできないのか。
「その通り。返す言葉も無い」
圧倒的強者!
言葉での覆りが無いと嵩をくくっているから逆にルキの言葉を聞き流せる。
言葉など我が事の様に受け止めるべきではないのか。それともそんなにも生きてる世界が違うのか。
「逃げる事も抵抗も叶わず、要求に応える事も出来ず…人としての尊厳も奪われて水だけ飲んで生きながらえろと言うのかい?」
クッ…と声が漏れる。弱い者はただただ搾取される存在なのか。村人にも一分の魂は在った。
「そこまで言うのなら、証明をしてみよ、ルキ。戦場に於いて最も役立たずな女子供でも、相応の役に立つという事を」
「ふん、バァーカ。そうそう簡単に乗せられるかってえんだバロチキショイ!…と、言いたいトコだが、そんな余裕も無いか。良いよ。オレッチ等が戦場でも役に立つという事を証明すればこの村は救われるんだな?」
だが、明智十兵衛はしたたかに首を横へと振る。
「いいや…ただ従軍するのであればそれこそ誰にだって出来る。ここまでの大風呂敷を広げた以上、それ相応の戦果が欲しい所だがな」
「…望みは?」
我が村の事なのに、もはや誰も口を挿めない。ただ、誰もがこの肝を冷やす様なやり取りを黙って聞き流すのが精一杯だった。ルキ独りだけがここでの発言を認められているのだ。
何故なら、空気を読まないから。
「フフフ…良いだろう。敵城への一番乗り、オレッチがやってやらあ!」
ハアアアア!?
あの第六天魔王の全軍が総力上げて一年以上落とせなかった城を抜くって言うのか…どの口が!
「お、恐れながら…この者の言う事は戯言にて―」
と言いかける村長・太兵衛の声を、同じく平伏したままの弥平次が妙にドスの利いた声で叩き潰す。
「コレは。アノ女とお館様の談判だ…もうこなたの権限は離れている!」
「……もし無理なら?」
長考の後に日向守が呟く。きっと彼が思っている以上の大風呂敷だったのだろう。
「ハハハハハ、そん時はこの村でもなんでも焼き滅ぼせよ。それがアンタ等の望んでいた事じゃにゃいのか?」
「そ、それでも人間か?」
村人から罵声が飛ぶも馬耳東風。
「ふざけるなよ…じゃあ、自分のケツくれえ自分で拭けや! ピーピー文句言ってても何も変われないことくらいいい加減気付けよ。何もしないで自滅しようとしてテメエ等のケツ持ってやってる事くれええ察しろ!」
ルキの一喝に村の連中も萎んでしまう。
そう、その通りなのだ。
これは本来、この村の問題。それをルキに押付ける方が間違っている。
「ルキ、じゃあ『オレ』も連れて行ってくれよ」
思わず立ち上がっていた。
「…良いのかい、現世はアンタが思ってる様な楽しい事ばっかりじゃないぜ?」
「…アア。『オレ』は世界が見たい。ソレに元々この村に居場所は無かった」
一瞬、ルキが心の底から笑った気がした。
「さあ。他にこの村の名誉の為、戦働きをしようとやる気のあるヤツぁは居ないか?」
シーン……
誰も立ち上がろうとはしない。
「まあ、こんなもんだろう……」
ルキが鼻で嗤った時。すっくと2人が立ち上がった。
「アタイはこの村の為なんかじゃない。旦那と生きて会うために付いていく」と、信乃。
「私は、私の名誉のために戦へ参陣する!」と澪。
「ふん…他には居ないか…で、どうする?」
もったいぶった顔で明智へと顎を差し向けるルキ。
「どう…とは?」
「ふざけんじゃいョ、こんだけの不良債権引き取ろうってえんだ、何がしかの報酬はあるんだろうな?」
「さすが、“ワタリのルキ”だけはある。一筋縄ではいかぬものよ」
「ナニ、オレッチの事知ってるの?」
「それはそうだ。この世界、“ワタリのルキ”を知らぬ近畿の戦国はおらぬよ」
フヘヘヘとニヤけるルキ。ひょっとして“煽て”に弱いんじゃ……
「何が望みじゃ?」
「イヨッ…それを待っていた。実はもう、オレッチ雇われてるんだよね」
そう言って『オレ』を見るルキ。
どういう事だ?
「その者からの報酬とは…?」
「何と驚け、『小烏丸』だ」
一斉に轟く様なドヨメキが起こる。
コガラスマル?
ハテ、一体何のことやら?
こっそりルキに訊いてみた。
「バカ、オメエのジジィがくれるって約束した刀の事だよ!」
「ヘッ、あの刀って有名なの?」
「…オメエ本当にバカだな。ま、だからこそずっと守られていたともいうべきか…平家筆頭が所蔵すべき、正統性を示す宝刀だよ。…源平合戦の頃からずっと行方不明だったんだよ」
悪七兵衛景清。最後にして最大の平家の守護神。確かに言われてみれば景清の子孫こそがお守り刀たるウチにあるのが相応しい。しかし、幼い頃から牛の牧草飼っていたあの小汚い刀が…そうなのか………
考え込んだ『オレ』を放っておいて、更にルキが話を進める。
「だが、こいつぁアンタも分かる様に過分な報酬だ。国一つ分にも匹敵するモノだからな。だから……」
ここで一区切りして、ペロリと舌なめずりする。
「アンタの持つ、『癬丸』が欲しい」
「…癬丸を何故知っている?」
「フフーフ、馬借を舐めるんじゃないョ。情報網を持っているのは草の者だけの得意技じゃないぜ?」
「フッ…ならば多くは問うまい…しかし、なぜ“癬丸”を?」
如何にも不思議そうな顔をして明智十兵衛がルキを見返す。
「だって、悪七は悪七兵衛景清の子孫なんだぜ。小烏丸をオレが取り上げちまうんだから、代わりとなったら“癬丸”しかないだろう」
癬丸…後から聞いた話によると、景清の愛刀だったとか言う…しかし、持つ者が不吉な事に襲われるとして美濃の大名斉藤家の家臣、陰山某が持っていたという。同じく斉藤家の家臣であった経緯で明智家に伝わっていたのか。しかし、自分が今持っている刀がそんなにも価値のあるものだとは…驚きの連続だ。
「よく知っておる…しかし、何の智謀策略も無く、我が家の家宝を手渡す訳にはいかないぞ…何か秘策でもあるのか」
「応ともよ……そうさな。先ずやれるとしたら、『盤古練』で先陣切るしかねえやな」
バンコネル
そこに居た全員が不可思議な語彙に首をかしげる。しかし、明智だけは理解した様だ。
「フハハ、お主が『盤古練』を駆使すると申すか、面白い! 是非やってみよ」
と呵呵大笑。
「…しかして、設計図は如何とする」
「何でも訊けば教えるほど、甘かねえやい。オメエの母ちゃんじゃねえんだぞ」
お互いの腹の探り合いは終わったようだ。
共に重低音の笑いを残して背を向ける。騎馬武者や弥平次達が「覚えてやがれ!」と分かり易い捨てゼリフを残して去っていく。
「あ、ありがとう…ルキ殿」
村長の太兵衛が握手を求める。が、文字通り一蹴した。
「バッキャーロイ! アンタ達のせいで、いらねえ業を背負っちまったよコンチキセウ。早く用意して、戦の準備だ」
「な、何をすれば良いか?」
澪がおずおずと訊く。
「アンタ達、志願組はスグに出立の準備だ……しかし『盤古練』を始動するのに人数が足りねえ、そうさな、最低7人…だからあと3人足んねえやな。誰か追加で加わる者はいねえかい?」
しかし、そこに待っていたのは静寂。
「ニャハハハ…そうだった……アンタらそういう人間だったョ。うっかり忘れて声かけちまったオレッチが悪いやな…まあいい、じゃ不足人員はその都度調達すっか」
うな垂れる村人達。まあ、分からなくもない。環境を激変させるという事は大きな障害も覚悟しなければならない。
若ければ無謀ゆえ乗り越えれるかもしれないが、年を経た後では躊躇するのも無理はない。
「悪七……せめてもの手向けじゃ、牛の次郎丸も一緒に連れて行くと良い」
今までの尊大な態度はどこへやら、村長の太兵衛が次郎丸の供出を申し出てきた。
ふざけるなよ、今までのあの態度は何だ…と言う気持ちも無くは無い。
だけど、こういう生き方も自分の家族を守る為には必要なんだ…と気持ちをグッと呑みこみ、表情を出さずに頷いて受け取る事にした。
「悪七、悪かったと思ってはいる、しかし、これは『お前の為でもあった』んだよ」
今まで我慢していたものが思わず込み上げて、握り拳を振り上げそうになる。それをそっと押しとどめるのはルキ。
「大人になるってこったあ……苦ぇ経験の連続、さ」
目の前にはもう旅支度を整えた信乃と澪が手を振っている。まあ『オレ』も含めて、生まれて初めて外の世界に旅立つ事となる。
憎しみに絡め取られるよりも前を向いて行こう、そう自らに誓った。
「ニャハハ! じゃあ早速早駆だ~、なんたって時は金なりだからな~」
ルキの掛け声一閃。
立つ鳥跡を濁さず、誰一人として後ろを振り向く事も無く駆けだす。
村人達は未だに何が起こったのかすらよく分かっていない。
そりゃそうだ。『オレ』だってよく分からないだんだから。
ただ、ルキの持つハッタリ…情熱に引きずられてしまったという事なんだろう。
外へ出たくても叶わず、何処かへ行きたくとも行けず、ずっと燻っていたこの村を『オレ』達は呆気なく飛び出していた。
「悪七……やっぱり、外に行っちゃった……」
そんな『オレ』達一行を、村が一望できる一本松の丘で見つめる少女が一人。
「必ず、こっちに振り向かせてみせるッス……」
世の中は『オレ』が思っているよりもずっと複雑で怪奇だ。