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攻城のルキ  作者: いのしげ
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有岡城にて⑥


 各陣場の周りには出店がたくさん並んでいる。

 その中でも白湯屋がなんと言っても一番人気か。長期の戦ともなれば慣れぬ戦場飯に腹を下す者も多い。そこで水に当たらぬよう、沸かせたお湯を売るのだ。長引く戦では薪が貴重になる。だからたかが白湯ではあるが、されど白湯なんだ。

 少し“色”を足せば、麦飯と漬物の菜っ葉を刻んだ物を中に入れてくれる。これをサラサラとかっ込むと、なかなか乙な味なんだ。

 他にも酒粕汁屋も居る。これも戦場での定番で、弱った身体に沁みわたるのは明智の陣内で貰ったのだから折り紙付きだ。

 定番と言えば女郎屋である。どこからこんなに現れたのかと思うくらい、たくさんの女郎や歩き巫女がせっせと営業をかけている。


 その中で、一風変わった出店を発見した。屋台に車が付いており、移動に便利になっている。立て戸板には「ソハキリ」と書いてある。

 ソバ……って蕎麦の事か?

 蕎麦は普通掻いて練る「ソハカイ」か、そのまま煮込む「ソハカユ」しかない。キリって、蕎麦を刻むのかな?

 あんまり美味いモンじゃないけど、好奇心が勝って一つ注文してみた。16文とやや高い買い物だ。

 還俗した坊主らしき親父が鬱蒼と頷き、ややあって蒸器に乗せた緑色の麺と味噌だまりみたいな付け汁を入れた小器を出す。

 「うっ…ぅんまぁぁぁ!!」

 持参の箸で付け汁に麺をどっぷり付けて啜ると、今まで味わったことのない清涼感溢れる味が広がる。麺は噛めば噛むほど蕎麦の香りが広がって、モチモチツルリだ。これがアノ蕎麦とはなかなか信じ難い。

 野卑な中に典雅な趣がある、逸品だ。後で皆にも教えてやろう。その前にもう一度食いたいと思って「オカワリ!」と声を上げた。

 が、その声が重なる。

 その声がした方を見た時、思わず箸を落としてしまった。

 …いや、いつかは邂逅するだろう。そうは思っていた。でもこの間合いなのかよ……

 『オレ』の視線の先には、雛が居た。


 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 


 村に居た時より、良い召し物来てるし、なんかあか抜けて艶めかしくなったなあ、ヒナ……

 なんてボンヤリ考えていると、喉の奥でクッヒッヒッヒと笑いながらこっちを指さしてきた。 

 「フッフッフ~、ここで会ったが百年目。とうとう捕まえたッスよ~」

 いやいや、別に逃げてたわけじゃないんだけど………

 「あの赤髪アバズレ屁負い比丘尼はどこ行ったんスか~」

 「屁負い……ってルキの事かよ!? あっちでこの戦の総仕上げしてる処さ」

 「悪七はあのアバズレに騙されているッスよ。あいつは自分の利益の事しか考えていないんス」

 アバズレアバズレって…ちょっと口の悪いところはあるけど、そんなにルキはアバズレじゃないぞ、と流石にカチンときた。

 「そんな事はない、ヒナにルキの何が分かるって言うんだ!」

 「ああ、分かんないス。だってアイツは心を悟らせない様にしているから。悪七だって実際何も分かっていないと思うッスよ」

 「………」

 確かに。ルキには普段のおどけた部分の奥底に、立ち入る事の出来ない一線がある。海部に行った時に分かった事だって、まだ一部分でしかないんだ。

 考え込んだ『オレ』を見て、勝ち誇ったように綺羅美やかな袖を振って自分を指す雛。

 「アタシは違うッス。悪七の事をちゃんと考えているッスよ。もうこんなシガラミ全部投げ出して、二人だけで新天地で生きていこうッス」

 金ならあると、バンと懐を叩く。確かになんだか十分持ってそうだ。

 「…村はどうするんだ?」

 『オレ』の問いに鼻を鳴らす。

 「あんな村、どうでもイイッス。悪七だって良い思い出なんか何も無いでしょ?」

 ああ、そうだ。ずっと村八分で、嫌だ嫌だと思って生きてきた。こんな村出て、侍になって、見返してやろう……ずっとそう思って生きてきた。

 …だから判った事がある。

 「…ヒナ。キミを見ていてはっきり分かった。如何に憎かろうと、女村は自分の故郷だ。それを憎しみだけで捨てようとするキミは、かつての『オレ』だ。だから良く分かる。人は心の故郷を捨て去って生きていけるほど、強くはないんだ。いつかどこかで破綻する!」

 すると、今まで勝ち誇っていた雛の顔が紅潮して、怒鳴りだした。

 「…なによ、アタシはアンタの事を思って、故郷を捨てたのよ。今さらそんなのって無いじゃない!」

 「いや…まだ、ヒナならやり直せる。村に帰るんだ」

 ヒナには太兵衛が居る。お小言は喰らうだろう。だが、あのヒナを溺愛している太兵衛の事だ。それで済む筈だ。

 「ふざけんな! こっちにも矜持があるッスよ。ナニ独りだけ坊主みたいに悟ったつもりになってんスか! 結局なんだかんだ言って、アンタは故郷を捨てることに違いは無いじゃないッスか!」

 「いや、故郷を知ったからこそ弾みをつけて高く飛べるんだ。そのためにも跡を濁すわけにはいかない」

 今や泣き出して、せっかくのお化粧も台無しになってしまったヒナがなおも叫ぶ。

 「奇麗事言うな! アタシの愛が重いから、あのアバズレの所に逃げるって言え!」

 そうじゃない、そうじゃないんだ。もっと純粋に世界を見て知りたいんだ。でも、愛とか家庭を基準に持っているヒナとの話はこれ以上しても平行線なだけだ。

 だから、無情かもしれない。非情かも知れない。だけどケジメはつけなきゃ。

 「さよなら、ヒナ……」

 その時、一陣の突風が吹いて土煙が上がる。六甲おろしだ。

 その土煙が『オレ』と雛を分け隔てる。

 本当は『オレ』が女だと言っていまえば、もっと簡単に話は付いていたのかもしれない。だけど、今ここでバラスのは、それこそ雛の矜持が許さないだろう。

 いつか、子供が出来て、今日の事が「良い思い出だったね」と話し合える時が来ればいいけど……

 「なんでだよ~ぅ、アタシじゃ駄目なのかよ~ぉう! そんなにアイツが良いのかよ~ぉう!」

 地に伏して泣いている雛の鼻から、蕎麦がひょろりと出ている。それがなんだか逆にいとおしく感じた。


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