女村にて④
不自然な地響き。何やら騒々しい何かが近づいてくる。そして……「オレ」はソレをナニか知っていた。
サッと身を逸らして衝撃に備える。
「ヌッ?」何も知らない弥平次がマビサシ越しに正面を見据えた時、赤い大きな馬、赤い髪、目に見える様な怒号の嵐、そして後ろを追って来る大量の土煙を見たはずだ。
ドッカーン!
解かり易く盛大に、弥平次が乗っていた馬ごと吹き飛ばされる。ドッチャリと情けなくも落馬した模様。
「テヤンデェ、バロチキチョウ! 往来を塞ぐんじゃ無ぇぞ…もっと端っこ歩けってんだ、この丸太ン棒ィ!」
聞き馴染みのある快活な啖呵。埃まみれの顔を見上げるとそこには……
「ルキ!」
「ニャハハハ、いよぃ貧乏人! 土なんかでお化粧してどっかお出かけかい?」
「……ああ、ああ! 『オレ』を戦場に連れて行ってくれよ」
泥まみれの「オレ」の顔を見下ろすルキ。「オレ」の覚悟を見計らっているのだ。
「……武士としてかい?」
「いいや、『悪七』としてさ」
ルキの紅い瞳がジッとこっちを見る。緊張と恐怖の瞬間……時がいやに長く感じられる。
「…ヘン、イイだろう。随分イイ顔になった事だしな。それと、さっきのオメエさんの啖呵……良かったぜ」
なんと! 聞いてたのか。
何時から…いや、じゃあもっと早く助けてくれてもいいじゃないか…そう言おうとした時、騎馬武者軍団の中で動きがあった。
「ウウ…いててて…な、何奴じゃ?」
弥平次が顔を抑えつつ誰何したが、声が裏返ってオカマみたいだ。顔に蹄鉄の痕があるので、どうやら顔を馬に蹴られたらしい。さぞや痛かろう…と、少しだけ同情した。
「オウオウオウオウ、テメエ等みたいな五・七共に名乗るのも烏滸がましいってんだが、教えて欲しければ先ずテメエから名乗れってんだ、トンチキ!」
「と、トンチキじゃと! うぬぬ…愚弄しおって、いいか、ワシは明智家中にその人ありと言われた三宅弥平次じゃ! それと、何じゃその五・七とは!」
「ドーモ“佐平次”サン。オレッチの名前は馬借のルキ。荷駄の入用の際は今後ともヨロシク! …ま、五・七にゃあオレッチを雇えねえか、ニャハハハ!」
「ぐぬぬぬ、ワシの名前は“弥平次”だ! それに何じゃ、その…さっきから五・七と意味の判らぬことを言いおって」
「分からねえのかい? “六でなし”ってこったぁ」
馬に蹴られた馬面の弥平次の顔が真っ赤になって今度は茹蛸になった。
「ふ、ふざけるな…下郎のくせに武士を何だと思っておる!」
「ふざけるんじゃねえのはこっちだオゥ、チンピラ! テメエ等がノホホンと戦ゴッコしてられるのはいってえ誰のおかげだと思ってるんだ? ココに居る小汚い百姓共のお蔭じゃねえか。それを槍やら弓矢らで脅していい気になりやがって、ロクデナシがダメならこのダニ侍!」
「ゆ、許さん!」
「ヘン! ダニに例えちゃあダニが可哀想だ。おめえらなんか聞く耳も持たねえ、見えるモノも見えねえ、のっぺらぼうだ!」
「ご同朋、こ奴を生かしておいては武士の名折れ、討ってかかれ!」
裏返った声が耳に障り、度肝を抜かれた騎馬軍団に精気が甦る。
とはいえ、かの精鋭なる武者共の気息を一瞬でも食ってしまったルキの豪胆さと言ったら……ぼんやりその小さな背中を見つめていると、不意にルキが振り返った。
「オウ、悪七。オメエ、あんなモンに憧れてたんかい? アレが『侍』さ。強いモノには媚び諂い、弱いモンには暴力で屈服させる…言葉で敵わなきゃ力でねじ伏せる、そういったモンに成りたかったのかい?」
「違う……ルキ」負けじとグッと見つめ返す。
「オレが成りたかったのは、信念を持って、それに殉ずる気概を持った者だ。あんなヤツ等とは違う!」
「ボン!」
親指を反り立たせてニコリと笑顔を向けて、再び騎馬武者共に向き直るルキ。ぼ…ぼーん?
「ようようよう…木端侍共、その有るか無いかよく分かんねえ耳かっぽじってよっく聞きやがれい!」
「ご同朋、しばし待たれい…こ奴…何か隠しておるぞ!」
先頭の騎馬武者が思わず立ち止まる。それにつられて騎馬武者の突撃も停まる。しかし、少女一人に突撃というのも随分とオトナゲナイ話だ。
「ざっけんじゃねえぞ、ヤクザムライ!」
よく透るルキの声が木霊する。その声に、何故か村中の皆が背筋を正す。
「虐げられて、苛められて、そのくせ大局を知らねえだと? それを考えさせる暇を与えねえのは、テメエ等じゃねえか。バカを馬鹿にして、自分達は上の存在と思ってるのかも知れねえけど、ケッ、なんでえ、結局は同じ穴のムジナ、武士も百姓も昔は大差無かったじゃねえか」
「む、っむむううう…」
「昔、中国の皇帝は国乱れる時、世代交代を感じたっていうけどよ、アンタ等、天皇に取って代わってこの国を治めるつもりか? え? そういうのをなあ……」
ここで敢えてニヤリと笑い、一区切りするルキ。全体の空気の完全に支配してしまっている。
「簒奪者っていうんだぜ…え? 国盗人ども!」
「ぶ、武士をここまで愚弄するとは…! 構わぬ、斬って捨てよ! 彼奴バラは人に非ず! 妖怪の類じゃ!」
煮えダコとなった馬面の弥平次が怒号を発する。途端に、我に返った数十の騎馬武者共が少女のルキの為に槍を突き立てようと、迫りくる。
「ふ…フフフ! 妖怪と言ったな“茂平次”! 妖怪ならば、妖怪の矜持を見してやろう!」
「俺の名前は弥平次だーッ!」
眼前に迫りくる騎馬武者の群れ!
…だがしかし……!!
不意にトントンと、変なリズムで地団太を踏みしだくルキ。
「お前らが認識している世界だけが、総てじゃねえんだぜ…ニャハハハハ!……オンデイロデイロ、マカデイロ、ヨコデイロデイロ……」
急に声色を変え、ドロドロとした低い声で何やら呪文を唱えるルキ。そのあまりの不気味さに騎馬武者達の馬が止まってしまう。それでも止まぬルキの不思議な地団太の旋律。
「イテッ?」
不意にコツンと石が「オレ」の頭に当たる。「?」付近に石を投げたモノは見当たらない。
ザアアアアッ!
にわかに狐の嫁入りかの様な音がし出した……だが…降ってくるのは全て礫。
土砂降りの如く、雨霰と石が降り注いだ。
如何に鎧を帯びてようと、これだけ間断無い石礫の嵐の中では馬に乗っているのもままならず、それよりも馬が恐慌に陥って、主を落として逃げ出す始末。
「や…ヤツは本当の妖怪か?」
先ほどまで赤い顔をしていた弥平次が、今度は青い顔をして呟いた。これが面白い様に騎馬武者の周辺にしか礫が降っておらず、ただ村民達はぼんやりと呆けて見ているしかなかった。
確かに近隣で誰も石なんて投げていない。だが面白い様に礫が武者達を狙ってくる。
…五分も無かったような気がするし、永遠にも感じられたが、いつしか空は明るくなってそこに残っていたのは礫の集中豪雨にヤラレタ騎馬武者達が憐れに地面を張いつくばっている風景だった。