堺にて①
堺の朝は早い。
往来を人が行き来しており、賑やかしい。色々な国の南蛮人も居て、見ていて飽きない。
尤も忙しそうにしているのが半分、残りはグダグダと道の端っこや軒下で寝転がっている。フロイスが記したように「勉学熱心な半面、この国の人間はとても怠惰」と言うのも頷ける。
じゃあウチ等では誰が勤勉かと言うと、それは間違いなく澪の姐さんだ。澪姐さんは日課と言って、いつも剣の稽古を怠らない。そのまま遠掛けなんかもしており、逆に人攫いに遭わないか心配ではある。
碽は親父殿こと芝辻の鍛冶場に入り浸りで、なにやら一心不乱に鎚を振るっている。それこそ寝る間も惜しんでやっている様で、コッチはコッチで心配の種が尽きない。
残る信乃の姐さんも、なにやら漬物に興味がある様で、店店への梯子をして、なにやら考え込んでいる様子だ。そんで多分、昼からは牛と馬の世話をするんだろう。
つまり仲間内ではアチシこと、石川の虎以外は皆勤勉者であるということだ。ルキ姐と悪七が居れば間違いなくコッチ畑の仲間だと言うに……というか、あの二人が居らんとなんともツマラナイ寄り合いだニャア、ウチ等。
そう考えつつ、覆っていた筵も構わずに大きく伸びをする。魚屋の軒先が色々吟味した結果、一番日当たりが良くて寝易いのだ。
皆、やる事があって何より。
でもアチシは元々大坂までの道中案内だったからニャあ……ルキ姐が居ないんなら京師に帰ろうかニャ? もう五右衛門の兄貴も帰ってきてるだろうし。白川衆との争いが停止になっているって知ったら、兄貴驚くだニャ。
そうとなったら善は急げだ。皆ニャ悪いけど、アチシは面白そうだから付いてきてるだけだしね。ここいらで暇乞いするのも潮目ってもんだニャ。
虎がまた大きく伸びをした時、その長い足に引っかかったものが居た。
「おっと、悪かったニャ」
だが、墨染めの衣を着けた尼僧らしきその人物は、一瞥くれただけで何も言わずに足早に北の方へと立ち去っていく。
「……あれ、今のどこかで見たような?」
まあ記憶からすぐ出てこない様な人物ならば、大した事あるまいニャ。それより一言返しても良かろうに…クソ、思い返すとムカムカしてきたニャ。
やっぱゲン担ぎにもう少し寝ニャおすか。そう思って腕を枕にゴロリと横になると、残った方の掌を誰かが踏んだ。
「痛った!」
もう、いくらアチシが大柄だからってさっきから一体ニャン何だってえんだよ!
「あやややや……さーせんした、イヒヒ」
下卑た笑いをしながら一通りペコリと謝ったその女性は、アチシが顔を向けた時にはもう居なくなっていた。
…今の、甲賀のイスカじゃなかったかニャ?
まあ、良いニャ。お天道さんが通り過ぎたら、起きてなんかしよう。先の事なんかは先に考えれば良いニャ。なんだっけ、ルキ姐が昔言ってた南蛮の言葉、『ケ・セラ・セラ』。そんな感じだニャー……
人生に於いて大体二度ある事は三度ある。
寝入りばな、何者かがズッタリと覆いかぶさってきた。
「ニャニャニャニャ…ニャにするんだニャ!!」
慌てて跳ね起きると、覆いかぶさったのではなくて、男が倒れこんだのだという事が分かった。それにしてもこの男、顔がめり込んでいる。
こちらの抗議もどこ吹く風、倒れ込んだ男はオイオイ泣いている。
街道の反対側ではどうやら倒れこんだ男を殴り飛ばした様子の侍と、それを羽交い絞めにしている侍がなにやら言い争っている。
「放せ、栗山殿! わしゃあ腹が煮えくり返って仕方がないわい!」
「落ち着け、九郎。ここで太兵衛を責めても始まらんじゃろう!」
するとこっちに倒れこんだ男がガバッと大地に平伏し、物凄い大声で号泣し始めた。
「オォロロ~ン、ワシをもっと殴ってくれえ九郎! そうでもないと殿に申し訳がたたん!」
「甘い、今すぐ腹を召せぇい!」
「そんなことを言うものではないぞ、九郎。我等、殿を救い出すまではどんな艱難辛苦にも耐え、どんな屈辱も厭わないと誓った身ではないか!」
「オロロ~ン兄者、先立つ不幸を許して下されぇぇ!」
何なんだ……さっきから男臭い三文芝居を見せられているかのようだ。
「そこな女子、頼むから義弟が腹を切るのを止めて下され!」
見れば太兵衛とか言われていた顔のめり込んだ侍が、着物を割って上半身剥き出しにしていた。
慌てて、得意の掏り技で脇差を抜き取る。
「やや、ワシの脇差が無くなっておる…不覚、不覚じゃああああ!」
もう、煩いこと煩いこと。
一方、羽交い絞めしている方の侍達は幾分か冷静さを取り戻した様で、手拭いで汗を拭いている。
「あいや、騒がせてすまぬ。ワシの名前は栗山善助と申す」
兄者と呼ばれていた、年長で目の優しげな侍が丁寧に礼を陳べる。なかなかにデキた人柄っぽいニャ。
「拙者は井上九郎右衛門之房じゃ。我等、大願が有って堺にまで所用を果たしに参ったのでござるが、それをこの痴れ者が……」
目つきの悪い、いかり肩の九郎と呼ばれていた侍が、ペッと唾を吐いた先でしょげ返っているめり込んだ顔の侍がボソリと後を継いだ。
「左様、ワシがつい困っている尼御に情けをかけたがばかりに、路銀を盗まれてしまったのじゃ……」
よく見るとこの侍、顎がしゃくれているので顔がめり込んだみたいに見えるだけだったニャ。
「たわけ太兵衛! どうせ色目かなんか使われて邪な気持ちになったのを漬け込まれたんじゃろうが!」
また九郎が喚きだしたのを善助が押し留め、顎しゃくれ侍に優しく語りかける。
「太兵衛、武士は相身互いじゃ。騙されることはあっても武士に恥にはならぬ。寧ろ騙すのは武士の鏡に有らずじゃ。一種、布施をしたと思え、己を責めるな」
するとまたオロロ~ンと太兵衛が泣き出す始末。
「いや済まぬ。この母里太兵衛という男、義に篤く、激情な者ゆえ、ちと落ち着くに時間が掛かり申す」
困った顔をしながら善助がコッチに笑いかける。アチシを異形の者として不審がらずに礼を尽くすこの侍に、少なからず好感を持ったので、先日石山で一山当てた銭袋を差し出す。
「この銭で足りるのかニャ?」
「な、なんと。いかな銭に困っているとはいえ、こんな女子に恵んでもらうのは道理に合わず」
九郎が目を三白眼にして怒鳴りだした。
「でも、早くお殿さんを助け出したいんでしょ。銭がどこから手に入ったなんて言ってらんにゃいじゃにゃい?」
善助もアチシの意見にこくりと頷く。
「如何にも。女子に路銀を与かるなどと情けなさの極み。されど殿を救出するためには如何な恥辱であろうと耐えようと約束した我等三人ではないか」
「オロロ~ン、兄者ぁぁぁ! ワシは今、猛烈に申し訳ないと思っておるぅぅ!」
「栗山殿~! ワシも耐えるぞぉぉぉ!」
やがて三人とも互いに抱きしめあって往来で泣き出す始末。それを通りすがりの人が見世物と思って銭を投げ出した。もうこれで、金稼げるじゃニャいか。
「娘、まこと相すまぬ。この借りはいつか必ず返そう。名を聞かせてくれぬか?」
顎しゃくれの太兵衛が涙と鼻水でグシャグシャにしながら尋ねてきた。仕方なく京の河原の虎だと言うと、井上九郎はギョッとした顔をする。ま、河原者と聞けばこんな対応が当たり前。アチシ等ももう慣れたものだニャ。
しかし太兵衛は違った。ギュッと手を握り締めつつ、ボロボロ涙を流しながら「ありがとう、ありがとう」と感謝の念を押したんだニャ。こんな侍には会った事ニャい。
「さあ、路銀も借りたことだし、急いで有岡城に戻り、殿を救出せねば!」
善助が呼びかけた声にアチシに記憶がピクリと動かされる。
「……ニャンだって…有岡城だって?」
五右衛門兄貴、京師に帰るのはもうちょっと後にしようかと思う。なんだか面白そうな波乱がありそうだから。それに、やっぱ物語は最後まで見届けないとね!
栗山善助・井上九郎・母里太兵衛トリオが登場します、殿を助けるために。




