海部にて⑧
波をスイスイ掻き分け、驚くほど早く村上家の12艘の小早船がこっちへと近づいてくる。が、思ったほど鉄炮、打ち矢の応酬が無い。一気に乗り込んで制圧する気だ。
熊手のような物や鎖鎌みたいな物をブリブリ振り回している。きっとアレをひっかけて船を寄せるつもりなんだ。
「“ヤンガラモンガラ”が来るぞ! 手槍で払え!」
イガイガしたあの得物は“ヤンガラモンガラ”というらしい。アレで敵味方の船を固定されたらタマランという事で、赤錆男=吉次が手槍を持って、怒鳴りながらいち早く縁に付く。
その一つ一つは全てこの船を無傷で拿捕するため。冷徹なまでの行動原理を見せられて背筋に冷たいものが流れた。
「焙烙火矢はまだけ? 散らすっど、おらぁ!」
「そーらえい!」
吉次オジキの赤錆色の身体が膨張して、はちきれんばかりに号令を出す。すると水夫達が丼鉢を口で二つ組み合わせて紐が垂れ下がっているものを持ってきた。火縄がはみだしており、すでにもう火が付いてジリジリいっている。
それを手渡されるや否や、吉次がそれを思いっきりブン投げる。すると轟音と共に爆発四散して、村上家の小早船が蜘蛛の子を散らすように引き下がり、間合いを取り直す。
「今じゃ、火矢を放て!」
「そーらえ!」
逃げた小早船に火矢をバラバラ打ち込む。しかし敵も去るもの、竹で出来た矢立で器用に避けて、再度突入の機会を狙って来る。船に火は致命的だが、そうそう燃えるものでもないらしい。大体が水に困ることもないし。
その間に『オレ』等の乗った船はジグザグに動いて、敵の侵入を防ごうと身を捩じらせる。それは判るのだが、収まりつつあった船酔いが一気にぶり返して、手伝う事すらもままならない。縁に掴まっているのが精一杯だ。
「オジキぃ、このままじゃ埒が明かんぞ!」
ヤンガラモンガラを持って、ルキが吉次に向かって吼えた。ヤンガラモンガラで船に取り付いた鳶口や熊手を打ち払って、外しているのだ。
それにしても村上水軍の船は素早い。前に後ろに、スイスイ近寄ってはこちらの隙を窺って、手すきな部分を探しているのだ。
まるで狼の群れが鹿を集団で襲っているかのようで、決して決定打を持っているわけではないが、じわりじわりとこちらの集中力と反撃能力を削いでいるのだ。
実際、早くもこちらの手の内は無くなりつつあった。焙烙火矢は数が多くないので既に打ちつくしていたし、火矢ももう、火を付けている余裕が無いのでただの矢になってしまっていた。
しかも舵を狙われたようで、先ほどのジグザグ走行とは違い、船がふらふらと頼りない。
なにしろ前後左右を少ない水夫で賄おうとしているのだ、あっちこっちで救援を求める怒号で、もう何がなんだかよくわからないし、既に地獄の釜の縁に立っているんじゃないかと錯覚すらする。
「もはやこれまで……ルキ様、木材は曳航している小船に載せております。二人だけでもこの場はお逃げください!」
吉次が厳粛な眼差しでルキを見やった。未だ敵が乗り込んで来たわけではないが、それも時間の問題だろう。
鳴門瀬戸は過ぎて、もう確かに明石の陸が見えてはいる。とはいえ、あの村上水軍がこの小船を見逃してくれるのだろうか。それにルキにとってはそんな事は問題じゃない。
「嫌じゃ、オレッチもここに残って戦う!」
いつになく熱くなったルキの顔を、優しく両の掌で抑えて、穏やかな顔で吉次が諭すように言った。
「姫。姫はもうここには残らないと一昨日言ったではないですか。我等とて、姫の帰還は咽喉から手が出るほど渇望しております。けれど、我々の屍を超えていくことも出来ないグズッタレなんか、我々の慕っているルキ姫ではございませぬ」
「……!」
「おさらばです、姫。海に連なる、最後のまつろわぬ民として、姫だけでも無事に生き延びて下さいませ!」
そういうが早いか、吉次が『オレ』とルキの二人を焙烙火矢の要領で、後ろに曳航していた小船にブン投げた。
「オジキ~!」
海に落ちることも無く、無事、船に転がり落ちたルキが外聞も無く泣き叫ぶ。
やがて甲板にパッと火が広がった。敵に渡すくらいならばと火を放ったのだろう。同時に小船と伽楽船を結んでいた舫いがフッツリ切られる。
正真正銘、縁が切れたのだ。
「ルキ、戻ろう!」
「駄目じゃ、ここで戻ってはオジキの好意を無碍にする……櫂で須磨まで漕ぐぞ!」
「……ルキ、あ……」
「悪七、くどいぞ! 何も言うな!」
いや、ルキに言おうとしたこと。涙と鼻水でくしゃくしゃになったルキに聞く耳はなさそうなのでポンと肩を叩いて今来た方角を指差す。
パンパンに帆を張った関船が3隻。その帆の中心には……下り藤に藤の字……
「……親父殿!」
間違いない、阿波から海部衆の本隊である海部友光の軍勢が救援に駆けつけてくれたのだ。
伽楽船が燃えたと思ったのは、抱え石鉄砲で花火を噴き上げて、信号を送っていたからの様だ。
海部の関船は村上家にも負けぬ速度で水面を滑り、あっという間に小早船を蹴散らしていく。
櫓から石火矢をガンガン打ち込み、その速さに対応できない村上家の船が面白いように沈んでいく。生き残った船はさっさと洲本へと戻っていった。引き際の良さはさすが村上水軍といったところか。
「はっはっは、ルキよ」
一隻の関船がスッと寄せてきた。櫓の上というのと逆光で誰かはよく見えないが、きっと海部左近将監友光だろう。
「たまには親の背中でも見て、育つも悪くないだろう」
「けっ、ナニ言ってるんだ、クソ親父! そんな煤けた背中見なくとも立派に巣立って見せらあ!」
悪態をついたルキだが、見ると泣き笑いしている。よくそんな複雑なこと出来るなあ。
「はっはっは、どこまで出来るか、まあやってみい。それと、これは餞別じゃ」
そういってポウンと放り投げたのは一振りの刀。…ん、刀?
桜の鞘に渋柿を塗っており、革の柄巻き、何より剣先が太くて、刀というより山刀だ。
「海部刀……」
「そうじゃ、岩をも断つ絶品の一振りじゃ! 柿渋を塗っているので潮風にも強い! 少々見てくれは悪いが、お前が持つのにもっともじゃろう!」
がっはっは、と笑う友光は他の海部衆とは違い、色白で細面だった。
「あ…アリガトヨッ!」
胸にグッと来ていたルキが、感情を抑えてやっと感謝の言葉を出した時には、海部衆の船はもう遠くに移動してしまっていた。
ルキがせっかちなのは親譲りなのだな。
すると大声で船団に向かってルキが叫ぶ。
「頑張るとは言わない! いつかまた会った時、『頑張ったんだよ』って言ってやるからな!」
ドオンと返礼なのか、一発石火矢の音がした。
それから『オレ』とルキは、いつまでも海部衆が去った阿波の方向を眺めていた。
多大な資料を頂戴しました、海部町立博物館様に、この場を持ちまして御礼申し上げます。とても勉強になりました。




