海部にて⑦
まだ体調が万全ではないので、船から下りることも叶わず、またルキの姿すら全然見る事もできなかったので忠告する事もあたわず、まんじりともせずにその日は終わってしまった。
ルキに会えないのはもしや、アノ赤錆男が軟禁したからでは? とも思った。昼間の感じでは思いとどまった様に見えたが、気分が変わってルキを軟禁したとも考えられる。
モヤモヤとそんなことばかり考えていたら、一夜が明けてしまった。
「おはよう悪七。なんだ、スゲー顔だな。クマが凄いぞ!」
昨日のモヤモヤした時間を返して欲しいと思うくらい、ルキは至極普通に船上に現れた。
「る、ルキ! あの赤錆男に何かされなかったか……ていうか、大丈夫か?」
「ナニを寝ぼけてやがんだトンチキ。オジキは身内だぞ。こっちゃあ何ともねえし、寧ろ自分の顔を心配しろってえんだ」
むうう……もう二度とルキの心配なんかしてやるもんか、と心に誓う。
まあ、何事も無かったということだ、吉次というあの男もそんなに悪いヤツでもないのかも。
「それよりマンゴネルの設計図通り、木材の切り出しが終わったぞ。後は現地で微調整だな」
「ホントかい、じゃあいよいよ堺に行って皆と合流するんだね!」
たった数日なのに、妙に懐かしい信乃や澪、虎にコウの顔が次々と思い出されてくる。
「いや、堺には行かない。行くのは須磨だ」
走馬灯の様に思い浮かぶ皆の顔は、ルキの一言であっけなく霧散した。
「スマ!? え…じゃ、じゃあ信乃や澪達はどうするの?」
「安心しろって、もう昨日の船便で同じく須磨に行くように言っておいたぜ」
ホッ、なんだ…じゃあ明日には会えるわけだ。大事無いな。
「しかし何で…須磨?」
基本的な疑問が沸いたらすぐに尋ねる。コレはこの旅で覚えた教訓だ。
「堺に行くとまた石山本願寺を越えて行かなければならないだろう。手間じゃねーか。須磨だったら湊もあるし、荒木の花隈城からも遠い。何より、材料の持ち運びが楽チンだ」
「なんだ、じゃあ初めから船に積んでいく目算だったんだ」
ルキってば勿体ぶらずに初めから教えてくれれば良いのに。それともやっぱ親の力を借りるのが嫌で抵抗してたのかな? 素直じゃないんだから。
ところがルキときたら、複雑に顔をクシャクシャにして、髪もクシャクシャしながら煮え切らない感じだ。
「いや……今回たまたまョ。それに、洲本城の村上水軍が黙っているとは思えないから、結構一か八かだぜ?」
おかしい、昨日の赤錆男が言うには、海部衆は頻繁に瀬戸内を往来しているらしい。ならば村上家とは良好な関係にあるという事だろうに。
「でも、いつもは海部衆も行き来してるんだろ? なら問題無いじゃないか」
「ま、まあな。多分な……」
今までに無く、始終ムニャムニャと歯切れの悪いルキを見てると、まだまだ何かがある気がして、緩みかけた心を戒める。
そのためにも、一度少しでも寝ておこう、ふぁ~ぁ……
「淡路島が見えたぞ~、卯の舵をとれぇ!」
「そ~らえ~!」
船上に響くドラ声にビックリして起き上がると、もう船は出帆していた。二本柱にかかる帆がいっぱいに風を受けて広がっている。それに合わせ、ニャーニャー鳴くウミネコ達が歩調を合わせて一緒に飛んでいた。
甲板に出るとルキが、冬眠上がりの熊のように辺りをウロウロしている。
訊けばもう海部から経って大分経って、内海の紀伊水道に入ってるとの事。そういわれて景色を見れば、青い紀伊半島が薄く見える。舳先には大きな島、きっと淡路島だろうが見えてきた。
「洲本城を避けて左から回り込むんだが……あのじゃじゃ馬が出てこなければいいんだがニャー……」
ルキが後ろでぶつぶつ言っている。どうやら淡路島を左回りで行くらしい。普通、須磨は右から行った方が早いし近い。だが、右側には村上水軍の出先の居城、洲本城があるので迂回するとの事だ。
しかし一体なんで?
帆の真ん中に、赤茶けた下り藤の中にある“藤”の字。元は黒々と書かれていたのだろうが、日光と潮風で色落ちしてしまったのだろう。
「でもなんで、藤なんだろう」とルキに聞いてみる。
「いやーよくワカンネエけど、かつて瀬戸内で覇を唱えた藤原純友の子孫だからっていう話が、オレッチ的には好きだな!」
そういやルキの親父さんは友光って言ってたなあ。「友」の字が入っているのは、憧れなのかもしれない。今の時代と数百年も前の事が連綿と繋がって、息吹を感じる。それがなんだかくすぐったく感じた。
「ま、こういうのは合印って言ってな。サムライ共の旗印に近いかな?」
「へ~、じゃあ向こうにボンヤリ見える黒三ツ星に一文字はどこのなの」
「ああ、松浦党だな。アレは住吉三神をあらわす三ツ星で、一文字は水平線を表わしているんだ」
しかし目が良いなぁ、とボソリと呟くルキ。『オレ』もなんだか嬉しくなってあれこれ訊いてみる。
「なるほど、為になるなあ…じゃあ、あの小さな船の帆に書いてある、丸に上の字の合印は誰なの?」
「なぬ!? そりゃ村上水軍の……」
そう言いながらルキが仲間に警戒を呼びかけようと息を吸った時。
「見~つけた~ぞ、ルキ~! 海から逃げて陸で這い回ってたんじゃないのか~?」
突如海の向こうから耳元で怒鳴られたかのような大声が聞こえた。ビックリして見ると、例の小早船が10艘ほどこちらへとスルスル滑らせてくる。
先頭には妙に大身で、やっぱり赤銅色に肌を焼いた赤毛の女が仁王立ちしている。どうも海で過ごしていると、ルキみたいに髪の毛は赤くなってしまうものらしい。
アチャ~……とルキが呟くや否や、先ほどの声に負けない怒鳴り声で応酬した。
「うっさい、行かず後家! 今日はお前の相手なんぞしておられんのじゃ、甘葛やるから家で大人しくしゃぶってろ!」
すると大身女が地団太を踏んで悔しがっている。なんだかへうげじみていてオカシナ女だ。
「ワシは餓鬼か! 今日こそ、その船貰い受ける!」
すると大身女の後ろに控えていた村上水軍衆が手に手に武具を取り構え始めたのだ。
負けずと海部衆も矢来や石火矢を持ち出して緊張感が一気に高まる。そのなかで差配している例の赤錆男を見つけたので、何事か尋ねてみた。
「……何、アレ?」
「村上水軍にも娘和子がおるんじゃ。もう本当にいい年なのに、この船を狙って時々内海まで出張ってくるんじゃよ」
其処でふと気づいた。村上の大身の姫、他の人に比べて結構な長身な筈なのに『オレ』達は見下ろしていた。と、いう事はこの船……
「あのさ…もしかしてこの船って、特別製?」
「今頃気づいたんか! この船は外海の荒波にも耐えられる、南蛮製の“伽楽船”よ」
聞けば和舟は安定性が悪く、外海の荒波では転覆してしまうらしい。明に行くくらい迄なら問題無いのだが、それ以上の安南やシャムにまで行こうとするのなら“竜骨”と呼ばれる構造の船底が安定した船が不可欠なのだとか。
そして海外進出を狙っている村上家としては、海部衆が持つこの珍しい南蛮船が、咽喉から手が出るほど欲しい代物なのだとか。
だから基本的にこの船は内海では使わず、薩摩の坊津港に行く時に限定しているらしい。
「じゃあ、なんで今回は内海に行くのに使用したの?」
「糞たわけ! お前がまだ万全じゃないから船を変えずにしろという、ルキ様の心遣いじゃろうが!」
な、なんと!
愛されてるなあ、『オレ』……




