海部にて③
「…熱が凄くてうなされてますぜ」
何者かのガラガラ声が頭に響く。
「仕方ないさ、溺れ死にかけたんだからな…それより、運良く助けてもらい助かったぞ」
反応したのはルキの声…だと思う。
ギイギイ音がすることや、ゆっくり揺れている事から考えてみるに、大きな船の中だというのはなんとなく分かった。どうやら「オレ」は海に放り出されて熱を出して寝込んでいるようだ。どうにも、目を開けることすらままならない。
しかしなんとかうっすら目を開けると、狭い船蔵に灯明の明かりが見えて、そこに赤い髪の少女と赤錆で出来たような屈強な男が、恐らく本人達はボソボソ喋っているのだろうが、わりかし大きな声で語るのが見えた。
「それにしても姫様、どうしてここら辺にまで戻っていらしたんですか? ま、まさか……」
え、誰が姫様だって? 「まさか」よりもそっちのほうが気になる。
「いや、単に野暮用だっただけだい。…それが何の因果で紀伊水道にまで流されるとは思ってなかったけどなー」
返事したのはルキ。
何、ルキってお姫様だったの?
笑い転げたいけど、熱にうなされてそれも出来ない。ルキと赤錆のような男はコッチが起きているとは露にも思っても無いらしく、大きな声で会話を続けている。
「そうですか…てっきりアッシは……」
「継がねえよ!? 海部水軍なんて!」
さっきのまさかは、どうやらルキが海部水軍の姫様であることと、そんで何故かそこを抜け出したこと、更に出戻ってきてくれたのかということを意味している様だった。だから赤錆のような男がルキの頑なな態度を見て憮然と言い返す。
「何でですかいや、ルキ姫が号令かけりゃあ阿波に引きこもった吉清の親父様も呼応して、讃岐全域から海部衆が集結しやすぜ!」
海部衆というのは、どうやら讃岐・阿波一帯を支配していた強力な海の集団のようだ。
「それで何するつもりなんだよ。長曽我部から海部城奪い戻して、また三好に肩入れするのか?」
グムム…と唸る、赤錆の男。褌一丁に潮でガサガサになった陣羽織だけの姿だから、より一層赤錆色の体躯が目立つ。
「三好様は残念でした。ですが今度は織田家の羽柴様と……」
海部衆はかつての関西の覇者、三好家の御一党だったらしい。しかし今度は織田家の羽柴筑前と手を結ぼうと考えているようだ。とはいえ、同じ織田家の明智日向は長曽我部と仲が良いのに…どうするつもりなんだ?
「だから、なんで戦の話ばっかりなんだよ。オレッチ達は誇り高き海洋の民なんだろ? 陸の戦いなんかに首突っ込んだりなんかしたから、一族郎党バラバラになっちまったんだろ!」
ルキの怒声を聴いてハッとした。なんで「オレ」までいつの間にか明智に肩入れしてるんだ?
戦国の世とは怖い。誰もがいつの間にか権力志向になってしまう。そんな中、何者にも媚びない、何物にも依らないルキの考え方はとても新鮮に感じた。
「しかし、もはや海の民としての独立の気風は、こんな時代では保つこともままなりませぬ。やはり長いものには巻かれませぬと……」
「てやんでえ、ひよった台詞吐きやがって! 倭寇で鍛えた腕は鈍っちまったのかい、吉次オジキ!」
このガラガラ声の赤尾にみたいなのは、吉次という名前らしい。この赤錆の男…倭寇で大暴れしていたのか。
「そうではない! そうではないが……く、兄上にもこれだけの器量があれば…いやせめて、ルキ姫が嫡男であったらなあ……」
「ああ嫌だ嫌だ! だから海部には戻りたくなかったんだよ! 女がどうとか、男がどうとか聞きたくなかったよ。海の民に性別とか国は関係ないやい! ただあるのは伸るか反るかだけだろ」
そうか、ルキも実は家に嫌気がさして出てきたのか。
いや、家じゃない。イエ社会とも云える、封建的な束縛だ。形は違えども「オレ」等も村で味わっていた、アノ嫌な雰囲気だ。
ルキはそれに抗おうとして、家を飛び出したんだ。しかし「オレ」はただボンヤリとしつつ現実を見ようとしなかっただけだ……そう思うと顔から火が出るくらい熱くなった。
いや実際、熱が上がったのかもしれない。吉次と呼ばれた男がコッチを見つつ、口に手を当てて沈黙を促す。
「これ、このワラシが起きるぞ。…しかし昔良かれと思って、エスパニアの商人達と付き合わせていたのが悪く出てしまったのぅ……こんなにも無鉄砲にフラフラするとは思わなかった」
体に似合わず、ボヤクばかりの吉次に、パシンと一発、隆起した吉次の肩を張ってルキが例の悪い笑みを浮かべる。
「そうさ、オレッチはいつか南蛮まで行って貿易するんでえ。吉次オジキも手を貸すってんだったら俺ン船に乗っけてやらなくもないぜ?」
ちょっと忙しくてバタバタしてまして、安定しない供給となっております。申し訳ござらん。




