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攻城のルキ  作者: いのしげ
29/52

根来にて⑥


 一夜が明けて、後片付けもそこそこにほしいいをボリボリ齧りつつ、急いで川岸を遡上する。

 あまり知られていないが、大和に入ると紀ノ川は吉野川へと名前が変わる。勿論教えてくれたのはルキだが。

 「ここまで来れば追手も来ないべさ」と、ルキが呟いた。

 どうやら大和国は荘園や豪族の領土が細かく乱立しており、下手に他所の軍勢が立ち入ろうものなら大きな紛争になってしまうので、不問律が生まれているらしい。

 すこし歩調を落として先を進むと、やがて五條の町を過ぎ、その先、川が支流と本流に分岐しているのが見えた。

 右手に見える支流が吉野への入口らしい。そして今まで歩いていた道は伊勢街道という名前で、伊勢神宮に続いているという事もここで初めて知った。

 渡し船で対岸へと渡り、青々とした山々の連なりが見える道へと歩を進めていく。ここいらは下市という名前らしいが、今日は市も立っておらず物静かなモノである。


 瀧上寺を過ぎると大きな木場があった。木場、即ち貯木場である。

 吉野から伐り出された木々は、ここへ川を伝って降ろされ、虫の駆除やひび割れを防ぐために一年近く水に漬けておくのだという。

 ルキが値段交渉している間、木場をぼんやり眺めていると、斧を手に手に杣人そまびと達が山道から降りてきた。昼食時なのかそれとも今日の仕事はもう終わりなのかは分からない。

 皆気さくなのは良いんだが、ほとんど決まって「親は元気か?」「兄弟は何人いる?」という質問をしてくる。

 杣人の社会では戦にあまり赴く事も無いからか、それとも肉親の結びつきがとても強いのか、当たり前の挨拶なんだろう。ところがどっこい、こっちは天涯孤独の身だよ!

 一々我が家の悲惨な話をするのも鬱々するし、それに対して返ってくるお仕着せの同情なんてのも飽き飽きだから、適当に話を受け流して愛想笑いをしていた。

 無視すれば良かったのかもしれないが、しかし逆に彼等の話はとても面白かったのだ。

 ここいらは役行者に仕えた善鬼・護鬼のうち、善鬼の子孫達の村であるらしい。

 その他にも大昔、吉野行幸に来た某の天朝様の話とか、南朝に属して北畠勢に加勢した話など、数百年も前の事を今見て来たかのように話してくれるのだ。


 気が付けばお日様が中天を越えて、日差しが弱くなったのか、少し肌寒くなってきた。

 やっと商談が終わったルキが渋い顔をしながら、コッチへ戻ってくる。あの顔つきじゃあ思わしくなかったみたいだな、こりゃ。

 「予算に余裕が無いとはいえ、足元見られちまったいコンチキセウ!」

 …ホラな。財布に関してはルキに一任してるから詳しくは分からないけど、だいぶ絞られてしまったみたいだ。

 「な、なぁ、ルキ」

 ダメ元で提言をしてみることにしよう。

 「ああん?」

 案の定、ルキのご機嫌は斜めの様子。

 「い…いや…ホラ、どうせそんなに長く使うものじゃないんだし、乾燥木じゃなくても、木場に浸かってる木でも良いんじゃない?」

 「生木なんかどうするんでぇ!」 

 「だ、だからそっちの方が安上がりに……」

 「バッカ野郎!そんなことしたってそんなに値段は変わんねえよ、トンチキめ!」 

 そこまで言ってから、急に両の腕をガッチリとルキに掴まれた。マズイ、殺される…?

 「いや……見直したぜ。そうか……その案があったか。それなら運送費が掛からずに安上がりで早く運べる!」

 「ふぇっ?」

 「今お前が言ってた方法ならば、運賃も安く早く、確実に運べるぜ……ま、手間は多くかかるけど」

 …どうやら「オレ」が言った助言は悪い方向へと転がっていきそうだ。喜々として値段の再交渉をしに戻っていくルキの後ろ姿を見て、何故だかため息が漏れた。


 

 高野聖達はみんな非協力的ッス……ヒナがつい口から漏らした。

 思えば雑賀衆は良かったッス。ガサツではあるが、皆が積極的に発言して自発的に動いてくれていた。

 綸旨りんじが無くとも、寧ろその存在を忘れるくらい活発的だったッス。織田に敵対する内容だったからか? いや、違うッス。

 雑賀衆は織田家にも合力しているッス。ただ単に人生を充実させたいんだと思うんス。一種の躁病ともいえるッス。

 に対して、高野山のお膝元である慈尊院を中心とした聖達はとても保守的ッス。年端も行かないアタシに指図されるのが先ず気に入らないらしいッス。

 綸旨を見せても贋物と疑い、その上イヤイヤながらダラダラと作業をこなし、言われたこと以上はしないんス。

 …ま、実際綸旨は贋物なんスけど。

 とはいえ、馬の突撃を塞ぐ馬出し型の方薬研堀に逆茂木に竹矢来と、ありとあらゆる攻撃を想定して備えたこの関所を突破することは不可能ッスよ、フフフ。

 迂回しようとしても関所を要として、扇状に聖や山伏が山狩りの準備をしてるッスから西に進むことはあきらめた方が良い位ッス。

 いよいよアノ二人をとっ捕まえてやるッス。そんで己が無力に泣き崩れる悪七の前で、あの赤髪のアバズレ女をズンドコベロンチョにしてやるんス。

 紀ノ川には大きな月が映っているッス。でも今日は風が強いし雲も掛かって来たからきっと荒れる夜になるッス。

 フフン。大体、木材を運搬するのは大掛かりな作戦だし、かつてそんな無茶を成功させたヤツなんて居ない…………いや、待てよ?

 昔、子供の頃に、羽柴筑前が墨俣に一夜にして城を築いたという話を聴いた事があるッス。

 確かその時の方法は………!


 ヒナが慌てて紀ノ川を見返す。波で歪んだ月がこっちを照らしていた。

 「川だ! 彼奴等川から抜けるつもりッス! 急いで連環の鎖を慈尊院の対岸へと通すッスよ!」

 慈尊院は広大な寺領を有しており、その土地は昨日、悪七達が突破した対岸の関所にも及ぶ。

 高野山に参詣しに来た者達は、先ず慈尊院の渡し舟に乗らないといけないのだ。

 しかし紀ノ川は意外と急流である。昼間はその流れを読むことも出来るのだが、夜は困難な為に渡し舟はやっていない。

 それを重い鎖を張れと言うのだから、渡し守の不満はタラタラだ。文句を言いながら鎖を引きづる渡し守達の背中を射るようにに見つめながら、グッと焦る気持ちを押さえ込む。

 こういう機会を逃さないのが、あの赤髪のアバズレ! きっと仕掛けてくる!

 すると川上から不思議な音が聞こえてくる。

 「?」

 思った通り、ルキと悪七は筏で下りて来た。不思議な音はルキの高笑いだった。

 「ひゃーーーーはははは、アホが~見~る~豚の~ケ~ツ~!」

 「ぐぬぬ……聖方、鉄砲で薙ぎ払うンス!!」

 「ひゃはは、遅いわぇ! じゃーなあり~でべるち!」

 時間にして刹那。鉄砲隊が火蓋を切った時には夜陰に混じって闇との区別が付かなくなってしまっていた。当然、鉄砲の弾も見当違いの方向に消えていく。

 おのれ、おのれおのれおのれ!

 一体、『ありーでべるち』ってなんなんス!?

 ヒナは今ひとたび高野下で唇を噛み締めることとなってしまった。

 だが一抹の不安も脳裏をよぎる。

 「紀ノ川は急流ッス。しかもこの先大きな段差が二箇所もあるんすよ。あんな速度で突っ込んでバラバラにならなきゃ良いンスけど……」

 別に優しさで呟いた訳ではない。出来るのならば己の手で裁いてやりたかったからだ。勝手に野垂れ死んでしまうのは困るのだ、気持ちの落とし処として。


 紀ノ川は変わらず、豊かに流れ続けていた。 


明日おやすみします。

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