根来にて④
「……と、いう訳だ。ちゃんと碽に伝えるんだぜ?」
念を押すルキの言葉に、力強く信乃が頷く。
高野山の麓・高野口まで来た時に、状況が絶望的な事に気付いた。
高野山の行人方…という名の僧兵や鉄砲を捧げ持った侍達が、街道に関を設けて封鎖しているのだ。その数……多すぎてよく解かんない。まあ、百や二百ではきかないだろう。
なので、ルキは根来に居る碽達へ何やら伝言がある様なのだ。それを馬車共々、信乃が引き返して伝える。
「…分かった。併し二人だけで大丈夫なのか?」
信乃はこの場に「オレ」とルキの二人だけを置いて去る事にかなり抵抗がある様子。
「言いたい事は分かる……だが今は非常事態なんだ」
ウンウン頷き返しながらルキが信乃の肩を叩く。
ムッカァ……結構今までそれなりに頑張って来たじゃないか!
よっぽど文句でも言ってやろうかと思ったが、「…ま、時には頼りになる事もあるしね」と半分笑いながらルキが庇ったので、不承不承怒りの矛を収めることにした。
「じゃ、無事に堺で会おう!」
そういうと、グッと「オレ」等二人を抱きしめる信乃。今生の別れじゃないんだから、大袈裟な…と言いかけて、もしかしたら本当にこれが最後になるかもしれない……厭な考えが脳裏をよぎって、思わずこっちも信乃を抱き返した。
「さて、では悪七クンはココをどうやり過ごすか、何か考えているかね?」
偉そうに鼻を擦りながらルキが訊ねてくる。そうそう舐められるわけにはいかないので、コッチも頭を大回転して答えを捻り出した。
「う~ん、やっぱ……夜陰に紛れて間道を抜けるのが定石じゃない?」
「くっくっくっく…成長したね」
ポンと一つ「オレ」の頭を撫でながら、半分嬉しそうに、そして半分小馬鹿にしながらルキがダメ出しをする。なんでだか、あんまり嫌な気分はしない。
「だが、それでは良くない事が二つある」
そう言ってルキが親指と人差し指を立てた。
「先ず一つ。我々はココの地形に詳しくはない。だから間道の場所などがアヤフヤで迷ってしまう可能性がある。それが夜ならなおさらだ」
それは確かにそうだ。或いはルキならばと淡い幻想も抱いていたが、夜間の走破能力はどっこいどっこいの様だ。山道に迷って野垂れるのはあまりにツマラナイ終わり方と言える。
「そしてもう一つ。彼奴等は我々が“高野山に行く”と思っている。これはイスカが報告しているだろうから間違いない。それを吉野に変更した事をバレるのはマズイ」
指を追って説明した後、ニヤリとルキがイタズラを思いついた時の笑顔を浮かべた。
ここまでの長いルキとの付き合いだ。彼女が何を考えているのかはピンときた…が、それはあまりにも恐ろしい考えだ。
だが、ここで会話が止まっても仕方ないので敢えて合いの手を入れる。
「……とすると……」
「そう、我々が二手に割れている事、馬車を持って無い事からこちらを陽動と見る可能性がある……よって、正面突破が最良の手だと思う!」
「で、でもどうやって?」
「ヌッフッフッフ、任せなさ~い……!」
こういった場合、忍の術だと牛や馬に乗って強行突破するのが定説らしいのだが、生憎「オレ」等は牛も馬も置いてきてしまっている。そこで次に変装して抜けるのが妥当だが、それとて不確定要素が強い。
そこでルキが採った作戦というのが……
ヒナは僧束衣装に身を包まれていた。いわゆる尼さんである。御宸筆があるとはいえ、たかだか一五歳足らずの小娘なのは己が一々承知している。
だからこうして少しでも虎の威を借るかの如く、袈裟の力に頼っているんス。
悪七を盗ったアバズレと裏切りの悪七をこの手でキャンと言わせるために、手段は択ばないと心に決めたんッス。
幸い、高野山の行人達は世俗に疎いのか言うままに動いてくれるッス。そこの所、本願寺とは違うッスよ。
イスカが下ごしらえしてくれたのも大きいッス。素直に感謝ッス。
陣所に張って、ジッと松明の明りに集う蛾を見ていると、俄かに外が騒がしくなったッス。
「敵が、夜陰に任せて渡河しようとしているぞ!」
「すわ、敵襲、敵襲!」
「撃て―ッ!」
続いてダアンダアンと銃声が響き亘る。河原岸だから余計に五月蠅いッスよ。
しかしコレは陽動なんす。あの老獪な女がこんな見え透いた手を使う訳が無いッス。ヒナには不思議と確証があるッス。
「待て! 待て待て、コレは敵の思惑ッスよ! アレは囮、敵は仲間内に居るッス! 相身見知りおくんス!」
陣の外は上や下の大騒ぎッス。この混乱に乗じて逃れるつもりッスね。急いで隊を組み直させるッス。
すると、あからさまに怪しい動きをした僧兵が一人。号令一下ただちにひっ捕らえさせたッス。
「ヌッフッフッフ…ついに捕まえたッスよ、悪七!」
顔を隠す白い帽子を引っぺがすと、随分と懐かしく感じる顔を確認したッス。その顔がギョッとコッチを見つめ返す。まさか本人がこんな所で出張っているとは思っていなかったんスね。
「ひ、ヒナ!」
ヌッフッフッフ、良い顔を見たッス。その、恐怖に引きつった顔が見たかったんすよ。
「大人しく観念するなら、あのアバズレは見逃しても良いッス…が、あくまで抵抗するなら…!」
その時、顔を俯いて声を漏らしていた悪七がグッとこっちを見たッス。嗚咽かと思ったら、含み笑いをしていたんスね。……なんか不愉快ッス。
「ヒナ……『オレ』って今まで必死で生きていたと思うか?」
「…突然ナニを言ってるっス?」
「『オレ』は必死の先にあるモノを掴みたいと思ってここに来た…コレは覚悟の我慢比べさ」
まさか…まさかまさかまさか……これも陽動…まさか!
「は、早くそばかす赤髪の女を見つけるッス!」
そう言って違和感を感じ、街道を見渡した時、足に感じる振動と信じられない光景が目前に広がった。
多くの松明が火の海となって、この陣所に押しかけてくる……!
「お~い、敵襲だぞ! 織田の敵襲だ~!」
たちまちのうちに陣所は大混乱に陥り、アタリ構わず銃を撃つバカや我先に逃げ出す輩でグチャグチャのごった煮になって関所を押し合いへし合いしてるッス。
しかし、ようく目を凝らすと松明の動きが人と違う事にスグに気付いた。
「敵襲……だと…?」
呟いてから気付く…コレは牛ッス! 何十頭かの牛の角に松明つけて、放したんすね…しかし一体どうやって…そんな金を持ってる筈ないし……
ハッと気づけば、牛に紛れて背に乗ったあのクソアバズレが、悪七の襟を掴んで駆け抜け去ろうとしている。
「こんなに大量の牛…近所の村を買収したんすか!」
思わず悔しくてネタを訊いてしまい、更に悔しくって赤面する。闇に消えつつアバズレが答えた。
「ヌハハハ違うョ、この格好を見て気付かないか?」
「ま、まさか……」
二人とも、僧形…墨染めの衣を纏っている。ということは……!
「そう、“高野山の行人方”として、近隣の村々にご協力願ったのさ」
三重の構えの罠だったンスか…地団太踏んでも後の祭り。もう早くも二人の姿は見えなくなっていたッス。
騙したのは、我々高野山の行人方では無く、近隣の農民。そしてそのツケは全部コッチ持ち……
「後々のお支払はそちらでヨロシク~!」
憎たらしい捨てゼリフと高笑いだけが響く。もう届かないとは分かっているが、呆気にとられて
て突っ立っている兵隊に激を飛ばした。
「撃て、撃て!」
一応構えて見るものの、どうしようと顔を見合わせる行人方達……完敗ッス。
「ナハハハ、アディオ~~ス!」
月夜に意味不明なルキの声だけがいつまでも耳朶を噛んで離さなかったッス……




