根来にて③
“オオヅツ”こと、碽は芝辻清右衛門の娘である。息子は複数居たようだが、娘は独りだけだったので、清右衛門は溺愛し、本来は女人禁制だった蹈鞴場も幼子を負ぶって作業風景を見せて回ったものだ。
それがいけなかった。
子守唄に相槌を聞いて育った娘はやがて成長すると、至極自然に蹈鞴場を遊び場とし、遂には自ら鎚を取ってカンカン叩きだす、珍妙な娘になってしまったのだ。
愛情も過ぎれば毒となる。
そして、愛は盲目。
清右衛門は大人になれば娘も年相応になるとタカを括り、碽のやりたいまま放っておいた。すると、なんと碽は変なモノを作り出し始めたのだ。
鍛鉄とはひたすら鉄を叩き、不純物を弾く作業である。上手く作業が熟せれば“相槌”“合いの手”となるが、下手だと“トンチンカン”な調子外れとなってしまう。
それを経て後、急速に冷却することで堅くしなやかな鉄になるのだが、もし鎚を究めて急速に冷やさなければ何になるのだろう?
そう、それは軟鉄となるのだ。グニャグニャした、軟らかく展性はあるもも錆びない鉄。そんな変なモノを作るのに碽は夢中になってしまった。当然、刀槍や火縄銃には使えやしない。
そして清右衛門が碽の本質が、伝統工芸を担う技術者では無く、実験を繰り返す探究者であると気付いた時には遅く、もう年頃なのに火花でアチコチ火傷したアバタ痕と、髪もソコココ焼けちゃってボサボサな山姥みたいに成長しきった娘の姿であった。
慌てて婚礼相手を探すも、そんな妖怪みたいな娘を欲しがる家も無く、親の心配を余所に娘は毎日鉄を叩いて喜んでいる。困り果てた清右衛門は娘を軟禁した。
すると、とうとう精神障害が出だし、言葉使いがオカシクなってしまった。蹈鞴場職人達は口さがなく『頭の娘は金屋子神に心を攫われてしまった』と囁き合った。
泣く泣く清右衛門はならばと、娘のやりたいようにと自由にさせた。せめてものという事で髪を保護する革で出来た頭巾と目を保護するため特注で作った、黒ギヤマンの“ごうぐる”を与えて。
しかし、彼女の功績は大きかった。鉄の性質を誰よりも見極めた碽は、根来鉄砲衆の根幹となる、精鋭無比な火縄銃の製造方法を確立させたのだ。
「ふぅむ……」
顎をひねくりながら死後硬直みたいな関節を一つ一つ動かす碽が唸る。手の先には狂犬・頼廉が託してくれた『マンゴネル』の設計図。
「ど、どうだい?」
ドギマギしながら返事を催促する「オレ」。此処で出来ないと言われたら、今までの旅が無駄になってしまう。
だが碽は、いともアッサリと頷いた。
「……ま、出来ナグは無さそうダギ。弩の部分を鍛鉄を中心にして軟鉄で補強するダギ。理論上は合ってると思うギ」
「オオ…やった!」
皆が喜んだ中で信乃が控えめに揉み手をしつつ、重要な事を訊いた。
「あのぅ、それでお代は如何程に?」
グギリとカラクリ人形のように笑って碽が手を振った。
「コレは自分にとっても興味深い実験ダギ。だから賃金は要らない」
「おおお!」
「その代り、自分も結果を見届ける為に同行させてもらうギ」
少々変な口調と身振りだが、ルキ程では無い。寧ろ現地で調整などして貰えるのなら願ったり叶ったりだ。
「まあ、そのくらいなら……」と言いかけたところに、更に碽が追加事項を伝えてきた。
「それと…台車となる“床”は運搬を考えて、木で作った方が良さそうダギ」
すると、ズズズイと一同の輪の中心に割り込んできた奴がいる。そう、奴だ。
ルキだ。
「ヌッフフフ、オレッチを誰だと思っているんだい? 全国の特産を扱うことにかけちゃあ随一のルキ様だぜ! 高野山から買い付けてくるよ~ん!」
言うだけ言って高笑いをする。何がそんなに嬉しいのだろう。すると隣に居た澪が少し逡巡した後、「じゃあ、行ってらっしゃい」
と言い出した。
「ん…澪は今回御留守番かい?」
まるで自分の活躍を見てくれないの残念がるかの様に、ルキが不満げな声を漏らす。
「あ、いや…拙者、山歩きは疎い故足手まといになりそうじゃからな。その代りウシの世話をしておるよ」
「そうか…ん。分かった」
「じゃあアチシも今回は行かないニャ」
「虎も…何で?」
「碽の作業見てる方が楽しそうだからにゃ!」
別にさしたる異論も無く、では高野山までの材木の買い付けは「オレ」と信乃、それにルキという3人組になった。
そのままなし崩しに碽の家に泊めてもらい、「オレ」等買い付け組はそのまま就寝。
碽達居残り組は早速、今夜から火事場で作業することになった。
グギボキと大きく伸びをして、体中から硬そうな音を立ててから碽が誰ともなく呟く。
「フム、では自分も頑張るグギ」
そこに虎が挙手をして碽の注目を向けさせる。
「アチシも手伝うニャ~♪」
碽と虎は気が合いそうだ。そんな二人の後ろで両手を組んでモジモジさせながら、照れ隠しにぶっきら棒な口調になった澪が話しかける。
「あのさ……拙者も個人的に相談があるのだが……」
「何ダギ?」
「例えばだが……非力な女の身でも、腕の立つ武芸者と対等に渡り合える…そんな刀が欲しいんだが、作れるか」
新免迩助との事だニャ。それにしてもまだ諦めてなかったのニャ。虎はそんな事を考えて少しウンザリした。一方の碽は動力が切れたかのようにカッチリと止まってしまっている。
随分都合の良い剣ニャ。少し図々しくすら思えるニャ。と虎は思った。気持ちは分からなくもないが、無理を通せば道理が引っ込むもんだニャ。
沈黙に堪えれなくなった澪が作り笑いをして、場の空気を変えようと手を振り回す。
「や、やはり無理か……済まない、無茶な相談だったんだ、忘れて…」
「いや、出来るグギ」
碽の瞳が一瞬、ピカーンと光ったように見えた。
「へッ?」
言い出しっぺの澪の方が、碽が何を言ってるのかと疑って訊き返す。
「昔、シャムに行ってた商人から聞いた事があるダギ。天竺に女の剣の使い手が居たという話を。その剣が大層奇天烈だったという事をギ……!」
「で、では……!」
「使いこなせるかどうかはアンタ次第だが、作ってみるのは構わんダギ」
深々と頭を垂れて感謝の礼を表す澪を見つつ、碽は俄然張り切る。おそらくもうそんなに時間は残されていないだろう。だから急いで執りかからねば。
紀州最大の境内都市・根来のすぐ近く、一里半の所にもう一つの境内都市・粉河寺がある。余計な補足だが、雑賀衆は一向宗が多く、根来は真言の徒。そして粉河は天台の所属である。
一夜明けて朝霧の出ている中、根来の碽の家を出発した「オレ」等は朝飯に何かありつけないかと粉河に寄る事にしたのだ。どうせ高野山までは今夜中には着くらしい。そんなに慌ててはいないのだ。
まだ流石に朝早いのか、店々の軒先は帳が下りている。それにしては往来の人通りが激しい。何かあったんだろうか。そう思いながら座って人の往来を見ていると、見慣れた顔…というかお面を発見した。
「アレ? イスカじゃないか」
よほど驚いたのか、鶍がスゴク挙動不審な動きをしながらこっちへと駈け寄ってきた。
「あややや! な、何で、バレたんでしょうか?」
急に詰め寄ってきたが、狐のお面をした女性など逆にオカシクて、こんな変な風体の人間と言えばイスカしか思い浮かばなかったからだ。
「だって変装下手なんだもん……」
言いかけた処を口を押えられ、「シッ! こっちへ隠れて」と物陰に連れ込まれてしまった。近くに居るせいか、イスカの甘い汗の匂いがして、クラクラする。
「ど、どうしたんだい……」
「キミ達、高野山から指名手配されてるんすよ。高野聖達に見付かったら殺されちゃうんすよ」
ボーっとしていたので聞き流しかけて、慌てて頭の切り替えをする。そうか、道理で高野聖達がウロウロしている訳だ。朝霧が出ていて顔の判別が難しかったため、助かった。
「な、なな……なんで?」
極力大声にならないよう気を付けながら訊ねる。すると、シレッと鶍が
「さる雛様に頼まれて、アッシが情報バラ撒きましたから」
もうサルだか、ヒナだかよく解かんない感じで更に頭が混乱する。
「ていうか、全部アンタのせいじゃ……!」
叫びかけた「オレ」の唇を指で遮って、最後まで言わせず鶍が急かした。
「イイから、早く逃げるんすよ」
そ、そうだ。何よりも今はルキ達に知らせなければ、この危機を脱しなければ。
駆け出しかけて、クルリと鶍に振り向き、謝意だけを伝えてまた走り出す。
「ありがとうイスカ。何で君はそんなに良い奴なの?」
霧が晴れて日が差しだす蒼天を仰ぎつつ、鶍が目を狐の様に細めて空笑いをした。
「良い奴…ねぇ……へぇ……」
「おおい、たたたたたた…大変だあ!」
息せき切って駆けずり回って、ルキ達を見つけた時には安心するよりもむかっ腹がたった。ナニ、暢気にしてやがんだ。農家で白湯なんか貰ってズルズル啜りやがって。
「どしたい、悪七」
なんて素っ頓狂な声あげやがって。
さっきまで自分もそうだったことも忘れ、文句の一つも言いかけたが、事態を少しでも早く告げなければならない。
「どうやら…『オレ』達が織田家の間者扱いになっていて、高野山を攻め滅ぼすための下調べに来ている事になっているぞ!」
話を聞くや否や、青ざめた顔の信乃が立ち上がり、その勢いで木椀の白湯がこぼれる。
「なんだって!……じゃあ、当然高野山で材木を買い付ける事は……」
その脇では白湯を浴びたルキが熱さにのたうち回っているが、それどころじゃない。
「それどころか、高野山の行人方や高野聖達が『オレ』等を殺すために動き出してるって!」
やっと白湯の熱さから解放されたルキが漸う立ち上がり、選択にも似た決定を下した。
「むぅ…仕方ない。では高野山は諦めよう……」
「え、どうするんだい?」
にやりと笑うルキ。
「行き先を吉野に変更する……急げ、馬車に乗るんだ」
ネット環境、復調しました。




