石山にて⑧
“狂犬”頼廉はその名に似合わず、存外優しい男だった。全員後ろ手に縛られはしたものの、それ以上はされず「付いて参れ」と警護の衆二人を残し、さっさと解散させてしまった。
下間頼廉。しもつまらいれんと読む。虎の説明によれば、本願寺の門主を代々補佐する、坊官衆の中でも選りすぐりの血統、摂政の下間家出身。よって坊官衆の多くは下間家出身である。
その中でも頼廉は異色で、織田右府との戦になる前の合議では少ない開戦慎重派の一人であった。戦えば石山に押し込まれるのは必至、その背後を狙って織田を挟撃するは、かの頼りなき朝倉に浅井。武田は遠いので、上杉か毛利でも巻き込まねば勝利は得られぬと。
これに同調したのが雑賀衆。戦慣れしている者達には、織田右府の底知れぬ恐ろしさをその身で感じていたのである。
しかし内勤の政務ばかりで世情を知らない他の下間一族…つまり官僚の坊官衆が圧倒的に開戦を支持、それにより当門主・顕如も山科本願寺の二の舞になる事を嫌がり、この長い戦が始まったのである。
やってみて分かったのは、織田右府の戦の仕方である。彼は“総力戦”に持ち込むのだ。一つ一つの戦いでは負けても、その豊かな経済力を基盤にスグに復活し、こちらの体力を削っていく。その間に巧みな外交と戦略で気付けば身ぐるみ剥がされるのだ。
しかし、それらの劣勢を常にひっくり返し続けたのが頼廉だった。
開戦慎重論を説いて戦に消極的ではあったものの、いざ門主と門主の愛した本願寺を守る為なら戦も辞さず、伽藍に籠る他の坊官と違い、常に戦場の先陣を切って民衆と共に戦う事から“狂犬”と仇名された。
そして戦術も神出鬼没、迫りくる織田の佐久間勢や原田勢を右や左にと縦横無尽に駆け回り、殆んど同時に撃退した事から“左右之大将”とも揶揄され、織田軍の中では鬼の様に恐れられていた。
「……とまあ、そんな人なのさ、このオッサンは」
ただ歩くのも退屈なので、せがんで長々とルキの講釈を聞いていた。
「オッサンでは無い、オニイサンと呼べ…未だワシは42歳じゃ」と、“鬼”イサンがブッスリと言う。十分オッサンな気もするが、ナニされるか分かったもんじゃないので黙っておく事にした。
「ワシは戦を呷っておいて、民だけを前線に出して自分が安全なところに居るのが性に合わないだけじゃ」
「ほうほう、まるで他の坊官衆に対する皮肉の様ですなぁ…」
ニヤニヤとルキが頼廉の顔を伺う。
「そうではない……が、今の現状のままでは、いつか本願寺は……」
途中から独り言のようになり、頼廉は自らの発言を打ち消すかのように頭を振った。
「ま、お主達は童だし、屹度御叱りで済むじゃろう。織田方の間者とも思えん。心配するな」
巨大な伽藍内に荘厳なキラキラした阿弥陀の大仏が見えた。今はお勤めの時間では無いにもかかわらず、多くの人々が出入りしては一心に拝んでいる。
確か本願寺は浄土真宗だったか。ウチは一体なんだったんだろう…爺の話だと父は比叡山の寺侍だったらしいから、天台宗という事になるのか。尤も「オレ」は教義とか何にも知らないけど。
ただ、縋る神仏がいるというのは羨ましい話だ。生活に追われて心の荒んだ「オレ」なんかにはただマブシイモノに見える。
本願寺の高台に建つ僧堂に着くと大坂の町から難波潟までが一望できた。此処から見ると織田軍も小さな蟻みたいにしか感じない。
「さ、こちらじゃ」
頼廉の手招きで堂内に入る。意外と女官というか、雅な衣帯を纏った女性が多いのにびっくりした。
「彼女達は…?」
信乃がおずおずと訊く。
「今じゃ坊官も人手が足らん。女子でも目端が利くものには女房衆として働いてもらっているのじゃ」
と、自慢げに語る頼廉。そうか…他宗とは違い、本願寺は女人禁制ではないのか。
少し薄暗い廊下をヒタヒタと進む。途中何人も坊官や女房達とすれ違う。
その時。
「……フフーフ、悪七赦さないッスよ…」と耳元で聞きなれた言葉。ハッと振り向くと、一人の女房が通り過ぎていく。
「あ、オイ待て…!」
追いかけて確認しようとした途端、頼廉に腕を捻じられた。
「黙っておとなしくせい…生きて此処を出たければ…な」
アレは…あの声は確かにヒナ!
信乃や澪に必死で目くばせしたものの、あからさまに怪訝な顔をされてしまった。くっそぅ、なんか…厭な予感しかしないぞ。
急に人の往来が多くなり、バタバタしだしたと思ったら、眼前に頼廉とは似ても似つかない綺麗な袈裟を着用した、上品な出で立ちの僧侶達が立ちはだかる。
「ご苦労、頼廉。その者達の吟味は御上人様、御自ら取り計らう事となった」
「頼龍。頼言、頼良に頼純まで……上進、コレはどういう事だ?」年格好の似ている細目の僧侶に頼廉が呆然として問い質す。この流れはかなりキナ臭い感じがする。
「ナニ…そ奴らが織田の為に攻城兵器の設計図をこの城から盗み出そうとしているとの密告があったのでな……」
代表格ののっぺりした顔の男が、何か言いかけた細目の僧侶を制して発言する。
「頼龍、まことか」
「それを決めるは門主様よ」と、のっぺりした顔の男が応える。恐らくコイツが頼龍なのだろう。
「オイオイ…雲行きが怪しいぜ」ムムム…と唸りつつルキがこちらに向かって話しかけた。
「ルキ……さっきヒナが居たんだ。きっとヒナが告げ口したんだ!」
「マジかよ、何でオマエラの痴話喧嘩で、こちとらの命まで危うくさせてるんじゃ!」
ルキと話してると頼廉に「コラ、静かにせんか。大人しくして少しでも心証を良くせんか!」と窘められ、ポカリと殴られてしまった。
「何かの間違いじゃと思うのだが……見ての通り、坊官衆は織田方と徹底抗戦のためにお前等へ、あらぬ罪を着せてくるかもしれん。そうなったら、いくらワシでも庇いきれんぞ」
イイ奴、頼廉。頼廉イイ奴。ありがたいので二度言ってみました……だけど実際、本当の事なんだけどね……




