石山にて⑦
市場を飛び散る青菜に、鱗光る魚。そしてソコココで飛び交う叫び声と怒号。
軍鶏が駕籠から抜け出し、羽毛を散らせて飛び去っていく。
「待たれい、逃げるつもりか、新免迩助…尋常にいざ勝負!」
「拙者、別件があるよってここはご容赦!」
「臆したか、比興者!」
「ワハハ、先ずは腕を上げられい」
市場をすり抜け逃げようとする新免迩助と、市場をひっくり返しながら追いかける澪。
「や、止めるニャ! 今暴れるとヤバいニャ!」と虎が叫ぶ。
虎の言う“ヤバい”がナンノコトなのかは知らないが、きっと想像する中で一番よくない事になるんだろう。ああそうだ、もう既に雑賀衆がこっちを見て動き出してるのが見える。
彼方此方で煙が上がるのが澪の居場所だろう、とりあえず落合わなければと駈け出した。
「悪七、気を付けろ雑賀衆が狙ってるぞ!」
信乃の呼び声に振り替えると、数名の黒い集団…雑賀衆が銃を構えて火縄の火を整えている。
と、パチリと火蓋を開くのが見えた。
「悪七、鉄砲の掃射は直線的だ…背を屈めてジグザグに走れ!」
後ろからルキの叫び声が聞こえたので、その通りに人混みのすり抜けていく。
同時に耳をつんざく大轟音。
白色の煙が辺りに一面に広がる。
……これが種子島銃か!
攻撃がどうなのかよく解からないが、とにかくその音に、その裏に隠そうともしない殺意に肝が縮む。よくみれば己が膝が嗤っている。
「留まるな悪七、直ぐに第二射来るぞ!……悪七…悪七、走れ!」
ルキが何か叫んでいるが、耳がキーンとしてよく聞こえない。
死んじゃう?……「オレ」、ここで死んじゃうのか?
嫌だ、未だなんもしていないじゃないか。後悔出来るほどまだ何もしちゃいない。この世界をまだ何も知らない。
身体が勝手に反応したのか、気付けば走り出していた。頬の辺りを何かが通り過ぎて行った。
「ルキ、ありがとう…信乃は?」
安全な死角に隠れ、ルキを振り返った。続いてコッチの壁際に走り込んで体を割り込ませながら、ルキが応える。
「虎が手を引いていくのが見えたから大丈夫だろう……オイ、オレッチの身体が隠せ切れてない……お前が表で頑張んな!」
と言いながら、ルキが「オレ」の背中を蹴り上げた。
ドンッ!
死角からモンドリ打って飛び出され、続いて轟音と共に辺りを弾がすり抜けていくピュンピュンとした音がする。
ギャーッ、こ…殺す気か!
「見ろ、奴ら無駄玉打ち過ぎだ。硝煙で視界が塞がれたぞ」
少しも悪びれる事無く、ルキがにやりと笑った。
「コレで退路が出来た」
逃げてばかりかに見えた新免迩助だったが、澪の打太刀が振り下ろされた瞬間、後ろを振り向き様、腰の太刀を払い一閃、刀の反りを利用して上手く外に弾いてしまった。
「やはりな……」
澪の咽喉元に迩助の鈍く光る刀身が宛がわれる。ぐうの音も出ず、澪の身体が固まる。
すると突然講釈を始める迩助。
「お主、刀が合っておらんぞ。女の身にしては基本は出来ておる。しかし刀を振る為の腕力とそれを支える膂力が出来ておらん。だから刀に振られる」
「な…情けは無用!」
「強情を張るな。もっと自分に合った細身で短い刀を探すが良い」
「その刀は父上の形見……それがダメなら討ち死にするまでじゃ、さっさと首を刎ねい!」
ううむ…と迩助が困ったように頬を掻く。
「女を討ち取るのは著しい不名誉何じゃが……」
「ここで拙者を逃したら、またしつこく追い続けるぞ」
「嗚呼…嫌じゃ嫌じゃノウ……ワシャ、女子供は苦手じゃ……」
ほとほと困り果てた顔で思案する迩助。だが、
「…しかし、このままでは“お勤め”がこのままでは果たせぬしのぅ……ええい、ままよ!」
男が刀を振り上げた瞬間、そのクマの様な腕に石と紐が三方に結ばれた、ケッタイな代物が複雑に絡みついた。
「大丈夫か、澪!」
「オレ」が『生返し』の次弾を用意しつつ叫んだ。
「む……コレはマズイ……ワシはこれにて失礼しよう」
何故か、『オレ』やルキが駈け寄ってくる姿を見てホッとした様子の新免迩助が、するりとその場を駆け去り、あっという間に物や人の陰に隠れていなくなってしまった。
「まったく無茶しやがって!」
第一声から罵倒するルキ。今回に限って言えば全く同感だ。
「……済まぬ。迷惑をかけてしまった」
おもむろに立ち上がった澪はいつもの覇気が無い。ちょっと心配になって声を掛けようとも思ったがその時、周囲のガヤガヤ声の質が変わった。
「ルキ姐さんマズイニャ! 雑賀衆が引っ込んで坊官の部隊が出てきた……」
虎の顔がいつになく青い。ルキがそんな虎の顔を見て訊ね返した。
「坊官だと……左右之大将…狂犬“頼廉”か!」
黙ってコクコク頷き返す虎。ネコ科の名前のせいか、犬は怖いらしい。
「雑賀衆、引っ込め!……全く、アホの一つ覚えみたいに鉄砲をぶっ放しおって、同朋にも当るじゃろう」
硝煙と土埃の向こうからでもはっきり聞こえる怒声。きっとこの声が狂犬・頼廉なのだろう。
「隊伍を組め! 全員六尺杖と梯子にて捕縛せよ!」
次第に煙が晴れてきた、そこに我々と対峙する僧侶が一人。
剃髪はしているが、墨染めの衣の下には紫威の鎧。上背は無いがその気迫が巨人の様に錯覚してしまう……そう、顔が……怖い!
不精髭の上に爛々と赤く燿る三白眼。顔中刀傷まみれだが、特に左頬を縦に目に達する十文字の疵が凄みを増している。そしてその後ろには百人近い屈強の坊官達が手に手に杖を構えて号令一下、手ぐすね引いて待っている。
「今なら、手荒にはせぬ! 大人しく縛に付けい!」
地獄のカマが開いた様な怒号。絶対嘘だ。
「ど……どうするのさ、ルキ?」
信乃が恐る恐るルキを振り返った。
長い溜息。そうして、フッと諦観の笑みを浮かべるルキ。策は尽きたのだと理解した。
「しゃーないがな……無駄な抵抗は止そうゼ」
……こうして、「オレ」達は呆気なく石山本願寺の手に落ちたのだった。




