女村にて②
「ぉおお~い、何イチャついてんだ! む…村が大変なんだぞ!」
向こうから駆けてくるのは、幼馴染の志乃。去年結婚したばかりだというのに早々、夫の助郎次が戦場送りにされてしまった。何物にも左右されない意志の強い眉毛と同じく強い瞳が特徴の、何処にでもいる姉御肌の持ち主。
「オレ」の事は村の中でも唯一、“村八部”にせず、平等に接してくれる、気心の優しい女子だ。ここいらでは皆、婚姻を済ませると頭に頭巾を巻く。だから信乃もクルクルと頭巾を巻いている。それが妙に白くあか抜けて感じた。
「村が…どうしたンスか?」
慌てて見繕いしながら雛が叫ぶ。
「ぞ、増兵だ! 追い兵役だってよ!……アンタからも何とか言ってやってくれよ、雛! なんたってアタシら“女村”なんだぞ!?」
信乃が言いたい事は分かる。
ここ数年この一帯は坂本を中心とする、明智日向守惟任によって統括されてきた。しかし大元の“第六天魔王”がいつになく動員をかけるので、日向守はずっと戦続き。
古い村ならいざ知らず、比叡の御山が焼け出された後に出来た新興の村にそんな余裕は無く、徴兵のたびに村の働き手を失っていたのだ。お蔭で近隣からウチは“女村”と揶揄されるくらい、男衆が居ないのだ。はじめはちゃんとした村の名前があったらしいが、既に失われ村民も近隣も皆、ウチを“女村”と呼ぶ。
もし、この後また徴兵ときたらこの村はお終いだ。なんたって村長とジイヤ、「オレ」合わせても、もう男衆は3人しかいないのだから。その内、働き手にならない老人が2人。
つまりだ。
もう、ウチの村に増兵に応じるほどの余裕は無いって事だ。それなのに追兵役とは……
理由はいくつかある。日向守の戦役に於ける縦横無尽さは異常である。天魔王にとって日向守は外様なのかもしれないが、それにしても矢面に立ち過ぎである。お蔭で兵の動員数が常に逼迫する羽目になったのだ。
次に長い事対峙する有岡城の城主、荒木の存在だ。
魔王の従者でありながら、ある時突然本願寺に寝返ったのだ。以来、半年以上籠城をして魔王の軍勢を凌いでいる。比叡のお山を追われた我々からすれば、気持ちも分からなくも無い。
ただし初めは単純に「バカ!?」かと思ったが、裏ではどうやら毛利も手を貸しているらしい。そうとなればいよいよここいらも戦のキナ臭いがしてくるに決まっている。いつだって戦の被害を受けるのはもっとも力の無い……即ち、「オレ」達だ。
ウチの村の男衆も、この戦に動員されて半年帰って来ない。その上で、更に動員!?
「オレ」が思うよりも早く、雛が信乃と一緒に走りだしていた。
「オレ」は進む事も出来ず呆然と立ち尽くす。因みに「オレ」に村での寄合に加わる資格は無い。
だから……そう。
何にも変わらない、何にも変われない…いつもの文言が頭をよぎるのだ。自分はこの村にかかり得ない。関われないのだ、と。叫びたくても声を出す事も出来やしない。だって「オレ」はこの村に居る限り「人格」が無いのだし、かといって雛みたいに伝手も無い…只イジケテいるだけがお似合いな半端者なんだ……
「おっと、忘れ物」
不意に耳元で声がした。
「嫌なら全部捨てちまえよ。その方が想っている近道かもしれない……ぜ?」
驚いた!
さっき、とっくに行っていたと思っていたルキが、音も無く傍に居たのだ。慌てて振り向いた時には、あのへんな高笑いと砂埃と共に消えていた。なんなんだ、アイツ? て…天狗か!?
「コレは下知である!」
馬上の三宅左馬助が黒光りする甲冑を身に纏いつつ、書状を読み上げる。今様の当世甲冑に金の蝶の前立て。いかにも厳めしい。その脇に抱える頑丈な鑓は武功を上げる為か、それとも意に反さない農民を弑逆する為か。そう思えば、近習の4騎の騎馬武者も心持モノモノシイ。
「おおお…お待ちくだされませ、三宅様!」
平伏するのは、この村の豪農で村長の太兵衛。細長い禿げ頭に長眉毛はどこか仙人を彷彿せさる…が、中身は至って俗人である。
「我等、今年の初めに兵役に預り、しかとこの“女村”での貴重な男衆を差し出しました!…な、なれど…未だその兵役の務めが終わらず、尚且つその上重ねて兵役となりますと……この村にはもう出せる男衆が居りませぬ! そこら辺は日向守様も重々ご承知の筈。ど、どうかご再考を!」
「むう…我等とて、そなたの窮地は存じておる。しかし…しかしだな……」
ここで、左馬助の妙な躊躇い。ややあって声を貼りあげる。
「さりとて、これは上様の“天下布武”のための布石! 戦さえ無くなれば男衆だって帰ってくる! 何はともあれ、これは“決定事項”である!この村からは追加で3名の徴兵に応じよ、期限は7日の後、もし適わなければ“然るべき処置”を執り行う!」
「ふざけるな! この村の窮状を知っておきながらその一方的な態度は何だーっ!」
突如、広場に凛とした声が響き亘る。皆の視線の先に現れたのは、女の身でありながら侍の格好をして後ろ髪を高く結上げた人物…地侍の総領娘、澪だ。
「ぬ…これは……朽木の澪様…でしたかな?」
切れ目の湿った綺麗な瞳、長く艶やかな緑髪に一瞬、騎馬武者共も息を呑んでたじろぐ。
「そうじゃ、朽木谷の澪じゃ! さっきから聞いておれば、言いたい放題! 我等は一所懸命の“もののふ”ぞ、誰に逆らうことも無い、誰に従う事も無い、不本意とあれば一矢交えるのみ!」
途端に三宅左馬助の目が光る。
「ほう…“惣一揆”でも起こすというのかな…こんな女しかいない村で……?」
惣一揆…近隣住民と結託して領主に向かって牙をむく、最終手段である。一昔流行ったが、それによって権威も伝統も全て廃れた。つまり、惣一揆の惣とは、何かを得る為、内かを失うかも知れないというイチかバチかという意味なのかもしれない。
「め、滅相もない! こ、この者はタブレ心にて…そ、その失礼!」
何か言いかけた澪を、太兵衛初め、村の女集が取り押さえる。
「うむ…我等とて無理強いは好まない。7日の後の良い返事を期待するぞ」
そういうが早いか、馬を駆け、騎馬武者達が意気揚々と帰っていく、村の門前に下知の立札を立てて……
夜。篝火が煌煌と広場を照らす。
「決を採る」
やがておもむろに太兵衛が立ち上がって口火を切った。
「この村の良く末についてじゃ。忌憚なき意見を聞きたい」
信じられない事に、この「オレ」も呼ばれている。
「この村をどうするか…多数決で決めたいと思う………まず一揆をして、恐れ多くも明智日向様に楯向かうという者はおるか?」
これに対し、澪を始め、女集の何人かが立ち上がる。しかしパラパラ…と言った処か。
無理もない。惣一揆というのは、近隣の村と連携するモノだ。しかし、ここいら一帯では日向守の人気は高く、一揆を起す雰囲気ではない。支援が無ければやがて尻すぼみとなって、潰れる事必至である。それでもやろうというのは、己が矜持を示したいが為だろう。
「では、“逃散”を希望する者は……?」
すると、大多数が立ち上がった。“逃散”……総てを捨てて村民総てが土地を放棄する事。古くは天武天皇の時代から行われていた、農民の唯一にして最大の抵抗表現である。無論、逃げた農民にも大きな危うさが孕む。
村の共同体は崩壊し、惣中は崩れ、流浪の民となって食うに困る生活が待ち受けているからだ。
見れば、今の所立ちあがっていないのは信乃を始めとする数人と俺だけだ。何故か、雛がこの会議には参加していない。
村長の太兵衛も、いつまでも立たない俺らの存在に気付いたようだ。
「む? そこの一群…何故立たぬ。それとも、他に何か案でもあるのか?」
「あ…アタシャァ、嫌だよ! 一揆も! 逃散も! だって……そんなことしたら今、戦場に出ているダンナに申し訳立たないし、だいたい殺されるかもしれないじゃないか!」
信乃が鼻をグジグジさせながら立ち上がる。そうか、残りの者達は皆、戦場にダンナを遣った女房達だ。
そうか。事後を任された女房衆達には、そうそう簡単に捨てる事など出来ないのだな。
「…で、そこの村八分は…どうするつもりだ?」
残る一票、つまり「オレ」の分だ。
「あ…・。あのさ……」
普段人の前に立つ事なんかないから声が上ずる。血の気が上がって何を喋っているのか分からない。
「お…『オレ』はだな……い、戦に行くべきだと思うんだ!」
……だけど、一瞬の静寂の内、包まれたのは大爆笑と冷笑だった。
「だから! それが出来ないから、決を採ろうと言っておるのに!!」
太兵衛が独りカンカンに怒っている。結局、この話は次回の持ち越しとなった。
「悪七…お主の気持ちも分からなくもない…拙者とて、女の身でなければ、お主と同じ思いを抱いたぞ…よく言った……」
優しく、ポンと肩を叩く澪。じゃあ、一揆をするくらいなら何で武器を持って戦場に行かない…やる事は一緒だろ?
「悪七…あまり自分を責めるな。お前の荒唐無稽な話…随分と助かったぞ」
同じく信乃が自分の家に帰っていく時、声をかけて来た。冗談じゃない。荒唐無稽じゃないよ、そういう風にしか聞こえなかったのか?
そのことに絶望した。自分の言ってる事はそんなにも荒唐無稽か?
だってそうだろ?
3人追加で欲しいのなら、女子供でも応じれば良いじゃないか。
夜になっても戻らず、そこにずっと佇む「オレ」を心配して、ジイヤが迎えに来た。「悪七郎兵衛様、さあ、冷えまするぞ……」
そうさ、「オレ」は何時だって何物にもなり得ない。
そして、この顛末を遠く見つめていた者が居た。
「悪七……どうしてもこの村を離れちゃうンスね?」
誰にも見せた事のない、うつろな目をした雛だった。