石山にて⑥
結局、潜入するには夜も遅すぎるという左内の引き留めで、今夜は蒲生の陣所に泊まることになった。「大丈夫、ここほど安全な場所もないですからな」と言って左内が小具足姿のままで幕の向こうに立ち去っていく。きっとこのまま不寝番をするのであろう、ご苦労様である。
虎は大勝ちしたらしい。何でもハエトリ蜘蛛を闘わせる賭け事で、虎は蜘蛛の調子とかが分かるのだそうだ。
懐から百文銭の塊がゴロリと何本も出てくる。もしかしたら一貫文位はあるかもしれない。田舎村から出てきた「オレ」を始めとして、信乃も澪もそもそもお金自体をあまり見た事が無いのでシゲシゲと見入ってしまう。
「チェ、折角みんなの宿代稼いだのにニャー」
「まあまあ、折角のお金なんだしなんかあった時に使おうよ」
「兄さんがそういうのなら……それにしてもヤッパリルキ姐さんはスゲエっす。コンナ所にまで顔が利くなんて」
「ムホホホ、もっと褒めても構わんのだよ」
「馬場でアタイを放り出して居なくなったのは誰でしたっけねぇ?」
「ムブブ……さ、さあ寝ようぜ」
寝ると言っても大したものがあるわけもでない。京で河原者の長老達がくれた筵を敷いて、市の魚屋に並ぶ木端魚の如く、横一列に寝るだけ。まさに雑魚寝だ。
「そう言えば」と、夜空を眺めながら澪が言う。
「ルキ、お主。先程織田の布陣で良くない個所があるって言っておったよな。それはどこじゃ?」
「…ココだよ。蒲生が一番ヤバい」帰ってきた返事は今までに無いルキの真面目な声だった。だが暗いので、顔つきは読み取れない。
「何故じゃ、実に上手く物事が運んで行ったではないか」
「それはたまたま、御曹司が居なかったからな。もし居たら危なかったかもしれない。アイツは規律の為に平気で斬るからな」
「規律があるのは良い事ではないか。此処がこれだけ平穏なのも規律が取れているからではないか」
「いや……グズグズの軍の方が御しやすい。これから一番怖いのは規律の取れている、こういった兵隊だよ。これは蒲生の個人判断では無く、織田右府の新たな戦争の形さ。此処は実験部隊なんだ」
織田右府。
第六天魔王。
戦争に強いという発想は涌かないのだが、いつも気が付けば絡み取られてしまう……そんな薄気味悪さを覚える。緒戦緒戦では負けているのも事実だが、何か新しい、今までにないモノで最後に勝負をひっくり返すのだ。
この蒲生の軍団も新たな戦争の形だとルキはいう。これまでの様に個々の武勇を誇る戦争では無く、統率された戦争がやって来るのだという……なんだか想像が付かないや。
難しい話を聞いたせいか、いつしか深い眠りに落ちていた。
翌日は「昼間の方が安全だ」という虎の案に載って、傳馬船を借りた。驚いた事に石山には定期船が出ているらしい。
穏やかな難波潟と初めての生臭い潮の香りにびっくりする。
ややあって霞の向こうにそびえる強大な石の砦が見えてくると、それが総本山石山本願寺だった。郭が三重に取り囲み、それぞれに独立した出丸が織田の大軍の侵入を阻んでいる。
しかしギィギィと艪が音を立てて進みゆく船の先には、ぽっかりと暢気に口を広げた木津川口の船着き場が見えた。
「……本当に簡単には入れるんだねえ」と半ば感心して、口が空きっぱなしだったのに気づく。
「……ああ、流石に水軍で上陸作戦は出来ないからな。よく見れば此処もちゃんと“虎口”になっている」と、詰まらなそうに船っぺりに寝そべったルキが答えた。陸路と違って不機嫌そうだ。船は苦手なのかもしれない。
「虎口って?」
「隘路さ。そこに敵を呼び込み、閉じ込めて一気に殲滅させる造りの事だ」ルキの代わりに澪が答えた。澪は戦の事になると語りだすなあ。
「さあ着いたョ」
話している間に船着き場に付いた事を船頭が促す。桟橋に降り立つと、確かに圧倒される威容の石組みの壁だった。四方を囲まれていて、もし攻めても船ごと沈められそうだ。
しかし曲がりくねった石垣を越えると、途端に賑やかな喧騒。
「ル、ルキ……城の中に市が立っている!」信乃が目を丸くして叫んだ。
「そうさ、これが“総構え”ってことさ。市もあれば女郎屋もある。畑もあるし森だってある。だから何年も城が落ちる事が無いんだ」
「じょ、城郭都市……中華では町ごと城壁に囲まれているというが、ココはそれ以上かもしれない」と、澪も呻くようにつぶやく。確かに喧噪や頭数で言えば、昨日見た、織田勢の陣に付き添う様な市よりも大きい規模だ。
「さあ、では書庫に潜入するにあたって、一つ注意がありますニャ」クルリと先導していた虎が振り向く。頷く一同。まあ、誰とは言わないが1人だけ聞いていない。
「これだけ辺りを見渡せば、一見ノンビリした様に見えますが、ソコやアソコを見て下さいニャ」
何気なく見れば数人一組で辺りをうろつく黒い集団が居た。種子島銃を肩にかけ、長めの紐を体に巻いている。
「彼等こそ、“サイカ”を中心とした自警団です。彼等の前では大人しくして、目を付けられニャいようにしてください」
「サイカ?」聞きなれぬ言葉に反応してしまう。
「戦国最強の傭兵集団『雑賀衆』ですニャン。兎に角イイですね?」シーっと静かにする様促してから、ひそひそ声で話す虎。よっぽど危険な連中なんだろう。
「それでは何気なく移動……」
「あーっ!」
素っ頓狂な声を上げたヤツが居た……あ、「オレ」だ。自分で自分の声にビックリした。
「てめえ、バカか? 話聞いてなかったのかよ?」首根っこ捕まえられて全員から凄まれる。
「い、いや違うんだ……ヒナが居たんだよ…本当だってば」…そう、人混みの中でヒナの横顔が一瞬居たのを確かに見たんだ。
全員でじっとしつつ、数刻何事も無いのを確認してから立ち上がる。
「ヒナが居たのは分かった……だが、もう何があろうと大声を出すんじゃないぞ」と信乃がぼそぼそ呟く。分かった、分かったよと絞められた首筋をさすりながら何度も頷き返した。
「あーっ!」
思わず、己の口を両手で押さえる……だ、大丈夫。今のは「オレ」じゃない。
「待て、新免迩助! ココであったが十年目…仇討である、お相手所望じゃ!」
そう、叫んだのは澪であった。
何度も言う。世の中会おうと思ってもなかなか会えない縁もあれば、思っても居ない処で何度も遭遇してしまう、縁というのも確かにある。新免弥助と澪は後者なのだと思う……




