殺生石
殺生石の効果範囲は古くから残されている書物により、明らかにされている。
ちなみに、その情報の信用性は死刑囚というガザードの人的資源を使い潰すことによって、確立された。
そして、その範囲は恐らく殺生石があるであろう部分から円状に広がっており、一応はガザード帝国の所有地となっているので、その範囲に踏み込んでの人死にが出ないように、その範囲から50mほど余裕のある場所に杭とロープによる対策が取られている。
♢☆♢☆
殺生石の破壊ーー。
シオンがその任務を言い渡された時、最初に思った感想はーー。
「ああ、漸くか」
であった。
やらなければいけない、俺は無理矢理やらされている、そんな言葉で自分を騙して何千万も殺した自分も、漸く裁かれるのだなと、命の秤を間違えた愚者へと制裁が下るのだと。
まあ、詰まる所その通告は、どれ程、理不尽な目に遭っても最後まで生まれ持った善性を捨てきれず、苦しんでいた少年にとっての死刑宣告であるのと同時に、救済の調べでもあったわけだ。
♢☆♢☆
書物によれば、ガザード帝国より東、謎の毒で大陸の東端を侵し続けるそれは、森の中にある小さな台座の上に乗せられている。
壊すのであれば、人の手で触れるだけでいい。そして、石が壊れれば、毒の散布は無くなる。
シオンをガザード帝国から、石のある森まで送り、その情報を伝える役目を買って出たのはリンドであった。
「ここから先、俺は入れない。食料などは持っていくと毒に侵されるが、それでも持っていくか?」
殺生石の範囲で区切られたロープの手前、シオンを連れてきたリンドは心配そうに声をかける。
「・・・もん、だい・・・ない。あ、るく・・・てい、どで、も・・・おう、ふくのじ・・・かんは、そ、こまで・・・かから、ない」
「・・・わかった」
「・・・じゃ、い、って・・・くる」
両腕には枷を嵌められ、全身は結界の意味も込められた包帯で巻かれ、ボロボロになった身体では、歩く事すら苦しい。
広大な草原を包帯の隙間から覗けば、毒に侵されているとは思えない程に綺麗で、人の手の一切加えられていないそこは、シオンの故郷を思い出す。
そして、毒に侵されていると言われる空間に足を踏み入れた瞬間、身体に何かが入り込んできた。
重たく、苦しく、痛い。
毒耐性は確かに働いているのだが、それとは違う別の何かがシオンの身体を蝕む。
臓腑の底より迫り上がる血泡を吐き捨てて、更に足を進めれば、心なしか取り込まれる毒の量も多くなってくる気がする。
それに、直感ではあるが、この毒を浴び続けても抗体を作る事は出来ず、そのまま死に至るような予感があった。
故に、シオンは上手く動かない脚を無理矢理に前に運び続ける。
(周囲から命の気配がしない・・・この毒のせいか)
歩き始めて3時間、背後は既に森の木々のみ、周りは不気味な程に静かで、動いてるんだか、動いてないんだか、よくわからないような自身の心音さえ聞こえていた。
毒の濃度は更に増しており、ほとんど全身から出血している。
特に、目からの出血の所為で視界が紅く染まり、非常に見えにくい。
(寒い・・・出血が多過ぎるんだ、あと、どれくらい進めば、台座は見えてくるんだ?)
シオンの進む先には、無数の灯篭が見えており、その通りに進めば台座は見えてくるらしいので、迷ったりする事こそ無いが、ゴールが分からないというのは、精神的にくるものがある。
自分以外の存在を感じられないとなれば、尚更だ。
「ゲホッ!ヒューヒュー・・・」
喉に詰まった血の塊を吐き出し、半分潰れた視界で尚も前に進む。
まだなのか?
声すら出せず、口の形を動かす。
当然、返ってくる声は無い。
(まだ・・・あと、どれくらい?)
人間は刺激が無ければ生きていけない。
例えば、静かな空間であったとしても、そこには何かしらの音が存在している筈で、それは一定では無い。
また、目には変わりゆく何かが写っており、常が刺激に満たされているのだ。
だが、何故かこの森にはその僅かな刺激すら無い。
進めど進めど、代わり映えのしない灯篭の群れ。
また、木の生える感覚も一定で前に進んでいる筈なのに、ずっとグルグルと同じ場所を回ってる感覚がする。
木々の掠れる音すらせず、ズタボロになった肌は触覚が無いため、慢性的な痛みが常の感触となって身体を苛む。
「あー・・・あー・・・」
音の無い空間に耐えられなくなり、声を発しながら進む内に、ある事に気づく。
(耳が聞こえない・・・)
毒を溜め込み過ぎたシオンの身体は、それなりの調整を加え続けなければ、いつか崩壊を迎える。
そんな言葉を1年ほど前にガレナドフが言っていたなと思い出しつつ、ふと考える。
(確か、調整が必要になる間隔は12時間ごと・・・最後に調整を受けたのは、出発直前だから、もう12時間近く歩いているのか)
そんな事を思考の片隅で考えた瞬間、それは目の前に現れた。
小さな、けれども恐ろしい程に綺麗な社。
中には文献通りの石が飾られており、その周りを9つの灯篭が囲っている。
まるで、はなからそこにあったような、ただシオンが気付けなかっただけのような。
余りにも唐突なそれの出現。
「これ・・・が・・・?」
もう、声は出ない。
喉が潰れているのだ。
だが、これならば容易に目的は達成出来る。
後は触れるだけなのだから。
そう考えて、シオンは幽鬼のように手を伸ばすが、何故かその手をいくら伸ばしても届かない。
一歩踏み込めば、まるで社が動いてしまったかのように、一歩遠ざかる。
「あ・・・あ」
何が起きているのかを理解するだけの余裕はシオンには無い。
ただ、今はっきりとわかるのは、自分ではこれに触れないという事。
余りにも残酷なその真実に心が折れ、限界を超えた身体が崩れ落ちるその瞬間、シオンは確かに見た。
自分の指の端が、無限の間を超えて、その石に触れたのを。
続いて、崩れたシオンの身体を支える柔らかい何かがあった。
「妾の封印が解かれるとはな・・・」
「あ・・・?」
何もわからない。その現象を理解する事も、柔らかな声の主も。
それらを理解することは叶わず、ただ、シオンは眠るように意識を闇の底に落とした。