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山脈の近辺には広い平地が存在する。ベルミア王国は基本的には平坦な国土をしており、羊や牛を飼うには最適な環境らしい。
今現在、その牛や羊とやらは魔族の軍隊によって駆逐されてしまっておりその姿は無い。
代わりに、三人ほどの人物が迫りくると思われるベルミアの軍隊を待っている様子があった。
「それで、どうする気なんだ?あのモンスターを連れてきてないんだけど。」
「あれは数に限りがあるから。私たちの本来の戦力じゃないんです。」
プリシラとノノは並んで何か呪文を唱える。すると、彼女たちの背後に無数の魔法陣が浮かび上がってきた。百や二百どころじゃない。数千以上はあるだろうその魔法陣の発光が最大値に差し掛かった時、その中から人型の兵士が出現した。
黒い簡易の鎧を着た無数の兵士がプリシラとノノによる魔法によって突然出現した光景を見て、これが彼女たちの本来の能力だということを確認する。
アルトはその光景を見て、もう殆ど自分は悪人みたいな立場に陥っているような気がしていた。しかし、今はそのことに感情を感じているわけにもいかない。
黒い仮面を装着し、フードを被っているアルトの姿はもはや元勇者とすら呼べない見た目だ。
「幻影兵の出現を完了。これで、少なくとも相手に遅れは取らないはずだけど・・。」
ノノはまだ不安を感じている様子だった。彼女はほぼ初陣だから無理もないだろう。
「偵察によると、敵軍はまっすぐこちらに向かってきています。数はほぼこちらと同数。質の方は分かりませんが、戦略的にはほぼ不利です。」
不利なのかよ、とアルトはプリシラにつっこみたかった。
確かに、背後には険しい山脈があるから、幻影兵を退避させるとかなり混沌としてしまうかもしれないが。
「アルト、聞いておきたいのですが・・どうして顔を隠しているのですか?」
「単純な話だよ。そもそも勇者アルトは既にリュドミラによって惨殺され、戦死した。ある意味正解ではあるだろ?」
「私たちがばらす可能性もありますけど・・?」
「まさか。むしろ生きているだなんて思ってないだろ。」
「貴方、最初から死ぬつもりでリュドミラお姉さまに突撃したんですか?」
「むぅ・・」
実際の所その通りなのだが。アルトにしてみれば、今更ではあるが自殺行為にも程がある。
「俺は、別に死にたいから突撃したんじゃない。」
「言っている意味がよく分からないんですが・・。そろそろ来たようです。」
無効からゆっくりと多くの影が見えて来たのが分かる。旗印を見る限り、ベルミア軍の軍隊だ。
獅子をシンボルにした旗は・・アルトにとってもかなり見慣れた物だ。
確実に自分の元同僚があの軍隊の中に居るだろう。そして、自分は今にも裏切り行為でその軍隊を倒す手助けをしている。
殆ど反逆者だ。魔王の下僕になったあげく、反逆行為までする・・文字通り悪魔に魂を売ったようなものだ。
「向こうから数騎ほどの人間が先行して走ってきます。」
「一応話し合う気はあるんだろう。攻撃はしないほうがいい。」
「え?」
プリシラは何で?という顔でこちらを見ていた。
「私たちに会話が可能な魔族が居ることを、既に理解しているんですか・・?」
「もしくは、相手が魔族に数で劣るほど弱くないと確信しているかだろう。人間は多数殺されたが、どれも非戦闘員だ。」
「・・・」
確かに、人間を多数殺してはいたのだが。それらは基本的に山脈の周辺に居た住人であって兵士ではない。
それも奇襲、強盗に近い形で殺戮していったのだ。プリシラにはまだ相手の力量を十分には理解していないだろう。
数騎ほどの騎士が目の前まで来る。先頭は非常に派手な銀色のプレートメイルの騎士だ。馬もかなり頑丈な装備を施されている。
確実に、アルトの知り合いのはずだ。腰に提げられている聖剣、それもアルトが所持していた聖剣よりも数段上とされる宝具の一つだ。
「我らはベルミア軍の本隊だ。名前はエリオットと言う。そちらの部隊のリーダーと話をしたい。」
人間扱いしてくれるだけでも幸いだが、アルトからしてみればむしろ舐められている気分ではあった。
彼も実質的には聖剣の強さに魅入られた側の人間であり、本来のポテンシャルは魔族ほど高くは無い。アルトも彼も、立場は違うが実際の所はごく普通の人間だったはずだ。
聖剣によって選ばれた人間は勇者となり、国に管理されるようになっている。その変な規則に光栄を感じる人間も居れば、むしろその選定を辞退する人間も居る。
「どうします?」
「俺が行こう。」
「貴方、リーダーだったんですか?」
「そういう事にしてくれ。大体、後ろの幻影兵は張りぼてみたいなものだろう?」
「張りぼてではありません。すぐに奴らを皆殺しにできます。」
「君らは思った以上に脳筋なんだな・・。」
「なっ・・!?」
プリシラを置いておいて、アルトは前に歩き出した。相手の騎士はそれに応じて馬から降りる。
「魔族に対しても礼儀正しいようだ。」
「伝説によれば、魔族にも人間に近い種族が居たらしい。我はその事実を正直に認識したに過ぎない。」
馬鹿正直に答える彼の言動を聞くと、向こう側に居る人間たちはむしろさっさと魔族を倒したいんじゃないかと推察してしまう。
「貴様がそちらの部隊のリーダーか?」
「あぁ。私は魔王リュドミラの無名の騎士だ」
「無名?いや、ちょっと待て」
エリオットはアルトが持っていた剣に気付き戸惑った様子を見せる。
確かに見たことがある剣だと、彼はその魔剣を凝視していた。
「その剣、まさか・・」
「この剣の持ち主なら昨日私が打ち倒した。死体は恐らく無いだろう。」
「アルトが死んだと・・?」
「アルト、というのか。その勇者は貴公の知り合いかな。」
「もうよい。ここで貴様らを全て全滅し、首を晒してやる。」
そして、彼らエリオットらはすぐに引き返していった。
「何挑発してるんですか。これが貴方の企み?」
プリシラは不機嫌そうにアルトを責めている。そのつもりではないのだが、少し調子に乗りすぎたようだ。
「勇者アルトを死んだことにしないと、どうしても後で戻りづらくなるんでね。」
「敵が突撃してくる」
エリオットの合図が遠くから聞こえてきた。かなりでかい声だと感心したが、このままだと流石に危険だろう。
「さて、聖・・魔剣の威力を確かめるとしよう。部隊の方は動かなくていい。」
「ちょっと、何勝手に指揮をとるんですか?」
歩いて前に出ると、目の前には大勢の兵士達がエリオットを先頭にして突撃をしてきているのがよく分かる。
相手も容赦が無いのは当然だと思うが、こちらも負けるわけにはいかない。
魔剣を構え、その魔法秘儀を発動する。やはり前の汚染される前とは違う力の流動を感じる。
とても強く、その波動は少しでも集中が途切れると暴発しかねないほどの魔力だ。
魔王が何をしたのかは知らないが、アルトはその魔剣の力を目の前にいる敵に対して撃ち放った。
その魔力はリュドミラがアルトに使った魔法に類似している。漆黒の魔力の波動が地面をなぎ払い、彼らを飲み込んでいく。正直、アルトから見ると何が起きているのか分からないほどの射程範囲だ。その力は一瞬で目の前の敵のほとんどを消し去ってしまった。
「これが、リュドミラの力なのか?」
あるいは、聖剣が持つもう一つの姿だというのだろうか。
自分でもよく分からなくなり、唖然と消し炭となった大地を見ていた。