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帝歴621年。グレコニウス誕生祭のお祝いがあった日に、異変は起きていた。
何もない山の上に突然現れた暗い雲と、その雲の中から群がる多数の悪魔。その悪魔は人間たちを一方的に襲い殺戮していく。
その突然の状況に対応は遅れたものの、帝国軍はすぐに反撃してその悪魔の襲撃を阻止していた。しかし、更に現れる人型の悪魔による魔法の一撃で数千人もの軍隊が削がれてしまう。
結果は非常に悲惨な物になるかと思われていたが、勇者と呼ばれる一人の少年によって戦況は挽回される。
その後、勇者は悪魔の軍隊の方へ突撃を開始し、その軍隊のリーダーと思われる存在へ奇襲した。
早期の事態の解決を信じて、勇者は決死の行動をする。その軍隊の中に単身で突撃するのは自殺行為ではあったが、しかし勝算が無いわけでもない。むしろ下手に真面目に魔物の軍隊と戦っていれば、勇者は無事でも魔力の無い普通の人間が皆殺しにされてしまう。
その前に勇者は一刻も早くこの戦いを終わらせたかった。仲間たちのためにも、彼は早くこの戦いを終わらせることに使命を感じていた。
「そこだ・・!!」
簡易的に建設された玉座に座る影に、勇者は自身に与えられた聖剣で一気に攻撃する。
集中する魔力の渦、その閃光が玉座に座る魔王と共に一撃で粉砕していった。大きく巻き上がった土で何も見えなかったが、今の一撃であれば流石にどの魔物であれ致命傷であろう。
そう、思われていた。
「何!?」
煙が薄くなっていくにつれ、破壊されているのは玉座だけだと分かった。
地面に立って居るその姿・・魔王と思われていたが。それ以前に勇者にとってその姿はあまりにも以外だった。
少女。黒い服を着た、赤い髪の目立つ悪魔的な少女はゆっくりと勇者の方へ見る。
とても美しく、ただ勇者からすると少し破廉恥すぎる服装ではあった。この少女がとても魔王だとは到底思えないのだが。
「随分卑怯な真似をするのね・・。」
少女は喋った。この少女も人型の悪魔・・というのだろうか。
あの不気味でグロテクスな悪魔とほぼ同種の生き物とは到底思えない。
「勇者様の名が泣くわよ。」
「残念だが、実際はあだ名みたいなものだからね。生業は基本的に戦争屋だったんだよ。」
「だった・・?」
「お前に話す義理は無い・・。と言いたいんだが。」
聖剣をすぐに問答無用で彼女に叩きつけるべきだった。しかし、彼女が少女である限りその行為はできなかった。
「お前、本当に悪魔か?」
「えぇ。魔族の内、最もデビルに近く気高い種族。ソロモンの乙女。私は皇帝の命を受けて、人類に対し戦争を仕掛けている最中だったけど。」
「・・・・」
実際の所、悪魔と人が戦う何ていう事は人類史では今の世代で初めてだ。
元々は文献や伝説にしか存在しない、むしろ子供向けのファンタジーと思われていたその超常的存在は証明された形になるわけだが。
「あの雲の中には異世界に繋がっているのか?」
「えぇ。」
「随分教えてくれるが、それは余裕なのか?それともはったりじゃないよな?」
「何言ってんのよ。」
長い赤い髪を右手で払う。
その姿に見とれるほど勇者は甘くは無い。というより、今すぐにでも彼女を止めるべきだろう。
「でも、ここまで一人で突撃する勇気は確かに勇者的ね。無謀で、無駄で、無能過ぎて。」
「・・・」
無能は余計だろう。とは思ったものの、勇者がすぐに攻撃をしかけない時点で確かに失策だった。
事態の究明は後回し。もしかしたら、遺跡や古代の文献をもっと重点的に調べればもしかしたら悪魔に関する手がかりがつかめるかもしれない。
「じゃぁ今すぐ終わりにしてやる。」
両手で剣を持ち、それを空に向ける。そして、その聖剣に魔力を注ぎ込んだ時、力が発動した。
白銀に光る魔力の渦が発生し、衝撃波を生む。彼女を攻撃してしまうのは仕方が無いが、悪魔である以上容赦することはできない。
聖剣による一撃必殺の魔法奥義。単純であるものの、勇者が今まで悪魔と戦ってきて勝利してきた理由の内の一つだ。
「消し飛べぇ!!」
少女へその聖剣の閃光を解き放った。
しかし、少女は全く回避行動を取らない。右手を差し伸べ、その手の前に魔法陣が現れる。一体どういう事なのか、その魔法陣は閃光を確実に防ぎきっていた。
少女を素通りしていった閃光が流れ弾となって彼女の背後を破壊していく。地面は焼かれ、木々が消滅しているものの彼女だけが無傷で残っていた。
「何だと・・?」
「何・・これ。こんなので倒されてたんだ。私の配下ってホント使えないし気持ち悪いわ。」
この子でもあの悪魔を気持ち悪いと思っていたらしい。
しかし、この時点で自身の魔法奥義が防がれてしまった以上、勇者がやるべき手段は一つだけになった。
「それで?どうするの?」
「随分余裕だな・・」
「えぇ。今のは丁度いい眠気覚ましになったわ。」
攻撃が全く通じない。それ以前に彼女だけ他の悪魔とレベルが違い過ぎるのが、勇者にとって理解できない事だった。
どうして彼女だけが、こうも強いのか分からない。
「聖剣を持った勇者様は、貴方一人だけだとしたら随分寂しいわね。」
「くっ・・!」
やる事はただ一つ。魔法奥義に頼らず彼女を己の実力だけで倒すだけだ。
彼女へ走り出す。少女であることは置いておいて、彼女を止めない限りは前に進めない。
「お命頂戴する!」
少女はふっと笑った。勇者の足元に大きな魔法陣が出現し、その魔法陣から大きな炎がさく裂する。しかし、それが読めないほど勇者も馬鹿ではない。
場数ぐらい踏んできているつもりだ。その攻撃をすぐに回避し、彼女の元へ走る事を止めない。
「貰った!」
少女の体に目がけて剣を振るう。思った以上に彼女への到達が早かったと思っていたが、その攻撃は突然現れた武器によって防がれる。
とてつもなく大きな鎌だ。どう考えても少女の腕力に耐えきれそうにない武器だが、魔族であればあの武器振るうことも可能なのだろう。
更に、その鎌で受けた直後に勇者の周囲に魔力の塊が発生する。闇の色をした、ドリルのような形状の物体が勇者に向かい発射される。寸前にそれを何とかして回避したのはいいが、その衝撃で鎧を持っていかれたのだった。
どんな攻撃にもそう簡単には傷つかない鎧が、あの純粋な魔力の塊だけで削り取られるのは流石に心外だった。
「くっ・・」
「もっと足掻きなさい勇者。ちょっと面白いから、直々に私が遊んであげるわ。」
鎌を横に振る。それに呼応したかのように先ほどのと同じ魔力の塊が少女の背後に出現した。
数はおよそ20発以上。あれを一発でも食らえば確実に勇者は死ぬ可能性がある。
全身の汗が止まらない。その少女も間を持たせることはせず、一気にその塊を発射した。
全身の力を総動員して、その厄介過ぎる魔法を回避していく。一撃でも当たれば確実に死ぬだろうが、今までの戦いを無駄にするほど落ちぶれてはいない。
「こ、のぉ!」
回避しきれないその魔力の塊を、聖剣を使って弾き飛ばした。聖剣で相殺することは可能だと分かったが、正直今の行為が失敗していたら勇者の頭部が消し飛んでいたに違いない。
「わぁ・・今の初めて見た。貴方、意外とやるのね。」
「人を殺そうとしているくせに余裕だなおい・・。」
全弾避けきれたのは祝福ものだったが、彼女は全く疲れている様子はない。つまり、先ほどの攻撃と同じものがまた出てくるということだ。
「私のアステリア・スピアを全て回避した人は貴方で3人目。よく頑張ったわ、誉めてあげる。」
「お前、一体何者なんだ・・。」
「魔族の一人って言ったじゃない?名前を聞きたいの?私に欲情したのかしら。」
「するかこの戦犯が。」
「私は命令されただけよ。この山を根城にして、周囲の邪魔な人を蹴散らして勢力下に置くの。三千年ぶりにこの世界の一部は魔族の領土となる。誠に素晴らしい出来事となったわね。」
「三千年も昔か。伝説もいいところじゃないか。」
「えぇ。でも、人間が生まれて存在した年代はもっと長いのよ?この魔族が記録している大いなる年代記からしてみれば、一万年以上前から人類は存在しているんだから。」
「はぁ・・・それは確かに凄いけど。」
「それで。戦いはもう終わり?それともまだ続ける?」
彼女は非常に余裕だった。こちらは一度でも回避に失敗すれば死ぬ可能性はある。この状況は劣勢にもほどるが、諦めるわけにはいかない。
「帝国カロリング・スローネ軍第三帝国軍師団の騎士、アルト・フィッツガルド。参る!!」
再度勇者は少女へ突撃を開始した。
今度現れた・・アステリア・スピアの数は30を超える。確実にアルトを消し飛ばす気なのだろう。
発射されるその魔力の塊を回避し続ける。聖剣への魔力を込めて回避しきれない物を打ち返すが、先ほどのようにはいかなかった。
爆裂し、粉砕されていく地面。その波動に吹き飛ばされるが、その時の記憶は曖昧だった。
痛覚を凌駕する、非現実的な感覚。
勇者アルトは空しくも、初めて出会った魔王少女に敗退してしまったのだった。