決闘
決闘を前日に控えた夜、帆邑はジギルの部屋で、ジギルの向かいの椅子に座っていた。
目の前にはキルグが用意したジュースやピザがある。
「いよいよ明日だけど、緊張してる?」
「まあ、少しは」
帆邑の言葉に、ジギルは笑う。
「そっか。……リナリーのことだけど」
「ええ」
「あの子、というか、あの子と僕は貴族に飼われた――奴隷だった」
帆邑はその言葉に、この世界は奴隷制が続いているのかと思った。
「驚かないね?」
「驚いているよ。それをわざわざ表に出さないだけで」
帆邑は居心地が悪くてピザに手を伸ばす。
「そう。それは有り難い。それでまあ、僕は魔法と剣術はそれなりだった。剣術は雇い主を守る為に仕込まれて、魔法は自分で勝手に習得した。僕の役割は、守ることといたぶられることだった。護衛兼ストレス解消役って所かな」
帆邑はジュースを飲み干していく。返す言葉は持たないし、気の毒そうな顔をするつもりも無かった。してもそれがジギルの益になるとは思えないからだ。
「そしてリナリーの役は……快楽を与える役だった。あの子は可愛いからね」
いっそのこと、可愛く無ければ良かったと言っているように聞こえた。そう聞こえてしまうほどの表情だった。
帆邑は意識もせずに気の毒そうな顔になり、コップを机に置いた。
「だからあの子は消極的で、臆病だ」
帆邑は未だに返す言葉を持たず、ただジギルの顔を見た。
「僕は力があった。特に魔法は雇い主の予想外だったろうからね。殺すのは容易い。条件魔法が得意でね。特定の条件で発動する魔法だよ。だから、僕がその場にいなくても殺せた。証拠を残さずに殺せたんだ」
ジギルは誇るように語る訳でも無く、悔やむように語る訳でも無い。
「でも犯人が見つかりませんなんてのは、貴族の連中が納得しない。だから、僕とリナリアを殺そうとしているんだ。そして殺した後で、貴族の連中に貴族を仕留めましたと首を持っていく」
「警察が、やろうとしてるのか?」
「警察だけじゃないかな。あとは傭兵とか。まあ全体は掴めないや」
一瞬だけ、ジギルは愁いを伸びた目をした。帆邑はそれを見逃さなかったが、見逃さなかったからと言って何が出来る訳でも無かった。
「頼みがある。リナリーを守って欲しい」
「任せろ」
帆邑の即答に、ジギルは目を丸くする。
「良いの?」
「当たり前だろ」
ジギルはその言葉に、笑みを浮かべる。
「そっか。それは良い。そうだ。君ならリナリーと付き合うのも許してあげるよ。お兄ちゃん公認だ」
「随分と話が飛んだな」
帆邑が笑うと、ジギルも合わせるように笑う。
「じゃあ、話は終わり。明日に向けて、寝ないとね」
「ああ」
帆邑は立ち上がり、ドアへと歩く。
「寝られないならリナリーにでも相談しなよ?」
「勝手に言ってろ」
帆邑は笑み混じりにそう返すと、退室した。
ジギルは水晶の前に立ち、操作をしていく。すぐに目当ての文字列は表示された。
『お前の首一つで納得するだろう』
その文字は、ジギルに希望と絶望を与えた。
校舎の前に噴水がある。そしてその噴水を囲うように人だかりが出来ていた。噴水の前でキルグは靴紐も結んでおり、帆邑は遠巻きに人だかりを見ている。
「随分と集まってるな」
「情報収集もかねているんだと思います」
リナリアの言葉に、帆邑は「なるほど」と頷く。マリーは帆邑の前へと移動する。
「本当にやるの?」
「師匠がやると言ったんだ。これも修行の一環なんだろ」
帆邑はそう言うと、壁にたてかけていた木刀を持ち、キルグへと進んでいく。
その様子に人だかりは歓声を上げて、帆邑の通る道を空ける。
人だかりの中にはエリカやミーアルト、ネアもいる。エリカは深いため息を吐いていた。
キルグは笑みを浮かべ、真剣を抜刀する。
「真剣で無いのは、安全面の考慮か?」
「ハンデだ」
「舐めた真似を……」
キルグは帆邑を鋭く睨む。
ジギルとケイナはそんな光景を屋上から見下げていた。
「ケイナさんは、近くで見ないの?」
「ヒトゴミは嫌いでねぇ」
ジギルはケイナの表情を横目で見る。確かに辟易としているようだった。
ジギルは「そうですか」とだけ返すと、反対側の手すりへと歩いて行く。
「行くの?」
ケイナは振り返ることなく問うた。ジギルもそれに振り返ることは無い。
「ええ」
ジギルは手すりから飛び降りる。
静寂の訪れた屋上を、一陣の風が吹き抜ける。肌に当たる湿った風に、ケイナはつまなさそうに呟いた。
「雨だね……」
昼の陽光を完全に遮断する室内では、カンテラだけが室内を灯していた。灯りを増やすようにイルミナータ・デ・リータは煙草に火を付ける。そうして彼女は深いため息を吐いた。
「応じるとはねぇ」
その独り言に、傭兵団の男が目を向ける。
「どうかなさいましたか?」
「いいや? 別に、何も無いさ」
イルミナータは傭兵団を率いるリーダーだ。そのため息は傭兵団全体に伝播していく。それを理解していても、ため息を止めることは出来なかった。
当初は少人数の傭兵団だった。仕事をこなす内に、傭兵団は大きくなっていき、抱える人数も増えていった。それは安定を生んだが、代わりに自由も蝕んだ。結成当時の仕事を選り好みし、成否より自らの信条を優先する、そう言った行動は取れなくなっていた。
イルミナータの傍若無人が傭兵団全体の評判を落とし、仲間を路頭に迷わすような結果になるからだ。
だから、貴族の犬のような現状にも甘えている。
「ジギル・タリスだっけ。どう思う?」
「ああ。あの子供ですか。簡単では無いでしょうね」
傭兵団の男は子供であると理解しながら、侮ることは無かった。
「そうだね。あれにはあたしらと同じ覚悟があるんだろうねぇ」
「同じ覚悟?」
「生きる為には仁義は二の次ってやつさ」
傭兵団の男は何も返せなかった。その真面目な様子をイルミナータは笑い飛ばす。
「ま、普通に考えりゃ貴族を殺ったのはジギルってヤツだろうね。でも証拠は無い。証拠は無くても、殺す。その妹も気に食わないから殺す。で、あたしらは金を貰ったから、その命令に従う」
「それは……」
「仁義に悖る。だから、あたしが行く」
イルミナータは虚空を睨んだ。彼女は未だに正しく睨む相手が分からない。
「頭領。我ら一丸の願いを知っていますか」
「願い? そんなタマだったかねぇ」
「頭領の好きにやって欲しい。それが我らの願いです。我らは未だに、走り始めたあの頃に恋をしているんです」
イルミナータはその言葉に、手元にある上着を投げる。傭兵団の男は上着が顔を覆って前が見えなくなる。
「恥ずかしい奴だね。誰があんたらに気遣ってるってんだ」
イルミナータは笑みを浮かべて、出口を目指す。
薄暗い室内で、吐き出せない想いが煙のように宙を舞った。
――仁義がどうあれ、あたしはこいつらの頭だ。秤の一つに仲間が乗ってんなら、それより重いもんなんざ無いね。
けれど。
イルミナータは右手の甲にある奴隷の刻印を見る。
その過程が似すぎてしまっているから、彼女の足は重くなってしまう。
人混みは噴水を囲う円の形で距離を取り、帆邑とジギルの決闘場所を作り上げる。
「ホムラさん! 頑張って!」
リナリアの精一杯の応援に、帆邑は手を振る。
「頑張ってね」
マリーはそう言うと、距離を取る。
ジギルはコインを指で弾く。
「さぁ、行くぞ」
ジギルは真剣を鞘から抜き、構える。対して帆邑も木刀を構える。
一瞬の静寂を、コインと地面の接触音が破る。
「『肉体強化魔法一式』」
聞き覚えのある言葉に対し、帆邑は左手を柄から話し、圧縮した魔力を出現させていく。
キルグは帆邑の行動を見つつも、恐れずに接近していく。
――接近戦は分が悪いな。
帆邑は一歩下がると共に左手をキルグに向ける。キルグは地面を蹴って左手の向いている方向から外れていく。それで圧縮魔力砲はかわせるはずだった。
しかし、帆邑の左手の前にある圧縮され魔力は、前方に無作為に飛んでいく。
「なっ」
一瞬の動揺。しかしキルグの動揺は一瞬に留まり、右手を振う。そうして右手の振った軌跡に炎は残留する。炎は魔力に触れると、それを焦がし、焼き尽くしていく。
「魔力を喰う炎だね」
ネアの言葉に、ミーアルトが頷く。
キルグは一先ず安心する。そうして安心している自分を自覚する。ただの勇者候補に対し、安堵する。それが彼にとってどれほどの屈辱だったのか。
そんな自己嫌悪の間隙を縫って、帆邑は炎の中を通ってキルグに肉薄する。炎は帆邑の服を焦がす程度に留まっていた。
帆邑は木刀を振い、キルグは真剣で受ける。しかし真剣で受けたにもかかわらず、木刀は少しも損傷を見せない。
「完璧だね」
ネアは木刀に働いている強化魔法が正常だと確信する。
帆邑は木刀を振い、キルグを捉えようとする。その動きにキルグは肉体強化魔法をかけているのにも関わらず、追いつけない。得物の重さの差故に。
キルグは三度木刀を真剣で受けるも、四度目、帆邑が体勢を低くし、上へと放つ突きに対応出来ない。木刀はキルグの顎を捉えて、身体を浮かせる。
キルグは地面に受け身も取れずに落ちる。しかしそれと共に起き上がった。呼吸さえも安定しないほどだったが、地に伏す屈辱はそれを越えるものだった。そうして立ち上がったからこそ、目の前に迫る圧縮魔力砲に気付くことが出来た。咄嗟に右へと動き、紙一重で圧縮魔力砲をかわす。
エリカは圧縮魔力砲の前に立つと、野次馬の勇者候補に当たる前に障壁を展開させて守る。帆邑はその様子を心配そうに見つめていた。
「貴様……」
帆邑はその言葉にやっとキルグを見る。そうして、キルグが激怒していることを理解した。
キルグは怒りに震えていた。上級貴族として、常に上に君臨するのが彼の生涯だった。その生涯を、今砕かれたのだ。決闘中に目を逸らされる。そんな屈辱が許される筈は無い。キルグは若い貴族の顔をすべて把握している。だから帆邑が貴族では無いと確信していた。
つまり彼は、貴族ですらない人間に自尊心を砕かれたのだ。
「『瓦解の灯焔』!」
キルグは怒りと共に剣を振り下ろす。そうして剣が地面に突き刺さると、そこから炎が溢れ出す。炎はキルグを飲み込んで広がっていく。そうして野次馬を巻き込むほどに膨れ上がった炎は、キルグはここにありと示すように煌々と燃え上がった。
その炎が止むと、キルグはやっと帆邑の姿を確認できた。
肌は凍てつき、赤く奔る。眼は黒く、キルグを見つめていた。大した怪我も無いようで、更に言えば野次馬の前には氷壁が出来ていた。
「貴様ァ! 決闘中に、他人を気遣えるとはな!」
キルグは激昂すると、剣から火の玉を出現させ、宙を舞わせる。
「やれ!」
キルグの指示に、火の玉は帆邑に迫る。しかし帆邑は氷の剣で火の玉を切り裂いて、消滅させていく。更にキルグに接近すると、キルグの剣に触れて凍り付かせる。そうして氷の剣をキルグの喉元に当てる。
「俺の勝ちで良いか?」
「ふざけるな!」
帆邑の問いに、キルグは吠える。
「俺は貴族として、研鑽を積んできたんだ。それがこんな、こんな簡単に覆せて堪るか!」
「ふざけてません!」
答えたのはリナリアだった。
リナリアは怒りのままにキルグに近付く。
「あなたは一度でも魔力が尽きるまで修行をしたことがありますか!? それを一か月も続ける地獄を、それを簡単だなんて、誰にも言わせません!」
「なんだと……?」
帆邑の魔力が尽き、氷の剣が砕ける。それと共に氷壁や、キルグの剣を覆う氷も砕けた。帆邑の四肢も氷
から解放される。
「俺は別に、努力自慢をしたんじゃない。ただ勇者に成りたいだけだ」
帆邑はそう言うと、キルグに背を向けて歩き出す。
見物人は歓声を上げて、その勝利を称えた。