新魔法
地下深く、暗い部屋には一つ窓がある。けれどその窓から星は見えない。周囲の部屋や家、ひいては街に
は光が包まれているからだ。
つまり彼らだけが特別扱いされている、という訳である。
隣り合った部屋に一人一人、彼らがいる。一人は冷たい壁に背を付けて、俯いてる。それは灰色の髪を肩ほどで切りそろえた、灰の眼の少女だった。容姿が優れており、だからこそ左手に奴隷の刻印が刻まれることとなった。もう一人は向かいの部屋で少女が背中を付けている壁に反対側から背を付けて、窓からただ暗いばかりの空を見ていた。少女の兄であり、伸ばした前髪をピンで留めることで額にある奴隷の刻印が分かるようにしていた。こちらも当然灰色の髪で、無造作に伸びていた。手入れをする余裕が無いだけだ。少女の髪が手入れされているのは、少女の兄であるこの少年が手入れしているからである。少年は擦り傷、切り傷、打撲、痣など怪我だらけだった。
「ジギル、失敗で俯いてばかりの人をどう思う?」
ジギルは思わず笑みを零した。しかしその笑みに音は無く、少女に伝わることは無い。
「人の足を引っ張ってばかりの人をどう思う?」
ジギルは更に俯いて、涙混じりの声へと変わってしまう。
「邪魔しかしない人のことを、どう思う?」
ジギルには思い当たることがあった。彼らの雇い主は少女を怒鳴りつけたのだ。そしてジギルはそれを庇い、結果として幾つもの罰を受けることとなった。それを悲しく思っているのだろう。
であれば少年は口にする言葉を考えるまでも無かった。どう慰めようか、今日一日の考え事はそればかりだったのだから。
「そうだなぁ」
わざとらしく、そんな考えるふりをして、少年は続ける。
「僕は失敗で俯いてばかりの人を励ましたいと思うよ。人の足を引っ張ってばかりの人に、寄り添いたいと思うよ。邪魔しかしない人のことを、嬉しく思うよ。助け甲斐があるってね」
「……そうかな」
ジギルは上に手を向ける。そうして手の上に魔法陣が浮かび、炎が宙を舞う。炎は暗い部屋を明るく照らし、一瞬で消え去った。
ジギルは雇い主の護衛として剣術を磨く一方、個人的に魔法を研究していた。例えば隙を見て本を読むような手段で、魔法の研鑽積み、そうして一つの境地に至った。ジギルが求め続けた魔法、条件魔法を習得したのだ。
さて。
「ねえリナリー。一つ意地悪なことを聞いて良い?」
「良いよ」
ジギルの問いに少女――リナリアは身構えもしなかった。
「上から目線で罵ってくる奴をどう思う? 簡単に暴力を振って、人を悲しませてくる奴をどう思う? 優しさの対義語みたいな奴をどう思う?」
ジギルの言葉には憎悪が滲んでいた。
リナリアの頬からは涙が零れて、床を濡らす。
「ムカつくよ……」
「同感だ」
ジギルは一人、決意を固めた。
対人訓練室はあまり使われない。そう聞いていたが、しかし今帆邑とケイナ、マリーは対人訓練室にいた。
「さてホムラ。加護魔法はどんな具合かな?」
「やってみないと分かんないな」
「あはは、そりゃそうだね。じゃあ、やってみようか」
ケイナは笑みを深くすると、構える。マリーは心配そうに帆邑を見つめ、帆邑は深呼吸をする。
「ソティス」
たった一つの声は、宙に青い魔法陣を描く。
そうして、それを合図に帆邑は変貌を遂げる。周囲に青い光が舞う。四肢が凍り、髪が凍てつく。そして氷中には赤い線が奔り、瞳が青く染まる。
帆邑は『冷たさ』と『鮮血』を得ることと引き換えに、『自我』と『魔力』を失っていく。
「ふむ」
ケイナは頷くと、魔法陣を二つ出現させる。
――条件は『自我』と『魔力』か。
帆邑はケイナに直進していく。しかしケイナの魔法陣が消えると共に、ケイナの姿が消える。帆邑は気にせずに直進し、ケイナのいた位置に立つも、周囲を見回してもケイナの姿が見えない。帆邑は地面を蹴り、それと共に氷が広がっていく。辺り一面を氷が支配する中で、マリーは驚愕する。
「帆邑!?」
「妖精ちゃん! 声を出さないで!」
ケイナは叫ぶ。
帆邑はその声に、この位置へと向かっていく。ケイナの位置は見えなかったが、魔法陣の真横を通り抜けると共に、ケイナの姿が見えた。
ケイナの発動した魔法は、ケイナとマリーの姿を消す幻惑魔法で、それに限定魔法――飛躍魔法をかけることで魔法の効果範囲を『魔法陣を発動した位置から横に、両方の部屋の壁』まで伸ばしているのだ。そして帆邑が魔法陣を通り抜けると、帆邑とは逆方向に魔法陣の横を通り抜けることで自らの姿を消していた。
帆邑は身を屈めて地面を蹴ることで、ケイナへと跳躍する。
――私を狙ってくれて助かった。
ケイナは自分の前に両手を出して魔法陣を重ねて展開する。一つ目の魔法陣は障壁魔法、そして二つ目の飛躍魔法で範囲を『魔法陣から全方位に壁まで伸ばした形』に飛躍させる。
帆邑は気にせずに壁を殴りつけて、更に障壁自体を凍らせる。
「わぉ」
ケイナと帆邑の間には氷壁が出来た。
――身体能力が強化されているのに加えて、この氷魔法の精度……厄介だな。加えて限定魔法だろうから、ただの氷魔法に留まらない所があるんだろうな。
ケイナの推測を裏付けるように、氷中には赤い線が奔っている。
帆邑は手を覆う氷を鋭利な形に変えて氷壁を砕き、そこからケイナに肉薄する。
「しまった――」
魔法陣を展開する隙も無く、帆邑が肉薄する。その顔の横に、氷壁を貫いて剣が現れる。帆邑は慌てて距離を取り、後方に退く。帆邑は真横から熱を感じてそちらを見ると、魔法陣が氷壁に現れていた。そこから炎が氷を溶かして帆邑に迫り、彼の身体を覆う。
ケイナは援護に、援護をした張本人を見る。灰色の髪で額を覆う少年、ケイナがこの訓練室に呼んでいたジギルだった。その後ろにはリナリアもいる。そして更に後ろを見ると訓練室の扉が開いていることが分かる。
「状況は?」
「時間を稼げばオーケー」
「なるほど」
ジギルは帆邑の開けた穴から通っていき、ケイナの前に立つ。
「援護は任せるよ」
「うん」
帆邑は体を氷で覆い、炎との接触で水に変わる。そうして鎮火すると、再度氷で覆う。
「怪我は無さそうだね」
「魔力を使わせて!」
ケイナの要請に頷き、ジギルは帆邑に接近する。ジギルは容赦なく剣を振い、帆邑はそれに対し氷の剣を軽く振って受ける。
ケイナは真横に跳んで魔法陣を二つ展開する。一つは魔力に破壊力を付与させた魔力弾を飛ばす魔法陣で、二つ目は飛躍魔法。これで速度と破壊力を飛躍させる。
魔力弾は帆邑の腹部に直撃し、よろめかせる。その隙にジギルは剣で腹部を切るが、帆邑は地面に倒すことには成功するも、氷の外装しか切り裂けない。
「無傷か……」
帆邑は手を掲げて見る。そうして暫し考えると、立ち上がる。
異様な光景にジギルは距離を取る。
帆邑は右手を後ろに構えると、魔力を凝縮して手の前に集めていく。
「魔力弾!?」
「いや違う! でもかわさないと!」
――魔力弾でもなんでもない。あれは魔力を圧縮して飛ばすだけだ。でも直撃すると不味い。
ケイナは直撃すれば死の危険があると直感する。
帆邑は手を振い、前方に伸ばし右手から魔力が放射される――直前。小さな少女が手を広げて飛び塞がる。
「帆邑ッ!」
マリーの声に帆邑は目を見開き、青く染まった瞳は黒を取り戻す。右手の前にある圧縮された魔力は展開されていき、周囲を吹き飛ばしていく。帆邑は至近距離でその猛威の被害を受け、壁まで吹き飛ばされて叩きつけられる。身体能力の強化もあって致命傷とはならなかったが、衝撃は取り戻した自我ごと意識を刈り取られる。
部屋全体に暴風が吹き荒れるほどであったが、ジギル、ケイナ、リナリアはなんとか立って堪える。マリーはその暴風に吹き飛ばされるも、ケイナが優しく抱き留める。
「大丈夫?」
「う、うん」
マリーは帆邑を思い出す。
「帆邑!」
慌てて帆邑まで飛んでいき、帆邑の頬に触れる。ジギルは走ってリナリアの傍に立つ。
「大丈夫?」
「うん。でも……何があったの?」
リナリアの問いに、ジギルはケイナを見る。
「いやぁ、加護魔法のテストをね」
「加護魔法? 彼がその使い手なの?」
「うん」
ジギルはそれで得心がいく。
「なるほど。条件は?」
「『自我』と『魔力』を失うこと」
ケイナの言葉にジギルはため息を吐く。
「加減は出来ないの?」
「出来ると思うよ。『魔力』を全て失ったらほら、暴れられないでしょ? だから『自我』も加減は出来る筈なんだけど……あはは、加減出来なかったみたいだね」
「『条件魔法を教えてやれ』って呼んだよね? まあ加護魔法も条件魔法に分類されるけどさ、あれに教えろって?」
ジギルの言葉にケイナは渾身の笑顔を見せる。
「うん!」
「君さぁ……いや、恩を売るのは悪くない……のか?」
ジギルが顎に手を当てて考えると、ケイナは何度も頷く。
「彼お人好しだし、手を貸してくれると思うよ?」
ジギルはケイナを数秒見て、ため息を吐く。
「良いさ。でも安定するまでリナリーは呼ばない」
「そうだね。さて」
ケイナは帆邑へと近づき、頬を叩いてみる。
「おーい。ダメだなこりゃ。どうせ魔力無いから今日は無理だし、良いか」
「なら、帰って良い?」
「いや、後片付けがあるでしょ?」
ケイナの言葉にジギルは氷壁を見上げて、ため息を吐いた。
ジギルの口調間違えてたので修正しました。