第7話 生きている人間より生き生きしている少女。
「え、なに……あ」
絢音が指差す方向を見た咲良も、同じ声を漏らす。
二人には、はっきりと見えていた。
白くぼやけるでもなく、パッと見では生きている人間とさえ見紛うような少女が。
そしてその少女が……つい昨日、ファミレス内で出くわした少女と同一人物であることに気付くのにも、さほど時間はかからなかった。
「え、あの子って昨日の……って、絢音!? ちょっと!」
つかつかと少女の下へ歩み寄る絢音に、咲良は慌てて付いていく。
「……っ」
目の前で少女を見た咲良は、思わず息を呑んだ。
本当に、自分に霊感があると知らなければ生きている人だと間違ってしまいそうなほど「鮮明な」少女。小学六年生くらいだろうか、顔はまだまだあどけないが、とても整った顔立ちをしている。
ポニーテール姿が利発な印象を与え、つり目が意思の強さを伺わせる。何よりも咲良が驚いたのは、可愛らしい服の上からでもはっきりと盛り上がりが分かる胸の大きさだった。同年代において明らかに浮くであろうその体型に、咲良は驚愕すると同時に視線の全てを二つの膨らみに吸い寄せられていた。
「……どうして泣いているの?」
優しげな絢音の声に、咲良ははっとする。
少女は、膝に両手を置いて……ぽろぽろと泣いていた。そのことに気付いた瞬間、咲良の胸がきゅっと締め付けられた。一体どれだけこの街を彷徨ったのか……子供の内に命を失ったこの子は、どれだけ辛い目に遭ってきたのか。咲良は唇を噛み締めていると、少女が静かに嗚咽を漏らしながら、おもむろに咲良を指差した。
「……へ?」
「……咲良くん? この人がどうかしたの?」
二人が目をぱちくりさせていると、少女が泣きじゃくりながら、
「……この人が……未悠のおっぱいをずっとガン見してるのです……」
「ちょっと!? 確かにすごく見てたけどそれじゃ時系列が痛いっ!?」
咲良の視界の正面が、少女から公園に植えられた木々に強制的に移される。絢音の高速ビンタが自分の頬を打ち抜いたのだと数秒遅れて気付いた。
「あなた、胸が大きければ誰でも良いの?」
「ち、違う、俺は単純にこういうのに慣れてなくて、つい見ちゃうんだ。だからきっと絢音の胸を毎日見れば慣れてきて危ないっ!?」
空を切る絢音の豪速ビンタに、咲良は回避しながらも冷や汗をかいた。風切り音が目の前を掠めて心臓がきゅっと縮む。
「そ、それで……本当は何で泣いてたの?」
この時点でシリアスな雰囲気も何も無いな……と思いながら、咲良が尋ねる。少女は頬を押さえる少年の惨状を見てくすりと笑みを浮かべ、そして改めて嗚咽を漏らした。
「……こち亀が……終わっちゃって……それで、悲しくて……」
「……あなた、ふざけてるの?」
「大真面目ですけど」
「ご、ごめんなさい……」
少女の予想外の真剣さに、絢音は反射的に謝ってしまう。
咲良は少女の言葉に、はてと首を傾げた。
「君くらいの年齢でこち亀をそんなに読んでるものなのか?」
咲良が問うと、絢音が「何でこの話を膨らませようとしているの? バカなの?」と目で訴えかけてきた。絢音のジト目にもめげず、咲良は少女を見やる。
少女は首を傾げる少年に対して、目尻の涙を拭って凛とした表情を浮かべる。
「一番理想とする部屋は擬宝珠纏さんの部屋なのです」
「お、おおう、そうか……」
思いの外ちゃんと読んでらっしゃる……と、ジャンプでたまにしか読まない咲良は動揺した。良いよね、シンプルな部屋。などと月並みのコメントを返した。
「あなたの名前は何て言うの?」
絢音が膝を曲げ、髪をかき上げて優しい声音で問い掛ける。学校でまず見ることの無い母性的な優しさに、咲良は心臓を鷲掴みにされた。
柔らかな笑みを浮かべるお姉さんの問いに、少女はにこりと微笑んだ。
「わたしは未悠……久遠寺未悠って言います。話しかけてきてくれたのはお姉さんが初めてなのです。よろしくお願いします」
「未悠ちゃん……素敵な名前ね。私は絢音……幽鬼ヶ原絢音っていいます。よろしくね、未悠ちゃん」
絢音が差し出した手を、未悠と名乗った少女がにこにことしながら両手で握り返す。温かな邂逅に咲良が頬を緩ませ、自分もと身を乗り出した。
「俺は織部咲良って言います。よろしくね、未悠ちゃん」
絢音同様に咲良が手を差し出すと、未悠は笑顔のまま胸を手で覆った。
「よろしくお願いします。わたしの身体をそんなに舐めまわすようないやらしい目で見たのは織部さんが初めてなのです。手を触れると何をされるか分かったもんじゃないのでやめておくのです」
「それあまりにもひどいたたたたっ!? ちょっと、絢音、最後までしゃべらいたたた!?」
絢音が神速で咲良の背後に回り込み、腕を捻り上げていた。未悠は絢音の暴虐に対して「おお~……」と呑気に感嘆の声を上げ、ぱちぱちと拍手をしている。
「ふう……ここに来てから悲鳴しか上げてない気がする。……まあ、よろしくね」
そう言って、咲良が改まって未悠の顔をまじまじと見る。
「……何ですか、口説くんですか。確かにまあ、織部さんの顔は割とタイプではありますけど。可愛い系の顔で中々良いところを突いてますね」
「ほんのり顔を赤らめながら言わないで……」
じりじりと距離を詰めてくる絢音から一定の距離を保ち、未悠の周りで円を描く奇妙な動きをしながら咲良がため息を吐く。
「俺は初めてまともに霊というものに接するんだけど……君は普段どんな生活をしてるの?」
咲良は驚いていた。
霊とここまでまともに話せることに。
「もはや生きている人と話しているのと変わらないって言うか……むしろ生きているヤツでも拙い話術に何の危機感も抱かず何一つ面白い話を出来ない奴よりも遥かに素晴らしいっていうか……」
「さ、咲良くん?」
「織部さん……闇を感じます……」
「……ごめん、つい日頃の不満が……」
淡々と猛毒を吐く咲良に、2人の少女が顔を引きつらせた。
「普通ですよ、普通。生きている人の中でも、とびきり暇な人が送るような生活をしてるのです」
「え、それってどういう……?」
咲良の言葉に、未悠は首をこてんと傾げて顎に手を当て「う~ん……」と考え込んだ。
「本当に普通ですよ、普通。本屋で立ち読みをしたり、公園を散歩したり、コンビニのエロ本のビニールを神業と言える技量で剥がして中身をがっつり読んでから綺麗に戻したり、ファミレスでまだ本番まで至っていないであろうカップルが冗談混じりのマジ顔で猥談をして興奮してるのを見てにやにやしてたり」
「後半おかしくないか?」
咲良がツッコむ横で絢音が「やるわね……」と感心していたが、咲良は綺麗に無視をした。
「……本当に、生きている人間と同じだな。前半は、だけど。……ん? ていうか立ち読みとかビニールを剥がすとか……物に触れるのか?」
「触れますよ。この辺は見える人と見えない人で認識が変わるみたいですが、お二人のように見える方からすればわたしが立ち読みしているように見えて、見えない人からすると本は棚に置かれたまま、何も起きていないように見えるんです」
未悠の説明に、咲良は興味深げに目を瞠る。
「そんなことがあるのか……。でも、それなら君が本を読んでいる時に、見えない人が同じ本を手に取ったらどうなるんだ?」
「君とかそんなキザな呼び方しなくて良いですよ? なんなら雌豚とでも読んでください」
「何で澄まし顔でそんなことが言えるの?」
真顔でツッコんだ。
未だにわたしの胸を凝視している織部さんは置いておいて……と言った所で、絢音が咲良を射殺さんばかりの視線で睨んだ。背中に冷や汗をかきながら未悠の顔を見る咲良に、未悠はにぱっと愛らしい笑みを浮かべた。
「そういった時――わたしが見えない人がわたしの行動に偶然干渉しかかった時はですね、都合の良い事が起きるのです。コンビニで言えば別の漫画を見つけてそれを読み始めたり、或いは先に買っておきたいものを思い出して踵を返したり、或いはトイレに行ったり。それは店員さんにも同様で、例え雑誌の棚を整理している時でもちょうど店長に呼び出されたりして、自然と干渉が避けられるんです」
「へえ、すごいな……」
「アレです、ホグワーツ的なやつです」
「すごく分かりやすい……」
未悠の出した例に、咲良は一発で納得した。絢音は後ろで「秘密の部屋の伏線の回収が見事すぎてもう……」と一人で回想に浸っている。
「意思の薄い霊だとそうはいかないけれど、
未悠ちゃんくらい自我がはっきりしていると、お互いに触ることも出来るわよね」
「あ、だから握手も出来たのか」
「そうです。だから織部さんは、わたしが霊だから捕まることも無いと思って力任せに組み伏せて、この幼い身体に不釣り合いな巨大な乳肉を揉みしだくことだって可能な訳です」
「誤解だって絢音! 俺はまだ何もしてない! 何もしてないから!」
「『まだ』って言ったわね! もう許せないわ咲良くん! あなたが性欲に任せて間違いを犯す前に私の手で……!」
公園の中で全力で繰り広げられる狩りを、未悠はにこにこしながら見ていた。
はあはあと息を切らして戻ってきた2人に「おかえりなさい」と未悠が言い、疲れた顔で「ただいま」と2人が返す。
ふと、未悠が絢音を見る。その視線の粘性に絢音は思わず後ずさりした。
「ど、どうしたのかしら? 未悠さん」
胸を手で隠して後ずさる絢音をよそに、未悠は咲良にくりんと顔を向けた。
「……織部さん、よく絢音さんを襲わずにいられますね。こんなすらりとしてるのに肉付きの良い、端的に言ってエロさ全開のプロポーションをした美少女に」
『んな……っ!?』
咲良と絢音が同時に声を上げる。
「たたた、確かに私は美少女だけどね!? そそそそりゃあ咲良くんもこんな私と一緒に過ごしていれば我慢も大変でしょうけど!?」
「落ち着いて絢音!?」
目をぐるぐるさせながら混乱を極める絢音と、彼女を宥める咲良を見て未悠は再びにこにこしていた。
ようやく絢音を宥めた咲良は、荒げていた息を鎮めてまじまじと未悠を見る。
「なんですか、視姦ですか? わたしを妙な性癖に目覚めさせようったってそうはいきませんよ」
「発想が斜め上すぎる……。いや、本当に生きてるみたいだなって改めて思ってさ。全然おばけっぽくないなって」
咲良の言葉に、未悠はむっと頬を膨らませる。あ、子どもらしいなと咲良はクスリと微笑んだが、それがまた未悠にはバカにされたように感じたらしく、眉を八の字にひそめてむむむと唸った。
「それなら……おばけっぽいところ、見せてあげましょうか?」
「え……うわぁぁぁあぁぁぁぁぁぁっ!?」
咲良の返答を待たずに、未悠の身体が突然変貌を遂げる。
ベンチにちょこんと座っていた脚の膝から下が消滅して、首が不自然な方向にねじ曲がり、衣服が血に染まる。白目を剥いた目からは血の涙が流れ、どこも見ていないはずの瞳に確かに見られていると咲良は感じた。絢音が「わお……」と小さく驚くなか、咲良は全力で悲鳴を上げて――
「え、ちょ、咲良くん……!?」
「……お兄さん、中々やりますね……」
反射的に、絢音の胸に飛び込んでいた。絢音の背中に腕を回し、豊満な双丘の谷間に顔をすっぽりとうずめている。
「う……うぅぅ……っ」
顔をすり寄せながらぶるぶると震える咲良に、絢音と、元の姿に戻った未悠はキュンとする。
「……咲良くん、可愛い……」
「……情けな可愛いですね……」
二人の少女が、ほにゃっと頬を緩めた。絢音は咲良の頭を撫でながら「よしよし……」と優しい声で囁き、未悠は咲良の頭を後ろから撫で「すみません、お兄さん。やりすぎてしまいました……」と謝った。
「うう……わかったけど、今度からはちゃんと宣言してから言ってね……? あと、絢音……ごめん、もう少しこのままでいい?」
『……っ』
二人の少女が、目を見開いて固まった。本来ならセクハラ全開の行為も、今は何の戸惑いもなく許容していた。