表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/25

第23話 決着。

 未悠が男を見たという場所は既に誰もいなかったが、未悠から聞いた情報では男はスーツを着たメガネの男性で、身長は高め。不自然なくらいに背がぴしりと伸びていて、スーツに似合わぬ原色のリュックを背負っているということだった。その情報を基に咲良が辺りを見回すと、


「……未悠ちゃん。もしかして、あの人?」


 男をそっと指差す咲良の手が震えている。


「……そうです、ね。あの人です、間違いありません」


 未悠の言葉に絢音と瑠理香が振り返り、それぞれが瞠目する。


 男は、オープンカフェで堂々とコーヒーを飲んでいた。咲良たちから見える位置で椅子にリュックを置き、未悠が言ったとおりの背格好をしている。髪型は不自然なほどぴっちりとした七三分けだった。


「あ、あの人、わ、わた、わたし、を……っ」

「瑠理香さん。大丈夫だから、ね?」


 瑠理香がぶるぶると震えているのを咲良が必死でなだめる。しかし咲良も内心では「な、何あれ……?」と怯えていた。


 咲良には、男の周りにうっすらと黒紫色のもやが見えていた。男が今まで犯してきた所業を表すような、おぞましいもや。


「……他のことを考えながらすれ違ったから気付きませんでしたが……色々と思い出しました」未悠が見るのも不快という風に眉をひそめた。「あの人、わたしとすれ違うとき普通に避けたんです。普段はわたしが避けてますし、避けなかったとしても霊感の無い人ならすり抜けるので問題ないんですが……あの人は、自分からごくごく自然に避けたんです」


 未悠の言葉に咲良は目を瞠る。つまりあの男にも霊感があるのだ。


「……あの男、人を殺しすぎて霊感がついたのよ」

「……絢音? 絢音!? 大丈夫!?」


 絢音に目をやった咲良が駆け寄る。絢音は吐き気をこらえるように口を手で覆い、立つのもやっという風だった。顔は青ざめ、意識を保っているのが不思議にさえ思える。


「大丈夫……もう少しすれば順応出来るから」


絢音は応えながらも、咲良の肩に手を置く。


「咲良くんには、あの男の周りに何があるように見える?」

「えっと……黒紫色のもやがうねうね形を変えて漂ってるように見えるよ」

「そう……そこまで見えるなら合格ね」


 絢音は視線を一瞬男に向けて、すぐに逸らした。咲良の顔を見つめるが、今は咲良を見たいというよりも男と目を合わせたくないかのようだった。


「あの男……恐らく元は霊感が無かったはずよ。それが、何人もの人を殺して、ほとんど自我の無い霊に憑かれていく内に霊感に目覚めたみたいね」

「……わたしも、ああなっていた可能性があるんですか?」


 瑠理香の言葉に、絢音はそっと目を伏せる。瑠理香の口の中で、白い歯がかちかちと鳴った。


「未悠ちゃんはここにいて。瑠理香さんは……どうする?」


 咲良の言葉に未悠は「隠れて機会を見計らっておきます」と言って頷き、瑠理香は胸の前で手を重ね、視線を泳がせた。


「……行きます。皆さんを巻き込んでいるのはわたしなんですから」


 そんなことはない、と瑠理香に言っても仕方がないと咲良は思い、「ん、わかった」と優しく微笑んだ。


「……絢音、大丈夫?」

「……近付いたらまた大きな波が来そうだけど、多分大丈夫よ」


 己を殺した相手を見つめる瑠理香よりも、絢音の方が弱っていた。凜とした瞳は細められ、冷や汗がじっとりと浮かび、今もなお咲良の肩に手を置いている。


「……やるしか、ないでしょう?」


 そんな、弱りきった中でも絢音は咲良を見て笑う。


「わかった、行こう」


 咲良は少しだけ微笑んで、力強く頷いた。


       ×  ×  ×


「すいません、ちょっといいですか」


 咲良の声に、男――堂ノ池が顔を上げた。眉をひそめて値踏みするような視線を三人に巡らせると、最後に瑠理香を見た瞬間に僅かに目を見開いた。


「君は……あのときの」


 男がごくごく小さい声で呟いた言葉が、3人は総毛立った。晴れた日の真昼時だというのに、まるで宵闇のなか耳元で幽霊に囁かれたかのような恐怖。3人の表情の強張りとは対照的に、男は笑っていた。


「ふむ……」男は3人に向き直ると、足を組み顎を撫でた。「どうやら大事な話があるようだね。場所を移動しようか」


「……付いてきなさい。言っておくけれど、逃げるんじゃないわよ?」


 先に堂ノ池から提案されたことに面食らいつつも、絢音は気丈に振る舞う。声の震えを堪えるのが精一杯に思えた。


「おお、怖いお嬢さんだ。そんなに怯えなくていいのに」

「……っ、この……っ」

「絢音、大丈夫だよ」


 咲良の言葉に、絢音の強張った表情が幾分か解れる。咲良は堂ノ池をキッと睨み付けた。


「移動するから付いてきてくださ……付いてこい」

「承知した」


 3人が歩いていく5歩後ろを堂ノ池がついてくる。歩いてきているのは男一人のはずなのに、咲良はまるで百鬼夜行を引き連れているような感覚だった。

 絢音が咲良の服の袖をそっとつまむ。絢音の空いた手は、瑠理香の手を握っていた。


「……くく……っ」


 後ろで笑う男の声を、咲良は聞こえぬフリをした。


       ×  ×  ×


「む、移動しましたね……行かなくては」


 堂ノ池に見つからぬよう隠れていた未悠は、咲良たちが移動し始めたのに気づき尾行しようと立ち上がる。


「あれ? 未悠ちゃん?」

「ほえ? エロ姉さん?」


 のほほんとした声に未悠が振り向くと、そこには恵美里がいた。


「こんなところでどうしてほふく前進してるの?」

「ちょっと軍人さんに憧れてまして」

「ポニーテールとミニスカートとリュック姿で……?」


 恵美里は首をこてんと傾げたが、それ以上は追求してこようとしなかった。未悠が会話中も常に視線を一点から外していることに気付き、恵美里が同じ方を見る。


「さっきから一体何を見て……あら? 咲良くんに……絢音ちゃん、と、その他知らない人たち……」

「エロ姉さん、人手が必要になるかもしれません。協力してくれませんか」

「ピンチなの?」

「多分ピンチになります」


 未悠の説明は何一つ十分なものではなかったが、それでも恵美里は大ざっぱに状況を把握したらしい。


「わかった、協力する。移動するなら途中で話を聞かせてもらっていい?」

「……ありがとうございます。喜んで!」


 恵美里の返事に、未悠は年相応の向日葵のような笑みを浮かべた。


       ×  ×  ×


 咲良たちは、夢奇ヶ丘神社のある山にほど近い公園に来ていた。大きさの割に人けは無く、休日だというのに誰も通りかからない。まるで人払いの結界でも張られているような静けさに、咲良の肌が粟立った。


「さて、君たちの望みは何かな? 私は今とある事情により何でも答えてあげられるよ」


 咲良たちに対峙した状態で、堂ノ池が飄々と言ってのけた。口の端が歪につり上がり、咲良はそれが笑顔だと気付くのに数秒を要した。


「……本題の前に聞きたいことがある。まず、何でこの町に? 2年前の事件は隣町で起こしただろう。なんでわざわざこんなに近い場所にいるんだ?」


 咲良が堅い声音で訪ねると、堂ノ池は眼鏡をくいと上げ、空を見上げた。この町の空は、時折おかしな空模様を見せる。今日のように晴れた日に、胸がざわつくような雲の形になることがあるのを咲良は知っていた。その原因はこの町の霊気が原因なのでは、と咲良はここ数日で思い始めていた。


「……知っているかもしれないが、私は何人も殺しているんだ」


 好きな食べ物のことを話すようにごく平然と堂ノ池が口にした内容に、咲良はひゅっと冷たい空気を吸った。


「何人殺した頃かは思い出せないが、ある時期から霊というものが見えるようになった。初めは訳が分からなかったが、己の身体にまとわりついたものたちの顔が……かつて自分が殺した子たちの顔と同じだと気付いて、全てを悟ったよ。……君は、この中に入らなかったようだがね」


 堂ノ池の視線が瑠璃香に向けられる。射すくめるような視線に瑠璃香は凍りついた。


「質問に対する回答の前置きが長くなって申し訳ない。その頃からね、どうも人に見つかりやすくなったんだ。この身から何か人と違う障気が溢れ出しているのか、霊感の有無を問わずあちこちで怪しまれるようになった」

「……それはそうね。あなたの纏っている空気は異常だもの」


 絢音が忌々しそうに口にする。咲良も、堂ノ池を見るにつれその異常性を強く認識し始めていた。真っ昼間の太陽の下にいるというのに、堂ノ池の周りだけまるで宵闇のように陰鬱としている。近付いただけで不幸になりそうなおぞましさがあった。

 絢音の言葉に堂ノ池はふっと微笑み、公園を見渡した。


「だからね、隠れることにしたんだよ、この町に。この町は霊気、妖気、障気、様々なものが溢れている。此岸と彼岸の境界が曖昧で、生きているのにどこか夢現として、向こうの住人がまるで生きた人間のように当たり前に存在している。ここなら私が潜んでいてもさして目立たないと思ったんだ」


 堂ノ池の言葉に、咲良は瞠目する。いくら目立たないからと言っても限度はある。


「……あんたの指名手配の写真、この町のあちこちに貼り出されてるぞ」

「構わんよ。障気さえごまかせれば、逃げるのは容易い」


 平然と言ってのけ、堂ノ池は眼鏡をもう一度上げた。


「それで、君たちの望みは何だい?」

「決まってるでしょう……あなたを牢獄に入れることよ」


 絢音の言葉に、堂ノ池が口の両端をつり上げる。先程の笑みよりも醜悪で、まるでこの世の地獄を体現したかのような笑み。

 咲良の心臓がざわめいた。


「……おい。あんた、さっき『とある事情で』って言ってたな。どういうことだ?」


 咲良の問いかけに、堂ノ池が首を傾げた。まるで首の筋が全て切れたような、不自然なほど角度のついた首。数秒前まで邪悪な色を宿していた瞳に、何の色も無くなっていた。まるでこれから自分が行うことが、何てことはない日々の日課であるような、そんな無の表情。


「君たちを殺すからに決まっているだろう? 死人に口無しとはよく言ったものだ」

『な……っ!?』


 いともあっさりと言われた言葉に、3人の喉がごくりと鳴る。


「君たちを殺して、何年か見つからないような場所に埋める。とても簡単な話だ」


 朝の散歩に出るような気軽さで、堂ノ池がゆっくりと歩み寄る。革靴が地面に接地するごとに、袖から出てきたナイフを握りしめ、革靴の踵から刃物が飛び出し、スーツを突き破って肘から刃が突き出てくる。咲良たちは唖然としていた。目の前のことを現実として受け入れることが出来なかった。


「可及的速やかに君たちを殺して、埋めて……ああ、スーツが着れなくなってしまったから、その辺をうろついているサラリーマンも殺してスーツを新調せねばな。その人も埋めねばならないからこれは骨だな」


 気が付けば咲良の目の前まで来ていた堂ノ池が、にっこりと微笑む。


「まずは君から殺そう」

「咲良くん!!」


 咲良が声を上げるよりも早く、絢音が咲良を真横に突き飛ばした。咲良の腹部があった場所をナイフが素通りして、咲良を押しのけた絢音の制服の袖の一部が切れる。


「おや、意外と反応出来るのか」

「……あ、絢音!? 大丈夫!?」


 咲良が絢音に駆け寄ると、絢音は震えながらも首を縦に振った。堂ノ池は不自然に首を傾げながら、まるで部活に励む高校生のようにナイフを突く動作を反復している。咲良が瑠理香に目をやると、一連のやりとりを見てか、完全に腰を抜かしてしまっていた。


「うん、久しぶりだから勘が鈍っていたな。次はきちんと殺そう。油断なく、きちんと殺そう」


 ゆっくりと歩み寄ってくると、絢音が立ち上がり、両手を広げて咲良を庇うように立った。


「……咲良くん、逃げて」

「っ!? ばか、何言って……っ!」

「いいから!! このままじゃ咲良くんが殺されちゃう!!」


 絢音の言葉に、堂ノ池の眉がぴくりと反応した。


「咲良くんは逃げて、警察に通報して? 大丈夫よ、知ってるでしょ……私は、死なない」

「……ほう?」


 堂ノ池が眼鏡を片手で上げると、おぞましい笑みを浮かべた。立ち上る瘴気が密度を増し、咲良と絢音は呼吸するのもやっとのような錯覚を覚える。


「死なない、死なない、死なない? それは本当か? 本気で言っているのか? この状況でそんな冗談を言えるのはとても面白いが、本当ならばもっと面白い。愉快だ愉快だ愉快だ愉快だ愉快だ愉快だ愉快だ愉快だ」

「あ、あ、あ……っ」


 壊れたように喋り始めた堂ノ池に、瑠理香は目に涙を滲ませて口をぱくぱくとさせる。もはや一言も口が利けなくなっていた。


「いいだろう、少年。逃げるといい。その間に私はこの少女で楽しませてもらおう。まずは一度殺す。過程を楽しみたいところだが生憎と時間が無い。まずは一度心臓を止めてしまおう。それで万が一蘇ったら何度も殺してみよう。その途中で死んだら実験はお終いだ。死ななかったら……捕まるのは面倒だ。四肢を切り落とし、どう再生するのかを観察しながら誘拐するとしよう。拘束方法はいくらでもある。少年が戻ってくる頃にはこの少女はどこにもいない。どこか人目のつかないところで死にたくなるようなことを死ぬまで続けてあげよう」

「……ぅ……うぅ……っ」


 絢音の膝が折れ、がくがくと震える。立っているのがやっとの状態だった。


「さく、ら、くん……逃げて、私は、いいから、巻き込んだのは、私だから……っ。大丈夫、こんな、やつ、絶対逃がさない……っ」

「ほら、早く逃げたまえ少年。私は今から無抵抗の少女を何回も殺し、嬲り者にするとしよう。少女が私を足止めすることを期待していたまえ。今見ている震えた背中が、君が見た最期の少女の姿になるだろうがな」

「ばか……ばか、言うな……っ!」


 咲良は口にしながらも、身体は蛇に睨まれた蛙のように動けない。初めて全身を覆う圧倒的な悪意に、身も心も竦んでいた。


 咲良と絢音のやりとりを見ていた堂ノ池がふっと嘆息し、足音もなく絢音に近寄る。まるでこれから慣れ切った動物実験をするような冷たい目に、咲良の心臓がぎゅっと圧縮された。


「逃げることも出来ないのか、少年。ならば趣向を変えよう。そこで少女が味わう地獄を見ていたまえ。少女が途中で息絶えれば君も殺す。少女が生きながらえるようであれば途中で君を殺し少女を改めて殺す。何度でもだ。それだけだ、それだけの話だ」


 かちかちと歯が鳴る音がした。咲良は自分が鳴らした音なのか、絢音、あるいは瑠理香が発した音なのかの区別が付かなかった。


 何やってんだ、動け、動けよ……!


「逃げて、咲良くん、お願い……」

「ふむ、青春じみた芝居を続けていてくれ。1回目は印象が肝心だ。派手に殺そう」


 堂ノ池の右手には、いつの間にか刃渡り数十センチにも及ぶ鉈が握られていた。


「咲良くん、逃げて……」

「まずは1回目。まあ、嘘だったら最初で最後だが」

「お願い、咲良くん……っ」

「それでは」

「逃げて……っ!」

「死ね」

「――――あぁぁああぁぁぁぁあぁぁぁぁっ!!!!!!!!」


――人生で一度きりでいい、自分を変えたい。


 昔のすごいアーティストの歌の和訳で聞いた言葉を、咲良はふと思い出した。


 自分の声とは思えない大音声で叫び、咲良の脚が発火する。堂ノ池がこれみよがしに右腕を振り下ろすと同時に駆け出し、絢音に向かって飛び込む。堂ノ池は僅かに目を見開いたが、それでも何ら動きがブレることなく鉈を振り下ろした。


「え……っ?」


 絢音が見たのは、堂ノ池が右腕を振り上げる挙動。そして背中に感じた気配に振り向き、咲良が迫って来るのが見える。同時に頭上に感じる、振り下ろされてくる狂気と凶器。自分を何の躊躇いもなく殺そうとする意思と、愛おしく思う人の腕が同時に伸びてくる。時間感覚が何十倍にも圧縮されて、ひどくゆっくりに見える。ああ、走馬燈ってこれのことかな、何気に初めて見るな……などと、絢音は妙に呑気に思ってしまった。


 音はほとんどしなかった。


「い……ってぇ……っ」

「……咲良、くん? 咲良くん、咲良くん、腕、腕が……っ!!」


 咲良が絢音を抱きかかえて真横に飛び、振り下ろされた鉈が咲良の腕を掠めていた。制服を切り裂き、ぽたぽたと朱い滴が垂れている。


「なんで、なんでよ……私なら……っ」

「大丈夫なわけないだろう!?」

「……え……っ」


 咲良は絢音の両肩を掴み、今にも唇が触れそうなほど顔を近くに寄せた。絢音は事態が呑み込めず固まっている。背後で何か呻き声が聞こえた気がしたが、今はそれどころではなかった。


「いくら死なないからって、痛みも恐怖も無いわけがないだろう! あのとき……出会った時だって、飛び降りる直前、声が震えてたじゃないか!」

「……それ……は……っ」

「必死で考えたら他にやりようだってあるのに、自分さえ犠牲になれば大丈夫なんて考えるのはバカだ!!」

「っ!? な、なによ急に……っ」

「大バカだ!!」

「……ば、バカって言うな!」

「バカだ、バカだ、バカだ、本当にバカだよ!!」

「ちょ、ちょっと、いくらなんでも……っ!」

「なんで、好きな人が目の前で死ぬのを見過ごさなきゃならないんだよ!! そんなこと出来るわけないだろ!!」

「……へ……っ?」


 背後で瑠理香が「きゃっ」と嬉しそうな悲鳴を上げる。さっきまで無言で震えてただろ……と咲良は内心呆れつつも、絢音への真摯な視線を外さない。


「今まで絢音がどんな思いを抱えて生きてきたのかは分からない。だからこれは俺の勝手な願望だよ。俺は、絢音に辛いことをしてほしくない。他の方法ならいくらでも一緒に考えるから。……だから、もう自分から死ぬような選択肢をとらないでくれないか」

「さ、咲良くん……っ」

「……絢音……」

「……今日、咲良くんの部屋に泊まっていい?」

「あれ、話が一足飛びに!?」

「咲良くん、咲良くん……っ」

「目がハートマークになってる、状況に合ってないから! ……って、あれ? そう言えば……」


 なんで今自分たちはこんな風に会話出来ているんだろうと思い、咲良がようやく顔を上げると――瑠理香がつい先程呑気な声を上げたことに納得がいった。


「ナイスガッツですよお兄さん! 後でお兄さんが日頃溜めてる鬱憤を晴らしてもいいですよ、わたしで!」

「よく頑張ったね咲良くん。お姉さん後でたっぷりとナニかしらしてあげるね」

「……なんで?」


 いつの間にか現れた未悠と恵美里が、堂ノ池を縛り上げていた。


       ×  ×  ×


 咲良も絢音も瑠理香も、目を見開いて口をぱくぱくとさせている。


「むぐぐ……っ」

「なんかキャラ的に鬱陶しいのでまずは口から塞ぎました」

「どこでこういう口調を覚えるのかしらね~」


 未悠が如何にも充実した時間を過ごしたと言わんばかりに、気持ち良さそうに額を腕で拭って目を細める。会話をしている間も恵美里はどこかから持ってきた縄で堂ノ池を縛り上げていた。


「な、え、ええ……?」


 咲良の腕を大きめのハンカチで止血しながら、絢音が間の抜けた声を漏らす。咲良は腕に感じる圧迫感さえろくに認識しないほど驚きに固まっていた。


「わ、わたし、見ました……」


 腰を抜かした体勢のまま、瑠理香がぽつりと呟く。咲良と絢音が振り向くと、スカート姿のためちょっと危ない体勢になっていた。


「瑠理香さん、まずは脚を閉じた方が良いわ。咲良くんは性欲魔人だから」

「今日俺の部屋に来て何をするつもりでしょうか幽鬼ヶ原さん」


 咲良と絢音が至近距離でむむむと唸る。未悠と恵美里が「痴話喧嘩ってこういうことを言うんですね」「そうね~」と呑気に会話している間に堂ノ池の拘束が完了した。ミノムシのような格好になっていて、身体から出ていた刃はいつの間にかことごく折られていた。


「瑠理香さん、あの二人は一体何をしたの?」


 痴話喧嘩を終えた絢音が尋ねると、瑠理香はこくりと頷いて、つい先程咲良と絢音の後ろで起こった出来事を話し始めた。


――咲良が絢音の両肩を掴んだとき、咲良は堂ノ池に背を向け、絢音の視線は咲良の顔に固定されていた。堂ノ池は眼鏡をくいと上げると、躊躇うことなく咲良の背中に近付いて再び鉈を振り上げた。


 右手に持った鉈が振り下ろされる直前、堂ノ池の右腕が恵美里に掴まれ(瑠理香は初対面だが)、未悠が堂ノ池の口を後ろから布で押さえ付けたという。


「人の恋路を邪魔するなんていう選択肢があると思ったのか、この外道め」と未悠が子どもとは思えない低くて恐ろしい声で囁き、恵美里と協力して堂ノ池を咲良たちから引き離しつつ縛り上げた。咲良の告白と緊縛が同時に行われていたらしい。


「そうだったのか……本当にありがとう。……でも、どうして2人は堂ノ池を抵抗もなく縛れたんだ? 最初に恵美里さんが止めてくれたのだって、力がよっぽどなきゃ無理だと思うけど……」


 咲良は純粋に感謝しつつも、大の大人を女性と少女があっさりと取り押さえたことに疑問を覚える。


「簡単なことですよ」咲良の疑問に、未悠は向日葵のような笑みを浮かべた。「この人の霊感は半端でしたから」

「え……? それってどういう関係が……?」


 咲良がなおも首を傾げると、恵美里が顎に人差し指を当てて艶っぽい笑みを浮かべた。ちなみに堂ノ池は地面に転がっている。


「絢音ちゃんみたいに元から霊感が強い子とか、咲良くんくらいの霊感がある子だとわたしたちに触れることが出来るみたいなのよね~。干渉するには互いの力がどれくらいあるかが重要みたい」


 未悠が加えて「人間の霊力と幽霊の自我の強さの掛け算、ってイメージが一番近いかもしれません」と言った。


 2人の説明に絢音も加わる。3人の話によると、絢音ほどの霊力であればどんなに消えかかった霊でも干渉することが出来るが、咲良が干渉出来る範囲は絢音の干渉出来る範囲を円にした場合、それよりも二回りほど小さい円になるという。堂ノ池は咲良の円よりも更に一回り小さい円とのことだった。


「それでね、どちらも相手に触れられる状況もあれば、どちらかが一方的に触れることが出来る場合もあるの」

「ああ、それで……」

「そうです。堂ノ池の霊力は霊を感知して見る程度ですが、わたしとエロ姉さんははっきりとした自我と性欲があります。なので今回の勝負で言えばわたしたちが一方的に攻め、蹂躙し、討ち滅ぼすことが出来るのです。殲滅戦ですね」

「なんで急に軍事モノみたいな言い方になったの? あと今性欲って言った!?」

「そうね~、性欲は自我以上にあるわね~」

「それ本能に負けてるだけじゃないんですか!?」咲良はツッコみつつ、呆れと感嘆のため息を吐いた。「……でも、堂ノ池が触れることが出来たらどうしてたんですか?」

「ああ、それも大丈夫よ~。絢音ちゃんみたいに霊を成仏させる力があるなら別だけど、わたしたちを斬りつけたところでダメージはないし、霧に刀を振るうようなものだから」

「……なんか、すごいですね」


 恵美里の説明の通りならば、例え抵抗されても二人が害される心配はない。この二人なら斬りつけられながらでも向う脛を蹴って大人しくさせそうだ。

 咲良が呆気にとられていると、未悠がゆるゆると首を振った。未悠と恵美里の表情が急激に曇り、咲良の心臓がざわつく。


「そんなことよりも……今、わたし達が悲しむべきことがあります」

「……そうね……」

「え……な、何ですか?」

「お兄さんの霊力がもっと弱かったら、わたし達が一方的にお兄さんに触れることも可能だったという可能性があったことです」

「数秒前までの緊張を返せ」

「ほんとよね~、咲良くんが見えてるのに抵抗出来ないのを良いことに、公衆の面前で触っちゃったりとか……」

「恵美里さん、恵美里さん!?」

「ああ、でもお兄さんの責めが無いのは寂しいですね。お兄さんの舐めるような視線と手つきは捨てがたいです」

「未悠ちゃん、未悠ちゃん!?」


 未悠と恵美里が好き放題に言っていると、絢音が首まで真っ赤にわなわなと震えていた。


「あ、あなたたち、いい加減にしなさい!」

「わー、正妻が怒った!」「わ~、正妻が怒った~」

「せ、せせ、せいさ……っ!?」

「あ、あのぅ……みなさん……?」


 かしましく騒いでいると、瑠璃香が恐る恐るといった風に話しかけてきた。振り向いた4人が瑠璃香の視線を辿ると、抵抗するのをやめてぐったりとした堂ノ池の姿があった。


「これ……どうしましょう?」

『(今絶対『これ』って言った……)』


 さりげなく毒を吐く瑠璃香に、4人は心の声を揃えた。


       ×  ×  ×


 縛りつけた堂ノ池を公園のベンチに座らせ、瑠璃香が正面に、咲良と絢音がその両隣に、未悠と恵美里がベンチの後ろ側に立っている。霊感の無いものからすればスーツ姿のサラリーマンを白昼堂々縛り上げて目の前に男女の高校生が仁王立ちしているという異様な光景だった。


「さて……瑠璃香さん。あなたはこいつをどうしたい? 私の身体を貸すから、好きにしていいわよ」

「ビンタしたいです」

「え」

「ビンタが、したいです。思い切り、気の済むまで」

「そ、そう……わ、わかったわ……」


 堂ノ池を見ながら真顔で言う瑠璃香に、絢音は1歩後ずさった。咲良は5歩後ずさり、未悠と恵美里に手招きされて渋々元の位置に戻っていた。


 よろしくお願いします、とまるで部活で生徒がコーチに指導を願うかのように瑠璃香が絢音にお辞儀をする。絢音がやや躊躇いながらも頷くと、瑠璃香が絢音に歩み寄った。


 2人の身体が触れ合い、それぞれの境界線がぼやけ、淡い光を放ちながら存在が重なっていく。

 咲良たちが数秒ほど目を細めていると、数秒後には絢音だけが残っていた。しかし表情は明らかに絢音本来のものではなく、瑠璃香が憑いたのだとわかる。


「すみません、お兄さん。これの猿ぐつわを外してもらっていいですか? お姉さん曰く、この身体でのビンタは非常に危険だそうなので。口の中、切っちゃうかもしれません。……まあ、どちらにせよ、だと思いますけど」

「えぇ……えぇぇ……?」


 なんかすごく怖いこと言ってる……とげんなりしながら、咲良が堂ノ池の猿ぐつわを外す。叫び声でも上げられると面倒だと思っていたが、堂ノ池は口を引き結んで目の前の絢音を睨みつけていた。


「はっ。復讐がビンタとは随分とかわいいものだ……な……っ?」


 堂ノ池が鼻で笑って挑発しようとしたが、目の前で空を切ったものの風圧できっちり分けられたはずの前髪がばらばらにほつれたことで一気に黙りこくった。咲良、未悠、恵美里も唖然とする。

 堂ノ池の目の前を横切ったのは、瑠璃香の手のひらだった。


「ふむふむ、本当に力が強いようですね。軽くでこれくらいだと、ええっと……」

「お、おい……っ」


 目の前を何度も手のひらが豪速で通り過ぎ、かつ風圧が強まっていく状況に堂ノ池が青ざめる。そういえば身体能力高かったっけな……と咲良は半ば呆れるように見ていた。


「よし、これくらいですかね。……大丈夫ですよお姉さん、死なないように調節しますから」

(こわっ!)


 咲良はぶるりと震えた。絢音と対話しているのだろうが、傍から見れば完全な独り言だ。しかも内容が極めて恐ろしい。絢音の顔でうっすらと微笑む瑠璃香は、今は子の場にいる誰よりも怖い存在だった。


「それじゃあ、徐々に強めていきますね。気絶したらやめてあげます。……多分」

「や、やめ……っ」


 瑠璃香が微笑み、堂ノ池が悲痛な声を上げ、瑠璃香が腕をゆっくりと腕を上げた。

 悲鳴が上がることもなく、乾いた大音声が公園に轟いた。





次回で最終回です!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ