第22話 因縁の相手探し。
『わたし、今なら移動することも出来ます』
少女の言葉により、三人は移動して詳しく話を聞くことにした。石段を下りきる頃には陽が暮れる時間だったので、三人が話しても周りに怪しまれない場所……ということで、再び咲良の家に行くことになった。
「…………きょろきょろ」
「……それって、口に出して言うものなんですか……?」
咲良がお茶を淹れている間、絢音の挙動がなんだかおかしかった。
用意されたクッションの上に正座して、借りてきた猫のようにかしこまる少女と同じ、いやそれ以上にかちこちに絢音は固まっていた。視線をきょろきょろと巡らせ、ベッドを向く度に顔を真っ赤にして逸らしてしまう。
「……あの、お姉さんはここに来たことがあるんですか?」
「っ!? なななな何のこと!?」
「いえ、なんというか……初めて来たわたしよりも落ち着いていないので……」
「そ、そうよね、うう、なにかしら、至極正論しか言われないからボケでごまかすことも出来ないわ……」
「今までもボケでごまかせてた所は見たことがないよ、絢音……」
「え……?」
ドアを開けてお茶を持ってきた咲良の言葉に、絢音は本気のショックを受ける。ショックを受けている絢音を見て、「え、ごまかせてると思ってたのこの子……?」と、咲良もショックを受けていた。二人の奇異なやりとりを見て、少女が不思議そうにしている。
「あれ? わたしの分もあるんですか……?」
「気分だけでもね。もし飲みたいと思えば、一応可能だから言ってね」
咲良が絢音に目配せをしながら言うと、絢音が少女に微笑む。少女は事情こそ分からないが、二人の温かな感情に頬を緩ませ「ありがとうございます」と礼を言った。
3人でしばしの間のほほんとしていると、絢音がカップを置いた。咲良に見えるようにして艶やかな黒髪をかき上げ形の良い耳を見せると、少女に向き合う。
「ちょっとあなたに言いたいことがあるんだけど、いいかしら?」
「え、な、なんですか? 今お兄さんに見えるように可愛らしい仕草をしたのに何か関係があるんですか?」
「言わなくていい! 言わなくていいのよそれは! ちょ、ちょっと咲良くん、『やっぱりあれ、ワザとだったんだ……』って顔しないで! すごく恥ずかしくなってきたから!」
だいぶ大声で喋っているけど、声が綺麗だからうるさく感じないなあ……と咲良は思いながら、頬を緩ませて絢音の赤面している様を見ていた。
まったく……と、ぶつぶつ小言を言いながら絢音がもう一度髪をかき上げる。
「あなた、ツッコミがまともすぎて私が慌てちゃうのよ。なんとか出来ない?」
『え、り、理不尽……』
絢音の言葉に、咲良と少女が同時に驚いた。
「まともなツッコミは咲良くんだけで十分なのよ。咲良くんに対しては自由にいけるから何とかなるけど、初対面のあなたにそんな風にまともにツッコまれると私は逃げ場が無くなるの。おわかり?」
「なんで急にどこかの貴族みたいな口調になったの……?」
「そう! それ! 咲良くんのツッコミだと、なんかこう、良いの! 身体の芯にじわりとくるの!」
「……お姉さんは変態なんですか?」
「わあああ! 第三者の立場から辛辣なことを言われたあああ!」
「落ち着いて絢音! 未悠ちゃんからも恵美里さんからも同じようなこと言われてるから!」
「わあああ! 咲良くんがそれとなく追い詰めてくるううう!」
「……お姉さんはお兄さんにいじめられるのが好きなんですか?」
「……あー……、……絢音、そうなの?」
「やめて咲良くん! 真面目に聞かないで! 答えづらいから!」
「答えづらいってことは……」
「だからそれよ! 私の逃げ場が本当になくなるのよ!」
「わたしだとだめだけど、お兄さんに追い詰められるのはいいんですか?」
「……あー……」
「絢音! それもう肯定にしか思えないから!」
「……お兄さんも、なんだかんだでお姉さんにツッコむのが好きなんですね。……好きなんですね、突っ込むのが……」
「なんで2回目を言うときに倒置法を使った上に口を隠してプルプルしてたの? そこんとこ詳しく聞きたいんだけど」
「この話はもうやめにして、咲良くんのブックマークを漁りましょうよ。咲良くんはきっと律儀にフォルダ分けしてるだろうから、アダルトに類する単語を見つけたらそこから芋づる式に咲良くんの性癖を暴けるわよ」
「なにその妙にそれらしい推理!? やめて! ていうかそれ知ってどうするつもりなの絢音は!?」
「……あー……、……まあ、その、ね?」
「何そのぼかし方!?」
「……お姉さん、『あなたが喜ぶプレイを知りたいの』ってはっきり言った方が早くないですか?」
「帰る! 私帰る!」
「落ち着いて絢音! そっちは窓だよ!」
「大丈夫よ! 三階くらいなら飛び降りても足がじーんとするくらいだから!」
「ノーダメージじゃない辺りが生々しいなもう! だめだって! まだ本題に入ってないんだから!」
「やぁんっ!? さ、咲良くん……脇腹は、その……弱いから……っ」
「あ、ご、ごめん……」
「……わたし、帰っていいですかね?」
『ごめん、主役は帰らないで!』
少女の言葉により、ようやく本題に入ることになった。
× × ×
「今は、西暦何年の何月何日ですか?」
少女の言葉に、咲良の心臓がどくんと脈打つ。日々当たり前のように生きて、今は西暦何年の何月何日というのを毎日のように確認している自分たちからすれば考えられないような質問。
映画の中で遭難している人が木に経過日数を書き込んでいるのを見たことがあったが、この少女が過ごしていた日々も遭難しているのとさして変わらなかったのだと気付く。
――現世と、幽世との間で。
「今は……はい、これ」
咲良がスマホを出して、今日の日付を見せる。少女は目を微かに見開いて、「……ありがとうございます」と礼を言った。先程までの会話の時とは打って変わって、少し掠れた声だった。
「……ちょうど、今日で2年経っていたみたいです」
少女の言葉に、絢音は自身のスマホを素早く操作した。
「ここは夢奇ヶ丘町よ。……隣町で起こった事件、かしら?」
絢音の言葉に、少女は頷く。絢音はスマホと咲良を交互に指差すと、少女がもう一度頷いた。絢音が咲良にスマホの画面を見せる。正式なニュース記事を基にしたまとめサイトが表示されていた。
『21△△年6月8日、〇〇県□□市八咫鈿女町にて女子生徒が殺害される事件が発生。進藤瑠理香さん(15)が男に乱暴されそうになり、抵抗したところ殺害されたと見られている』
「……2年前で15歳って……あの事件か」
咲良が目を見開き、絢音が神妙な顔で頷いた。
八咫鈿女町は夢奇ヶ丘町とも、咲良が住んでいる町とも隣接している。全国ニュースにもなったこのニュースは、当時同い年の上にそれぞれの隣町で起きた事件ということで、咲良や絢音に限らず多くの人の記憶に残っていた。
「確かあの時は捜査が難航しているって聞いていたけれど、その後どうなったのかしら」
絢音の言葉に、咲良はそんなことを考えもしていなかったことに思い至る。この事件に限らず、人の関心は兎に角流れていきやすい。
例え時間差で思い出すようなことがあっても、数日もしない内にまるで無かったことのようになってしまう。「気の毒だったね」としか言えない事件がその後どうなったかなど、咲良にとっては他人事も他人事だ。気になるはずがなかった。
けれど、今はこうして目の前に――あの時の、被害者がいる。
殺された女の子が、目の前にいる。
「……わたしも、知りたいです。……ついさっきまで、考える余裕もありませんでしたから」
少女――瑠理香が複雑そうな顔をする。絢音が癒してくれるまで、瑠理香は存在さえ危うい状態だった。きっとあの神社は、そういった危うい存在を引き寄せ、この世に留めてしまうほどの力を持っているのだろう。それが、良いことなのか悪いことなのかは、咲良には分からない。
「瑠理香さん。あなたはずっと……あの神社にいたの?」
咲良が事件の進展を調べている間、絢音が瑠理香に尋ねた。すると瑠理香はゆっくりと首を振り、訝し気に眉をひそめた。
「それが……意識が芽生えたのって、ほんのつい最近なんです。気付いたら、あの神社のベンチに座っていて……なんで自分がこの場所にいるのかも、わからないままずっと苦しんでました」
「……つい最近になって目覚めた……? それって……」
瑠理香の言葉に絢音が表情を険しくして考え込んでいると、咲良が「これ、あくまで噂みたいなんだけど……」と前置きをして話し始めた。
「警察の捜査がどうなってるかっていうのは分からなかったんだけど、交番の前を毎日登下校に使ってる人がSNSで書き込んでるのを見つけた」
そう言って、咲良がスマホの画面を二人に見せる。
『いつも通る交番に指名手配犯の写真が貼り出されてるけど、なんか一週間くらい前から一人の写真がでかでかと貼り出されてる。2年前の事件の犯人って感じのことが説明されてるけど、なんで急に……? もしかして近くにいるとか? こわっ』
その人は、どうやら夢奇ヶ丘高校の生徒のようだった。男子ということ以外はプロフィールからは分からない。
「指名手配の写真が大きく出されている……そして瑠理香さんの意識が戻ったのがここ最近……」
絢音が顎に指を当てて考え込む。絢音が紡ぐキーワードに、咲良の思考が繋がって顔を上げる。絢音も同時に顔を上げて、目が合った状態で同時に声を上げた。
『犯人が今、この町にいる……?』
咲良と絢音の言葉に、瑠理香は目を見開いた。
薄く綺麗な唇が――微かに震えていた。
× × ×
「霊は自分の未練がある場所や人の近くに現れることが多いの」
翌日。
まずは交番に貼られた写真を確認しようと向かう道すがら、絢音は咲良と瑠理香に説明を始めた。
「俺はなんとなくそうなのかなって思っただけなんだけど……実際、今回みたいなケースって有り得るの?」
「決して多いという訳ではないけれど、有り得るわ。恐らくつい最近までの瑠理香さんは、自我の弱い消えかけの霊体でずっと彷徨っていた」絢音が語り、ふと空を見上げる。「そして……これはどちらが先なのかは分からないけれど、多くの霊が集まってくるこの町に引き寄せられたのと、犯人がこの町に来たことの相乗効果で意識を取り戻した――そう、考えることは出来ると思う」
清々しい晴れ間だというのに、3人とも顔色は冴えなかった。
「その……絢音。仮に犯人を見つけたとして、一体どうするの?」
「……捕まえるわ。それが瑠理香さんが成仏出来る可能性の一番高いやり方だから」
「……っ、でも、危なすぎるだろ? それに警察が動いてるなら、わざわざ俺たちが動かなくても……」
「……私たちがやることに意味があるの。咲良くん、今回は本当に危険よ。それに、霊でもない生きた人間と対峙することになるわ。今回は参加しなくて結構よ。……本当に、危険だから」
「絢音……なんでそんな……」
「おや? お二方……に加えて、もうお一方? どうしたんですか?」
幼くもしっかりした声音に、3人が前方へ視線を向ける。ポニーテールを揺らしながら、未悠がのんびりと散歩をしていた。ちょうど目的地の交番に着き、交番の目の前で四人が揃う。
「初めまして、久遠寺未悠と申します。以後お見知りおきを。霊という身ではありますが、一応お兄さんの性欲処理を担当しています。ロリ巨乳担当です。昨日は深夜に呼び出されて2回ほど……その、まあ……」
「ちょっと待て何その根っこからの完全なるウソは!? 頬を赤らめて言わないでげぶっ!?」
堂々とウソをついた未悠に咲良が必死でツッコんでいる途中で、絢音の拳が咲良の腹に叩き込まれた。
「…………」
「……せめ、て……なんか、言って……っ」
膝をついてもがく咲良を、絢音がごみを見るような目で見下ろしている。
「お姉さん、冗談ですって言うまでもなくどつくのは流石にどうかと……お兄さん、なんかごめんなさい……」
絢音の顔が一瞬で茹だった。
「え、ええ!? さ、咲良くんごめんなさい大丈夫!? でも咲良くんが日頃から性欲を剥き出しにしてるから未悠さんのウソも一瞬信じてしまったの許してちょうだい!」
「謝るのとなじるのを同時にこなさないで……今ツッコむ元気がないから……」
「ふむふむ、いつもはお姉さんにたっぷりと反撃するところ、今はその元気がないということですね。いつもは言葉と指でたっぷりと反撃しているところを……ふふふ」
「未悠さん、私今日は諸事情があってやる気が漲ってるから、あなたを簡単に蒸発……こほんこほん、……成仏させてあげられるかもしれないわ」
「蒸発って言いました!? お姉さんの表情を鑑みるに行方をくらますというよりは物理的な方ですよねそれ!? 言い間違え方が怖すぎますよ!」
「……ぷっ、くくく……っ」
3人がいつものやりとりをしていると、瑠理香が俯いて口を手で塞ぎ震えていた。
「……皆さん、ほんと面白いですね。こんなに笑ったことないです……はあ、お腹痛い……あ、おばけでもお腹痛くなるんですね。新発見です」
『…………』
この子、思ったよりも自由だなあ……。
咲良と絢音は、ちょっとだけ目を細めて頬を緩めた。
× × ×
「進藤瑠理香って言います。よろしくね? 未悠ちゃん。大人っぽくて立場がアレだからあだ名は『妾』でいいかな?」
「距離の詰め方がおかしいですよあなた!? アレってなんですかアレって!」
「ご、ごめん、テンションが上がってつい……。めか……未悠ちゃんは2人といつから知り合いなの?」
「そのあだ名を今後一度でも言ったら、ヘッドホンを装着させて縛り上げてお兄さんの好きな動画を延々と視聴させてあげますからね」
「俺を巻き込むのやめてね?」
瑠理香が思ったより濃いキャラをしていることに咲良と絢音は内心驚いていたが、するりと話し始めたので傍観することにした。ちなみに相変わらず交番の目の前にいるのだが、何故か警察官は誰もいない。
「そうですね、わたしもまだそこまで長くないですよ。お兄さんが初めて会った日にわたしの身体を舐め回すように見ていたことは今もはっきりと覚えています……」
「えっ、待ってそんな……いや、そんなことは! ない! と、思う!」
「咲良くん、あなた一回死んだ方が良いんじゃない……?」
「そしたらお兄さんもこっち側ですねー! 三対一でお姉さんが劣勢に立たされるわけですね。もみくちゃにしてやりましょう、お兄さんの劣情の赴くままに」
「なんなんだろうこの話……」
自由気ままに脱線する話を聞きながら、瑠理香は未悠のポニテをいじくっている。みょんみょんと揺れていて、咲良は何だかねこじゃらしをちらつかされている猫のように落ち着かない。
「あれ、何か大事なことを……って、ああ、そうだよ。目の前に交番があるのに俺らは何をしてるんだ」
咲良の言葉に、絢音と瑠理香がはっとする。本当に忘れていたようで咲良は驚いた。
「え、ええ、そうね、全然忘れてないわよ」
「お三方は何をしようとしていたんですか?」
未悠が首をくりんと傾げる。瑠理香は未悠のポニーテールを顔に寄せて鼻を鳴らし、「わー、良い匂いする……」と驚いている。
咲良と絢音が昨日からの経緯を一通り説明すると、未悠は深く頷いた。
「なるほど、東京オリンピック開催に向けて問題は山積してるんですね……」
「未悠ちゃん、この数分間の意識はどこに行ってたの?」
咲良と絢音がジト目を向けると、未悠は腹が立つくらい良い笑顔で「やだなー、冗談ですもうー」と主婦のような手の振り方をした。
「ふむふむ、瑠理香姉も大変でしたね」
呼び方がなんかかっこ良いな……と思いながら咲良が瑠理香にふと視線を向ける。そういえば、いつの間にか会話に参加していなかった。
「瑠理香さん、さっきからどうし――」
咲良の言葉と顔が凍る。
絢音と未悠の表情も固まった。
「あ、あ、あ……っ」
かしましい会話をしていた空間に、瑠理香の壊れたような声だけが空しく響く。
瑠理香の視線は、指名手配犯の写真が貼られた場所に向けられていた。その一つをゆっくりと指差し、唇を震わせる。
「この、人……この人です、わたしを殺した人……っ」
指差された写真を見て、咲良と絢音は目を見開く。
『連続殺人犯、堂ノ池義治現在も逃走中』
「連続……? 瑠理香さんだけじゃなかったの……?」
絢音の声に緊張が滲む。咲良は瑠理香の様子を心配そうに見ながらも、自分を殺した人の顔を見るというのは一体どれだけ昏い気持ちなのだろうかと考えてしまった。
「あれ、この人……」その中でただ一人、未悠だけが場違いに呑気な声を上げる。「さっき見ましたよ?」
『……え……っ』
未悠に3人の視線が集中する。当の本人は緊張感などどこ吹く風で、人差し指を顎に当てて「んー」と思い出す仕草をした。
「普通は通行人のことなんて覚えてないんですけどね。何だか違和感のある人だったので覚えてました。行きますか?」
咲良と絢音が瑠理香を見やる。思ったことは一緒だった。
「行きます」瑠理香が胸の前で手をきゅっと手を重ねる。「決着を付けたいです」
「うん、良い覚悟です。さあ、行きましょう!」
「え、未悠ちゃんも行くの……?」
「流れ的にそうじゃないですか?」
「えぇ……」
咲良と絢音のジト目に負けず、未悠はにっかりと向日葵のような笑みを浮かべる。
「お姉さんに助けてもらったのですから、何か手助けさせてください。大丈夫です、足を引っ張るようなら引っ込んでますから」
「……そうね。お願いするわ、未悠さん」
絢音がふわりと笑い、咲良の心臓が高鳴る。朱くなった頬を慌てて隠したが、既に未悠と瑠理香が生温い目つきで咲良を見ていた。遅れて絢音ももじもじと見つめてきて、咲良は慌てて走り出した。
「さあ、急ごう!」
「お兄さん、逆です逆」
「ごめん!」