第16話 年齢制限的には大丈夫。
「ねえねえ、絢音ちゃん」
「……なに?」
「あ、間違えたわ、淫乱ちゃん」
「なんでわざわざ間違えた呼び名に変えるのよ!」
顔を真っ赤にして立ち上がる絢音を見て、恵美里がけらけらと笑う。
あの後、我に返った絢音は咲良の前で正座して、両手を合わせてひたすら謝っていた。「大丈夫だから、気にしてないから、ね?」と咲良が数十分に渡り慰め続けると、ようやく絢音は立ち直った。しかし立ち直った直後に恵美里にからかわれ、絢音の情緒はまだ落ちつかない。
「あたしも自分のエロさには自信があったんだけど……あそこまで大胆にはなれないな~」
「……言わないでよぉ……っ」
恵美里の言葉に、絢音は女の子座りでしゅんとする。布団にくるまっていた時の淫靡な表情と今の子供っぽい顔はひどくギャップがあり、咲良はなんだかぞくぞくしてしまう。恵美里も顔に若干妖しげな愉悦を浮かべていた。
咲良はこの件については言及をしないことにした。絢音が自分の布団の中で何をしていたか……言ってしまえば大体分かってはいるのだが、それを確認してしまうと恐らくベッドでは興奮して寝られなくなってしまう。
「……それで、そろそろ本題を……」
若干疲れた様子で咲良が言うと、恵美里が頷く。
「そうよね~、あんまり遅くなっても君たちが困るしね~」
ぽんと手を合わせ、にこやかに色っぽく微笑む。
「……ねえ、本当にするの?」
絢音が、戸惑ったように恵美里を見た。
「ん、もちろん。絢音ちゃんにとってのメリットは……さっき話したでしょ?」
「……う、うん……そうだけど……そうなんだけど……」
「……あの、俺は未だに内容を聞かされてないんだけど……」
咲良が恐る恐る尋ねると、恵美里が妖しく微笑んだ。
「そうよね~。……説明は、絢音ちゃんの口からしてもらうわね。ほら、絢音ちゃん。よろしく」
そう言って、恵美里がそっと絢音に手を伸ばす。ゆらりと伸びた手が絢音の頬を撫でると、咲良は無意識に喉を鳴らした。
「……わかったわよ……。……咲良くん」
「ん、なに?」
「……負けないでね?」
「一体何に!?」
咲良がツッコんだ直後――絢音の身体が淡く白い光を帯びた。絢音と恵美里の身体にも白い光が伝播して、二人の身体の境界線が曖昧になる。咲良が目を細めると、恵美里が絢音に近寄ったように見えた。
二人の像が重なり、恵美里の姿が一方的に溶けて消えていく。雪解けよりも速く美しい様に咲良が見惚れていると――やがて、白い光が収まった。
「……ええっと……?」
今自分が話しかけようとしているのは、絢音なのか、恵美里なのか……?
咲良がどう声を掛けたらいいか迷っていると、絢音がくるりと咲良を向いてちょいちょいと手招きをした。意図を図りかねて首を傾げながらベッドの上に並んで座ると――絢音が楽しそうに目を細めた。
「……絢音……?」
「……ううん、今は違うよ?」
咲良の心臓が、拳で殴られたかのように激しく脈打った。目の前で見つめると、咲良にはつい先程まで見ていた絢音との違いを強く感じた。
凜とした意思を感じる目はとろんと細められ、全体の雰囲気が柔和になっていて、そして何より――同じ年齢とは思えないくらいに艶っぽい。
絢音であって絢音でない、今は絢音の皮を被った恵美里が目の前にいるのだということを強く実感する。
「……ん、良い反応だね、咲良くん」
「…………」
楽しそうに微笑む恵美里に、咲良の心臓は落ち着かない。未悠が憑依した時の絢音はとても溌剌とした子どもっぽさがあり、色っぽさもどこか健康的だった。
しかし今の絢音から発せられる雰囲気は、ベッドの上の空気を妖しい紫色に変容させるような背徳的な匂いを漂わせている。
「……恵美里さん。結局、俺は何をすればいいんですか……?」
「ん~……? えっとねぇ……」
ベッドの縁に座っている恵美里が、絢音の声で甘ったるく舌っ足らずな声で話し、じりじりと距離を詰めてくる。
触れずとも恵美里の体温をはっきりと感じてしまうほどの距離にまで近付き、咲良は身体中に経験のない緊張感を伴った汗をかいた。
「咲良くんはね、何もしなくていいよ」
「え……?」
「正確には……抵抗しないでほしい、かな。あたしが何かしてほしい時はちゃんと言うから、その時はほんのちょっとだけ協力してほしいの……だめ、かな?」
「……ぅ……っ」
超至近距離で上目遣いをされ、甘ったるい声で囁かれる。
(なんだこの可愛すぎる生き物はなんなの女の子ってこんなに可愛いのすげえ良い匂いするし睫毛長いし絢音すげえ可愛いいや待て中身は恵美里さんかいやでも外見は絢音だしそもそも恵美里さんは恵美里さんで外見も中身も可愛いいやちょっと待て絢音だって外見も中身もすげえ可愛いぞちょくちょくポンコツだけどあああ違う違う何考えてたんだ俺は!)
咲良は大混乱に陥っていた。
それでも、潤んだ瞳で見つめてくる恵美里にはきちんと言葉を返さなければならない。
咲良は深呼吸をして、目の前の女体から香る甘い匂いを盛大に吸ってしまい再び混乱しながらも、恵美里の目をじっと見つめた。
「……わかりました、何なりと」
「……ほんとぉ? 嬉しい……」
ああ、なんか……。
大学に行ったら、こういう人ちょくちょくいそうだなぁ……。でも、こんな状況は流石にそうそう無いよなぁ……。
どこか遠い目をして、早ければ二年後に待っているであろうキャンパスライフに思いを馳せる咲良の手に、恵美里がそっと自分の手を重ねた。
× × ×
「えへへ~……」
恵美里は咲良の手に触れるなり、大事な宝物を愛でるかのように丁寧に撫で始めた。
(手が、手が、手が! なんかすりすりしてる、感触を確かめられてる!)
童貞丸出しの思考が咲良の脳内を所狭しと暴れまわる。身体はがちがちに固まり、視線は正面に固定されていた。
視線の先には本棚があり、むっちりしたヒロインが沢山登場する漫画の背表紙をじっと見つめている。
何回も読み直しているために自然と頭の中に作中のヒロインのお色気シーンが浮かんでくるが、今自分の身体に触れている年上のお姉さん――ただし身体は同級生――のプロポーションはそのヒロインたちに勝るとも劣らない。
しかも柔らかさと甘い匂いまで付いてくるのだから、咲良からしてみれば長年の妄想と願望が急に実現したような形で、もはや気が気でなかった。
このままでは恵美里が次の行動に移った瞬間、自分は暴走するのではないか。いやそもそも、暴走したら自分は何をしでかしてしまうのだろうか……などと考えていると。
「うん……久しぶりの生身は、やっぱ違うなぁ」
――不意に、恵美里がぽつりと呟いた。
「……そう、なんですか?」
恵美里の言葉に一抹の切なさを感じて、咲良の心が冷静さと気遣いを取り戻す。咲良の表情が如実に変化したのを見て、恵美里はくすりと笑った。
「……君は本当に優しいんだね」
手を重ねられたまま、絢音の姿を借りた恵美里が本当に嬉しそうに笑う。
「……いえ、そんなでもないですよ。四六時中女の子のこと考えてるような男ですし」
照れ隠しで言った自分の言葉に咲良が赤くなっていると、その頬を指でぷにっとつつかれた。
「優しいし、かわいいね」
「……っ」
恵美里が火傷してしまうのでは……? と心配してしまうほど、咲良の顔は熱くなっている。
「……普段とは、どういうところが違うんですか?」
「ん~……? えっとねえ……」
頭をぶんぶんと振って気を取り直した咲良がした質問に、絢音は首を傾げて中空を見上げた。顎に人差し指を当てて可愛らしく考え込んだかと思うと、不意に咲良の肩に身体を預けた。
「え」
「こうするとね、男の人の温かさがわかるし……」
少しだけ潜められた声で囁きながら、恵美里の首がくりんと動いて咲良の首筋の辺りですんすんと鼻を鳴らす。
「え」
「良い匂いだなって思えるし」
更に、咲良の右手を両手で握り込み、マッサージするように丁寧に揉みほぐす。
「え」
「男の子の逞しい手も、ほんとにはっきり感じることが出来るの。何だかすごく嬉しくなっちゃう……幸せだなぁ……」
「あ、あの、恵美里さん……?」
恵美里の表情がとろんと蕩けて、不意に身体が離れる。恵美里は身体を後退させてベッドの上にぺたんと座り込み、咲良にちょいちょいと手招きをした。蜜の匂いに誘われる蝶のようにふわふわとベッドの中ほどまで進み、恵美里の正面に相対して座ると――
「えい」
「え……」
恵美里が咲良の両肩に手を添えて、流れるように押し倒した。