第12話 高校生男子にとっては目に毒なレベル。
絢音が立ち上がり、通路を挟んだ向かいの席に歩み寄る。絢音が女性の前に立ったとき、咲良は初めて女性をマジマジと見た。
……え、何あの人、エロ……っ。
女性は咲良よりいくつか年上で、大学生くらいの年頃に見えた。色の明るいボブヘアーで、美人というよりは可愛いと言えるようなタイプだった。左目の下に泣き黒子があり、垂れ目と相俟って妙に色っぽい。
涙袋も大きく、極めつけは唇の厚さだった。ぷっくりと桜色に膨れた二枚貝は薄くグロスが塗られているのか艶めかしい照りがあり、官能を刺激されてごくりと息を呑む。咲良は初めて実物を見たが、恐らく「男に好かれて、女に疎まれる」典型のような顔だと思った。
「あなた、一体ここで何をしているの?」
女性に見とれる咲良をギロリと一瞥して牽制した後、絢音が女性に尋ねる。頬杖を突いてぼうっと前を見ていた女性は、おもむろに顔を上げて絢音と目を合わせ、目をぱちくりとさせた。
「……あれ? あたしのこと……見えるの?」
目をぱちくりとさせて、女性がじっと絢音を見る。何も繕っていないはずの表情なのに、男がとても好きそうな表情で――例に漏れず、咲良も頬を赤らめた。
「いって! え!? なんで今肩パンされたの!?」
「うるさい浮気者」
後ろが一切見えていないはずなのに、にへらと頬を緩めた咲良の肩に絢音が振り向きざまに正拳突きを見舞った。
「あ、今ので思い出した」
二人のやりとりを見ていた女性が、口を縦長に開いて手をポンと合わせる。
「さっき、『お、痴話喧嘩か?』って言ったのに、二人とも反応しなかったよね? だから見えてないと思ったんだけど」
「いやそれは流石にスルーしますって、恥ずかしいし」
咲良の言葉に、女性は「ああ、なるほど~」とゆるさ全開の口調で答えた。掴みところの無い雲のような女性だな……と思いながら、咲良は頭をくしくしと掻いて話を切り出す。
「ちょっとお話を聞きたいんです。お姉さんさえ良ければ、どこか別の場所に移動しても良いですか?」
「お、やだナンパ~? 嬉しいな、何でもしてあげたくなっちゃう」
「絢音! やめて! 三本指の目潰しってそれマジのやつじゃん! あぶなっ! こわっ!」
絢音が鬼の形相で咲良の光を奪おうとする様を、女性は「おお~、修羅場だ修羅場だ~」と呑気な表情で見ていた。
× × ×
カフェを出て、咲良と絢音が並んで歩き、その後ろを女性が付いてくる。
「ねえ、咲良くん。大事な話があるんだけど」
「な、なんだよ絢音? まさかあの人のことで何か分かったことが……」
「……いちごパフェは?」
「…………」
絢音が立ち止まり、咲良の袖をくいくいと引っ張る。子猫のような表情で、更に上目遣いで見つめられて、咲良は金縛りに遭ったように固まった。
「あうっ」
「あ、すみません……」
――そんな咲良の背中に、女性の顔がぽすりとぶつかる。あいたた……とエラく古典的な痛がり方をしていたが、咲良は謝るよりも先に、背中に感じたとんでもない柔らかさに驚愕を覚えていた。
「……咲良くん、いちごパフェは? あと、一度死んでみる?」
「さっきはすごく可愛かったのに急に怖くなってるよ!?」
咲良が怯えながら後ずさり、絢音は不自然なほど柔和な笑みを浮かべて咲良ににじり寄る。
二人の様子をポケッと見ていた女性は、くりんと首を傾げた。
「二人は……付き合ってるんだよね?」
『んな……っ!?』
「それにしては、彼女さんの情緒が安定しないというか……いくらなんでもちょっと重くない?」
「な、ちょ、あなたは、な、なな、何……を……っ」
「えっと、すみません。俺たちはそういう関係ではないです」
「あら、そうなんだ? じゃあ……肉体関係?」
「ぶっ!?」
「え、ちょ、絢音!? その反応をするべきは俺なんじゃあ……!?」
道を歩きながら次々と畳みかけてくる女性の言葉に、絢音は盛大に噴きだした。
「あ、そういうのでもないんだ……変なの」
女性の呟きは、盛大にむせ込んでいる絢音と、その背中を必死でさする咲良には届かなかった。
× × ×
咲良が指定したのは、未悠と出会った公園だった。夕暮れ時の公園に人はおらず、血の色に似た夕日が、取り外された遊具の跡を生々しく塗りたくっている。現と虚の境目が曖昧になった場所で女性を改めて見ると、不思議そうに小首を傾げてきた。生きているようにしか見えない女性だが、それでもこの人は確かに死んでいるのだ。それが――咲良には、信じられなかった。
女性は公園に入るなりブランコに乗り、きいこきいこと鎖を軋ませていた。あの身体には狭そうだな……と、むちむちした身体を一瞬凝視してすぐに目を逸らす。
「……ふん」
頬を赤らめた咲良と目が合った絢音が、何故か不機嫌そうに鼻を鳴らし、もう一つのブランコに乗る。なんで……? と咲良は訝しんだが、本来であれば小学生低学年くらいまでが乗るであろうブランコに、艶めかしい体型の女子高生が乗るという行為は……見ているだけでごくりと息を呑むものだった。
「……ふふん」
咲良の反応に上機嫌な表情を見せたことで、絢音が何に対抗しようとしていたのかを悟る。なんて子供っぽい……と思いつつも、咲良は自分自身のチョロさにも呆れていた。
「それで……お姉さんの名前は何て言うんですか?」
咲良の問いかけに、女性は数秒遅れて反応する。何故だか絢音をじっと見つめて「ふむふむ……」と言っていた。
「あたし? あたしの名前は伽耶野恵美里って言うの。18歳だよ」
「そう……ですか。よろしくお願いします、伽耶野さん」
「いいよいいよ、恵美里って呼んで?」
「……分かりました、恵美里さん……って、いってぇ!? 絢音!? なに、なんで俺の太ももにビンタしてんの!?」
「…………」
「無言は怖いって! ていうか攻撃場所おかしくない!?」
「あははは、仲良いね~」
真顔で太ももへの攻撃を加えてくる絢音の頭を撫でていさめながら、からからと笑う恵美里の顔を咲良は見つめた。
……18歳ってことは、つまり……。
彼女の言う年齢は、正確には実年齢ではなく――享年のことだ。
咲良と絢音の楽しげなやりとりに心の底から楽しそうに笑っている恵美里を見て、咲良は何だか泣きそうになった。
「……え、絢音、どうしたの急に……?」
くしゃりと表情を歪ませた咲良に、絢音は不意に顔を寄せ、両肩に手を添えた。恵美里が首を傾げる中、絢音は彼女に聞こえないように小声で囁く。
「……咲良くん。慣れろとは言わないけど、ゆっくりで良いから受け入れられるようになっていきましょう」
「……絢音……」
「私も初めは結構……というかかなりしんどかったから。……本当に、ゆっくりでいいから。ね?」
「……ありがとう」
優しく微笑みかける絢音の顔には、過去の様々な記憶が過ぎっているのか、咲良にも分かるほどの苦みが見えた。それが咲良にはとても辛くて、切なくて――そして、愛おしかった。
「……絢音……」
「あ……さ、咲良くん……?」
「んー? ヤっちゃうのー? 流石にお姉さんがいる前でおっぱじめられると流石に気まずいんだけど……」
「ぶっ!?」
「うわっ!? あ、絢音、今思いっきり、絢音の唾液が顔にかかった……!」
「い、言わなくていいから! そういう生々しいこと言わなくていいから! でもごめんなさい! 今すぐ拭くから!」
「あ、でも何か絢音の唾液、甘い匂いがする……あ、ハンカチも良い匂いがする」
「ふんっ」
「おぐっ」
「あ」
顔が真っ赤を通り越して平常に戻った絢音が、気迫の呼気と共に咲良の腹部に正拳突きを入れた。恵美里は「すごーい、達人? みたいだー」と能天気に感心していた。