第11話 打ち合わせ無しで言葉を揃えるのって地味にすごい。
翌日。
放課後になった瞬間に席から音もなく立ち上がり、教室を出ようとした絢音の肩を咲良が掴んだ。
「絢音、どこに行くの?」
「……自分探しの旅に」
「……17点。やり直し」
「……今のって何点満点?」
「もちろん100点満点。で、どこに行こうとしてたの?」
「……ひ、ヒンドゥー教の成り立ちを調べに……」
「なんでそれをチョイスしたの……」
肩を掴まれたまま冷や汗をだらだらと流す絢音と、表面上だけニコニコと笑みを浮かべた咲良。二人を不思議そうに眺めながら、クラスメイトが次々と教室を出ていく。
「行くんだよね? 霊がいるっていう、絢音行きつけのカフェに」
「…………」
「……あ、や、ね?」
「あっ、あん……っ」
『っ!?』
咲良が絢音を壁際まで追い詰め両肩を掴んだ瞬間、絢音はびくりと震えて頬を赤らめると、おとがいを上げて艶めかしい声を漏らした。まだ教室に残っていた数名の女子は顔を真っ赤にして、男子は残らず前屈みになる。目の前のいた咲良は言わずもがな。
「やっ、咲良くん……だめ……っ」
「待って待って待って、なんかすごくまずい感じになってる! 一旦出るから!」
惚けた様子の絢音の腕を引っ張り、咲良は教室を出た。背中に痛いほどの好奇の視線を感じながら。
× × ×
「咲良くん、さっきはよくも私を襲ってくれたわね?」
「いや、そんなつもりないって。急に肩を掴んだのは悪かったけど、絢音が急にエロ可愛い声を出したから変な空気になったんだよ?」
「え、エロかわ……っ!?」
「うん、エロかわエロかわ。超エロかわ」
「何回も言わないで!」
「あぶなっ!?」
手刀の薙ぎが高速で襲い掛かり、咲良は反射的に後ろに避けてなんとか避けた。代わりに電柱に思い切り背中をぶつけて、絢音が涙目で謝りながら背中をさすった。
「……ところで、目的地のカフェは遠いの? もうすっかり知らない道になっちゃったけど」
「ええ、もうじき私の家よ」
「なんで帰ろうとしてるの!? どんだけカフェに行きたくないのさ!?」
咲良のツッコミに対して、絢音は急に顔を上気させ、口元を手で隠しながら咲良にちらりと婀娜っぽい流し目を送った。
「……そ、その、私の家でお茶していってもらえないかな……って思ったんだけど……」
「……ぐ……ものすごく魅力的な提案だけど……カフェに行ってボロを出したくないだけだよね?」
「……なんでバレたの……!?」
「そんなショックそうな顔をしなくても……あ、カフェだ。あそこが絢音行きつけのお店?」
「……しまった」
「よし行こう」
「待って! そ、そうよ、霊はカフェにいる日といない日があるの! ほんとよ、ほんとなの!」
「今更言う時点で遅すぎるから!」
× × ×
涙目の絢音を引きずってカフェに入ると、柔らかな緑色の制服を着た女性店員が笑顔で迎え入れてくれた。
「いらっしゃいませー。何名様ですか?」
「あ、二人です」
咲良が応えると、女性店員が笑顔のまま店の奥を振り向く。
「はーい、カップル一丁! ジュブナイルだよー!」
『インスタにリア充写真でも載せてろー!』
「!!??」
女性店員の掛け声に加えて、店の奥から聞こえてきた複数の店員の言葉に咲良は噴き出した。
「では、こちらへどうぞー」
「え、いや、今のは……?」
「あ、喫煙席をご所望ですか?」
「話を聞いてない!?」
咲良の疑問を小ボケで潰すと、女性店員は店の中へと二人を案内する。
「あ、絢音、ここっていつもこんな感じなの……?」
「まあね……私がここに来るときはいつも一人なんだけど、前回来たときは『はーい、ぼっち一丁! 深窓の令嬢チックなお嬢さんだよー!』『昔から雇ってる庭師の息子と仲良くなって官能シーンでも演じてろー!』って返ってきたわ……」
「なんでそんな掛け声を揃って言えるんだよ、ここの人たちは……」
げんなりとした二人が席に座る。
咲良が窓を見ると、窓の両脇の縁が何故かトーテムポールだった。鳥らしきものの目がじっと咲良を見ている……気がした。
「このチョイスなんなの……」
「場所によって飾り付けが違うみたいね。私がいつも座ってる席だと窓に手形が何個も貼り付いてるわ」
「怖すぎるよそれ! 絢音もなんでそこを気に入っちゃうのさ!?」
「いや、なんかその席に座って動画で怪談噺を聞くと、すごく捗るのよね」
「なんという盛り上げ方……」
絢音の普段の行動にげんなりしながらも、咲良はカフェオレを、絢音はいちごパフェを注文した。先程対応していた女性店員が注文を受けたのだが、小声でぽそりと『ダブルストローでも使ってちゅーちゅー吸い合えば良いのに……』と呟いていた。咲良も絢音も顔を真っ赤にして聞こえないフリをしていた。
「ねえ、絢音。この『ファフニールの姿焼き』っていうのは……」
「ああ、それ? ゆで卵よ。50円って書いてあるでしょう?」
「名前負けしかしてない! どんだけがっかりさせる気なんだよ……」
× × ×
「ところで絢音、霊はいるの……? 見た感じ分からないんだけど」
「ああ、美味しい……っ」
「誤魔化すなよ……ってほんとに美味しそうだね……何その可愛い顔」
「か、かわ……っ!?」
恍惚とした表情でいちごを食べていた絢音の顔が真っ赤に染まる。咲良は無性に絢音の頭を撫でたくなったが、向かいの席に身を乗り出すのは何とも間抜けな図になるのでやめておいた。
注文したカフェオレといちごパフェはほとんど同時に届いた。奇特な店員と内装に似合わず、咲良が口にしたカフェは今まで飲んだどのカフェオレよりも絶妙な甘さでとても好みのものだった。カフェオレに研究も何も無いのでは……などと考えていた咲良だったが、自分の浅はかさを恥じた。
絢音が注文したいちごパフェは値段の割に明らかに多く、
「……絢音、食べきれるの?」
と咲良も心配したが、
「……あげないわよ? この子の糖分は私のものよ」
「すごい執念だ……」
どうやら無用の心配のようだった。
咲良は店内を見渡す。先程まではお洒落なジャズが流れていて、曲が終わると何故か急に演歌が流れ出した。イントロが終わり歌手が歌い出したところで急に途切れて、今度は緩やかなボサノバが流れ出した。BGМが情緒不安定だ……と咲良は苦笑していた。
店にいる客は、見た限りでは入口近くのカウンターに若いカップルが一組いて、咲良たちより店の奥にあるテーブル席に中年の夫婦らしき一組が、そして咲良たちの席と通路を挟んだ向かいのテーブル席に女性が一人座っていた。どの客も、咲良たちが席に座ってから来た客だった。
「ねえ、絢音。あの中にいるの? 俺が見た限りだと分からないんだけど」
「はあ、マシュマロ美味しい……愛おしい……」
「いや、ちょっと絢音。……ほんとにパフェに夢中になってる!? ……うーん……あ。……も、もしかして……俺が見えてるお客さんが全員霊だったりする……?」
「……咲良くん、怪談の見すぎ」
「うぐ……っ」
急に冷静になった絢音の言葉に、咲良は顔を真っ赤にした。
「ごちそうさまでした。はあ、美味しかった……。ごめんなさい、ここのパフェがあまりにも好き過ぎて、周りを一切見ていなかったわ」
「ひどいなそれ……。で、何か見えた?」
「ん、ちょっと待っててね……あ」
「え」
「……ほんとにいた……」
「え!?」
「……こほんこほん。い、いえ、いるのは分かってたわよ」
「いや、絢音がウソついてるのは気付いてたからそこは取り繕わなくていいよ! どこ!?」
「ひ、ひどい……あー、そうね、折角だから、咲良くんには考察力も付けてもらいましょうか」
「え、そういう焦らしはいらないんだけど……」
「…………っ」
「ご、ごめん絢音。泣かないで、ね?」
咲良の言葉に痛烈なショックを受けて、絢音の目が見る間に潤む。近くにいる女性が「お、なんだなんだ、痴話喧嘩か?」と楽しそうに言ったのは綺麗に無視した。
「……いちごパフェ奢ってちょうだい」
子どものように泣きべそをかいていた絢音が、拗ねた顔で咲良を睨む。情けなく眉をひそめて上目遣いで見られたものだから、咲良はなんだか変な性癖に目覚めそうになった。
「……ていうか、え、もう一つ食べるの!? あのサイズを!? ……分かったよ……この件が済んだらね。で、何かヒントでもくれるの?」
「そうね、ヒントは……店員の掛け声、かしら」
絢音の言葉に、咲良ははてと首を傾げた。
「……掛け声って……あの毎回変なフレーズを言ってるやつのこと?」
「そう。咲良くんも聞こえていたはずよ、例え夢中でパフェを食べている私にずっと見惚れていたとしても」
「え、バレてた?」
「……私の顔だけならまだ良いんだけど……胸まで見られると……咲良くんの視線って、なんか刺さるし……変な気分になっちゃうから」
「……ほんとごめんなさい」
「……別にやめてほしい訳ではないんだけどね」
「え、いいの?」
「ここは聞こえないフリをしてほしかったわ……」
話を戻すわよ――と、絢音が咳払いをして、テーブルの下で咲良の右足の靴を両足で挟みこんでぐりぐりと動かした。意味が分からないけどなんかすげえ可愛い……と咲良は思った。
「今いる他のお客さんって、みんな私たちの後に来たわよね?」
「あ、うん、そうだね」
「今いるのは私たちを除くと三組。咲良くん、どんな掛け声が聞こえたか覚えてる?」
「ええっと……」
咲良は首を傾げながら、記憶の中に埋もれた声を細い糸で手繰り寄せる。つい先程までの記憶のほとんどが、夢中でパフェを頬張る絢音の顔で埋もれていた。ちょっと恥ずかしくなりながらも、咲良は記憶を辿り、手繰り寄せ、紡いで形にしていく。
「ええっと……最初に聞こえたのはカップルに対しての掛け声だった気がする。『はーい、カップル一丁! 再びジュブナイルだけどこっちはちょっと手慣れた感じだー!』『この後彼氏の家に行って爛れた行為に及んでしまえー』って言ってた気がする。……改めて思い出すとひどいなこの店……」
「そ、そうね……それで、次は?」
「あ、えっと……次は奥の席にいる夫婦だったかな。『はーい、熟年夫婦一丁! 見るからに良い感じだ!』『【あなた……久しぶりに、あそこの海へ行きたいわ……】【……ああ、良いな。久しぶりに行こうか】なんて静かに語り合いながら手を握ってしまえー!』って言われてた。……今思い出したけど、あの二人が俺たちの前を通り過ぎるとき、顔真っ赤だったな……」
「気の毒としか言いようが無いわね……。それで、後は何か思い出せる?」
絢音の言葉に、咲良は通路を挟んだ席にいる女性をちらりと見た。
「後はええっと……って、あれ……?」
記憶を辿り、丁寧になぞっていく。それでも、すぐ近くにいる女性に掛けられた言葉が思い出せない。氷の筆でサアッと刷かれたかのように、咲良の背中がぞわりとした。
咲良の表情が青ざめたのを見て、絢音はふっと息を吐いた。
「……あの女の人の席、よく見てみて」
「え? ……あ」
テーブルの上には、何も無かった。頼んだものも無ければ、お冷らしきものも無い。まるで、最初からそこに誰もいないかのような――そんな状態。
「……あ、絢音……この流れで気付くと、その、怖すぎるんだけど……」
「そ、そうね……ごめんなさい。思ったよりも盛り上がってしまったわ……」
「盛り上がったって自分で言わないで……」
小さく震える咲良を励まそうとしているのか、絢音は咲良の右足の靴を両足で挟み、互い違いに前後に動かしてコシコシとこすっていた。引き続き全く意味が分からない上に卑猥な行為しか連想出来ず、咲良は顔を赤くする。
「……それじゃあ、話しかけてみましょうか。私がよく見かけている幽霊に」
「いや、初めて見たんでしょ? 何で今さらウソつくの? 意地を張る絢音も可愛いけど、あんまり無理しなくて良いんだよ?」
「……優しさは時として凶器になり得るのね……っ」
咲良の言葉に耳まで赤くした絢音が、顔を逸らして「く……っ」と小物臭漂う呻き声を上げた。