第10話 嘘をついて引っ込みがつかなくなった時、うやむやにしたいのにひたすら追求されるとすごくつらい。
「あの子……あれで良かったの?」
「ん?」
未悠の一件を終えた、その翌日。
学校帰りに当然のように落ち合った二人は、咲良がたまに寄っているカフェでくつろいでいた。
「未悠ちゃんのこと。あの状態でしばらくこのまま過ごすってことだろ? その……色々と大丈夫なのか?」
「ああ……そのことね」
絢音はココアのカップを持ってちびちびと口を付けては「まだ熱い……うぅ……」と残念そうに唸りながら咲良の問いに応じる。舌をちろりと出して熱がる様子は小動物のようで、咲良は内心激しく悶えていた。
「ん、大丈夫だと思う。怨霊悪霊色情魔の類だとほっといたら何をしでかすか分からないから、なるべくその場でどうにかするようにしてるけど。未悠さんはしっかり自我も持ってるから。生きてる人間よりよっぽど無害だと思う」
「……あー……確かにそうだね」
所々に見受けられる未悠の常識的な側面を思い出した。
「それに、本人がまだやりたいことがある、あれもしたい、これもしたい、もっともっとしたいって言ってるんだから、そこは本人の意思を尊重しましょう」
「未悠ちゃんの世代がよく分からないんだけど……」
親世代の音楽とかよく聴いてるのかな……などと考えながら、カフェオレをくぴりと飲んで話を続ける。
「それと……昨日のこともそうだし、初めて絢音を見た日もそうだったけど……いつもあんな感じなのか?」
「ん、タンクトップとショートデニムのこと? そ、そんなに気に入ってくれたの……?」
「言ってない言ってない、ていうか初めて絢音を見た日は普通に制服だったろ!」
絢音がぽっと頬を赤らめて言うと、咲良は顔を真っ赤にしてツッコんだ。咲良の脳内に、健康的ながらもどこか艶っぽい絢音の姿態が目に浮かんだ。慌ててかぶりを振って妄想を振り払う。
「そうじゃなくて……あんな風に手間暇かけて霊と向き合ってるのかってこと」
「……そう、ね」
絢音が物憂げな表情を浮かべて、寂しそうに笑う。絢音の心の奥底の、まだ触れてはいけないところに触れてしまった気がした。
「私にはどういう訳が強い霊感があって、霊が幸せになるお手伝いが出来るから……っていうのは、ある程度本音だけど、まだまだ建前かな」
私ね……と、ようやく程良い温度になったココアを口に付けて、少しだけ頬を緩めた絢音が苦笑いを浮かべる。
「私……霊感は他の人に言わなければバレないからまだ良いんだけど、不死の力は小学生のときにバレちゃったの。正確に言えばそのとき初めて私もこの力に気付いたんだけどね。
それからはずっと、私は化け物扱いされてた。先生も、クラスメイトも、誰も助けてくれなかった。それはそうよね、大人だろうが子どもだろうが、死なない人なんて見たことないんだから。
……だからかな、寂しいって感情にはとっても敏感になっちゃって。
霊を見ると、みんな寂しそうなのよ。未悠ちゃんはまだ子どもの霊だから尚更だけど、大人の霊でもそう。老若男女問わず、みんな寂しそう。
だから、つい手助けをしたくなるのよね。……あ、ごめんね、長話しちゃって……って、咲良くん!? どうしたの!?」
「え……? ……ああ、そっか……」
しんみりと話していた絢音がぎょっと目を見開く。咲良は絢音の驚く顔を見て初めて、自分の頬に伝うものに気付いた。あたふたとする絢音をよそに、咲良はそっと絢音の手を握った。あまりにも自然に握られたものだから、絢音は完全に固まってしまう。
「……ごくごく普通の環境で育ってきた俺が言うのも失礼かもしれないけど……絢音、辛かったよね。本当に、大変だったよね……っ」
話しながら、咲良の頬にまたしても熱い滴が伝う。手で拭いもしないため、ぎゅっと目を閉じる度に大粒の雫が落ちていく。
「……もう、男の子がそんなに泣かないの。……でも、ありがとう」
絢音は苦笑して咲良の手に指を絡めると、優しい笑みを浮かべた。かと思えば頬を赤らめ、もじもじとして上目遣いで咲良を見つめる。
「私……もし小学生のときに咲良くんと出会ってたら、もう少しまともな人生を歩めたかもしれないな……」
「……大丈夫だよ、まだまだこれから楽しいことが出来るはずだから」
「咲良くん……」
「絢音……」
「ぐっつぐつに煮えたカフェオレに角砂糖を7つくらい入れたような会話をしてますねお二人さん」
『はぇあ!?』
二人の裏返った声が重なった。
手を繋いだまま熱い視線を交わしあっていた咲良と絢音のすぐ横で、昨日たっぷりと遊んだ小学生が立っていた。二人をこれでもかというくらいのジト目で見つめている。
「みみみみ未悠さん!? どうしてここに!? あなたはもう成仏したはずじゃあ……っ!?」
「落ち着いて絢音、さっきまでの流れをガン無視したこと言ってる!」
「ふっふっふ、わたしは秋元先生が漫画家業を完全に引退するまでこの世に留まり続けますからね!」
「いや、それは結構長丁場にならない?」
下手をすれば数十年単位の話になりそうだ。
「えーと、未悠さん? どうしてここに? さっきも聞いたけれど」
こほんと咳払いをした絢音が尋ねると、未悠はにひっと子供らしい爛漫な笑みを浮かべた。
「いやー、街中のショーウインドーというショーウインドーで自分を映して、『俺の両手は機関銃! 俺の両手は機関銃!』と叫んでは両手を広げてオークション会場を荒らすイメトレをしていたんですが、なんかこの店の前で不意にラブコメの気配がしたので来てみました。そしたら大当たり! 甘ったるい青春シーン、ごちそうさまでした!」
「……………………」
「いひゃいいひゃいいひゃいいひゃいれす(痛い痛い痛い痛いです)!」
絢音が虚ろな目をしながら未悠の両頬を力の限り引っ張っていた。人の頬ってこんなに伸びるんだ……と咲良は驚愕していた。猫の胴体を引っ張った画像を見たときと同じ種類の感動だった。
ようやく解放された未悠に、咲良はちょっと気になっていた質問をぶつけた。ジャンプをたっぷり読んでいるのならばきっと答えてくれるはず……と期待を抱きながら。
「……一番好きな念能力は?」
「……ペインパッカー」
「……一番好きな斬魄刀は?」
「……流刃若火」
「……一番好きな悪魔の実は?」
「……グラグラの実」
「……未悠ちゃん」
「……お兄さん」
二人は熱く握手を交わした。
「友達!」
「友達!」
「あなたたち、何をやっているの……?」
熱い友情を分かち合う高校生と小学生に、絢音は極めて訝し気な視線を向けていた。
× × ×
未悠と別れた後、咲良と絢音はカフェを出て帰り道を歩いていた。
「それで、次はどうする?」
夕方の涼やかな風に目を細めながら咲良が尋ねる。絢音は道で拾った小石をサイドスローで電柱に投げつけ、反射させて逆側の電柱に当てるという器用なことをやっていた。何その身体能力……と内心驚愕しながらも、咲良は敢えて触れないでおいた。
「ん、そうね。明日は私の行きつけのカフェなんてどうかしら?」
「え」
「え?」
目を細め、髪をかき上げながら楽しそうに提案する絢音の言葉に、咲良は足を止めて固まった。釣られて絢音の足も止まる。
「あ、ごめん、言い方が悪かったかも。次はどこの霊のところに行くのかって意味で聞いたんだけど……」
「あ……っ」
咲良が顔を逸らし、頬をぽりぽりと掻きながら言うと――絢音の顔が見る間に朱に染まる。咲良がちらりと横目で様子を見ると、あわあわとせわしなく口を動かす絢音と目が合った。
「あ、いや、絢音が誘ってくれるなら、俺は全然構わないっていうか大歓迎だけど……」
「べべべ別に明日のデートの希望を言った訳じゃないわよ!? ちゃんと咲良くんの質問の意味を分かった上で答えたから! いやぁね咲良くん、ほんと雷が苦手なんだから!」
「そんな設定一回も言ったことないんだけど!? ……じゃあ、絢音。よく行っているってことは……既にそのカフェで霊のことを何度も見てるってこと?」
「え、あ、そ、そそ、そうよ? 私、×ビデオは毎日見てるわ」
「目的語がおかしいっての! 話をちゃんと聞いて!? 絢音今相当テンパってるでしょ!? 嘘つこうとして引っ込みつかなくなってるんでしょ!?」
「てててテンパるって何のことかしら!? やあね咲良くん、ほんと早漏なんだから!」
「…………」
「え、あ、その……ごめんなさい……言い当てちゃった?」
「突然の下ネタにドン引きしたんだよ!」
「ごごごごめんなさい! そうよね、咲良くんは早漏じゃなくてピーナッツアレルギーなのよね!」
「なんで俺に嘘の設定を付け加えることで誤魔化そうとしてるの!? もう一回確認するけど、絢音が行きつけだっていうカフェに霊がいるんだね? そうなんだね? 間違いないんだね?」
「え、えっとそれはその、出来るなら今の質問に対しては黙秘権を行使したいっていうか……都合が悪いときはだんまりを決め込んで曖昧な雰囲気のまま今日は解散したいっていうか……」
「わかった、じゃあ明日は絢音行きつけのカフェに行くってことで。それでいいね?」
「あれ、誤魔化せてない!?」
「あれで誤魔化そうとしてたの!? よし、明日はそのカフェに行くからね」
「咲良くんが一人で?」
「なんでだよ!」
「いや、その方が『絢音。霊なんていなかったよ。嘘ついたんじゃないの?』『残念でした、私店の外から見てたけど、はっきり見えすぎてて咲良くんは素通りしてたんだよ! ぷーくすくす!』とかって言って誤魔化せるかなって……」
「全部言った! 浅はかな嘘を誤魔化すためのやっすい計画の中身を全部言った!」
「ああ、もうどうしよう……咲良くんがやたら食いついてくる……離してくれない……。ああそうだ、咲良くん、あなたにピーナッツをあげるわ。これを食べてなんか良い感じに気絶して、今の会話内容を全て忘れてちょうだい?」
「ピーナッツアレルギーの嘘設定を引っ張るなよ! あとアレルギーの人に食べさせるとか鬼畜すぎるでしょ、俺はアレルギーじゃないから良いけど……ってほんとに持ってる!? なんで!?」
「なんかポケットに入ってて……」
「なんかやだよそれ!」
「スカートのポケットに入っててちょっと温かいんだけど……」
「…………へえ…………」
「……咲良くんって、結構な変態よね」
「ううううるさい!」
結局この後、脱線に脱線を重ねて会話のスタート地点まで分からなくなってしまったが――最終的に、翌日の放課後は絢音行きつけのカフェに行くことになった。