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最近、知らないうちにことが運んでいることがあった。たぶんそれは、僕が人の話を聞かずにあいまいな返事ばかりしているからだと思う。もちろん、困るような事態に陥ることも多々ある。
「これが私のメールアドレスだから」
「え、あ、うん……どうも……。いや、そうではなく、なぜ真乙さんは僕にメールアドレスを教えてくれているんですか?」
苦笑いで僕は尋ねた。真乙さんが目を見開いた。
「……なんで? べつに理由はないわよ」
「でも、僕たちはクラスメイトですけど、ついさっき初めてったようなものだし……そもそも、どうして教えてくれるんですか?」
「どうしてって……そりゃあ、知り合ったから」
嘲弄するような目で彼女は僕のことを見た。
「……メールなんか、する気ないでしょう」
「……どうして?」
困惑した顔を浮かべていた。
「いたずらに電話帳の登録者を増やさなくてもいいでしょう?」
「…………」
「…………」
真乙さんの返答を待った。
「そんなこと、考えなくちゃいけないの?」
それには答えず、彼女の額に人差し指をあてて押し、遠ざけた。すこしくらいなら反抗すると思っていたが、驚いたことに大人しく彼女は僕に押されて顔を離した。
「そんなに避けなくてもいいじゃない……」
席につき顔を伏せて彼女は言った。
「友達、じゃない?」
「…………。会ってすこししか経ってない」
――…………。
友達――そんな言葉をかけられるとは思っていなかった。そんな言葉を簡単に口にする彼女を怖れた。
「友達ってすぐになれないもの?」
強張った笑顔を浮かべ、右手で胸を押さえながら彼女は言った。だけど、僕は「なれないものじゃないかな」と首を左右に振った。
「…………」
「…………」
真乙さんは俯き、僕に背を向けた。僕はカーテンの隙間から外の景色を観た。ふと、右の親指が痛いことに気づいた。僕は知らないうちに親指の爪を噛んでいた。噛みすぎて、ズキズキと痛んでいた。
その晩、僕は頭を抱えて眠りについた。頭の中では、真乙さんを愚弄する言葉を浮かべては、掻き消している自分がいた。
目が覚めたら五時十分だった。心地いいバスの振動が、イスをとおして伝わってくる。
頭を正面から左に向けた。カーテンに透けて、朝の陽射しが顔を照らした。
カーテンを左手でどかし、外の景色を見た。瀬戸内海が眼前に広がっている。海面が朝の陽を反射してきらめいている。船が一隻、視界の右端から左端へと移動して消えていく。
頭を反転させて右を向くと、そこは空席だった。真乙さんはいなくなっていた。
いるはずの真乙さんがなぜいないのか考えた。すぐに思いついた。やはり、昨晩の口論が原因で僕の髪型すら見たくなくなり、他に空いている席にでも移ったのだろう。このバスはけっこう空席が目立っている。僕を含め、乗客は一五人程度であろう。
僕はもう一度左を向いて海を見た。
ここから見た海は、とても穏やかである。しかし、視界には入らない橋の真下の水上では、いくつも渦が生まれては消えているのだろう。
そのことを思うと無力感が生まれ、心の中で自分を罵る言葉を生成する。それは渦が見れないからどうのというものではなく、昨日僕が取った態度、言動についてである。
なぜ、あんなことを真乙さんに言ったんだ?
なぜ、彼女を避けたんだ?
なぜ……なぜ……?
彼女に謝らなくては、と自分に繰り返し言い聞かせた。
心が虚ろになると、眼までもが虚ろになる。だから、窓に反射して映し出された彼女の姿に気づくのが遅かった。
右を向いて顔を合わせる。視界のほぼ中央に、少女の顔があった。
「おはよう」
僕は戸惑って女の子に挨拶をした。前の列の一番右端の席に座っている女の子が、なぜか僕のことをじっと見ていた。僕が挨拶をすると、にっこり笑った。
「おはようございます、おにいちゃん。おねえちゃんがよんでるよ」
――お話しがしたいんだって。
僕が『おにいちゃん』なら、『おねえちゃん』とは真乙さんのことであろう。
「わかった」と、ゆっくりと立ち上がった。
女の子に先導されて、真乙さんの座る席へと向かった。とはいえ、先導してもらうほどではなかった。彼女は僕の右斜め前の席に座って外を眺めていた。その席は、ちょうど女の子の席であった。




