14
トランプをやめて、先輩たちが持ってきた黒いバックから、二組分の望遠鏡とカメラをとり出した。
「それじゃあ、そろそろはじめるか」
伊森先輩が告げ、五人は部屋を出た。
階段を下りるとお婆さんがいた。
「この季節はまだ猛暑ってわけじゃないから、外に長くいると寒くなるよ。だから、温かい飲み物を用意しておきますよ」
「あのう、できればココアにしてはくれませんか?」
堀先輩が、信じられないくらい好青年な感じの笑顔でお願いした。それをお婆さんは、かまわないよと返した。
「どうも」
先輩はお礼を言って、立ち尽くしている先輩たちと真乙さんの横をとおり、一番に外へと出た。
「……なあ高島。堀のあんな顔、今まで見たことがあるか?」
「いや、ないな。一度も……」
「私もです」
ただただ、堀先輩が出て行ったあたりを見て、七不思議だという表情をしてばかりいた。
「……まあ、べつにいいか」
伊森先輩が言って、高島先輩がうなずいた。
「でも、本当に今まで一度も、堀先輩が笑ったところは見たことがなかったんだけどな……」
頬を掻きながら、真乙さんはつぶやいた。
「……まあ、いいや」
先輩と同じ言葉を吐いて、彼女は靴を履き外へと出て行った。僕も履きなれた運動靴に足首まで納め、外の闇に出た。
お婆さんの言ったとおり、外は暑くなく、逆に半袖だとちょっと寒いぐらいだった。
暗い空には雲の姿はなく、星々が空いっぱい点在していた。
――すごい……。
思ってから、景色の綺麗さによく驚かされるなと苦笑した。
満天にきらめく星空は、僕に『すごい』以上の形容方法を忘れさせるぐらいだった。というよりも、言い表せないのかもしれない。
「星が、去年よりも多いな」
背後で声がした。それが、あまりにも唐突なことなので、僕は体を震わせてしまった。
「ビックリさせちゃったかい?」
振り返ると、背景の森と同化している堀先輩がいた。
「少々は……」
「悪かったね」
「いえ……」
高鳴りする心臓を抑えるのが大変だった。胸に手をあてなくても、心臓が車のエンジンのごとく活動するのがわかった。
「それじゃあ、はじめるぞ!」
伊森先輩が告げた。伊森先輩と高島先輩が、それぞれ一個ずつ、別々の方向を向けながら、三脚を設置しはじめた。ひとつには望遠鏡、もうひとつにはカメラが乗っていた。
真乙さんは、つまらなさそうに闇空を見上げていた。
「よし。調整もしたし、これでもう終わりなんだけれど、星座でも探す? 星座早見表もあるし、双眼鏡もあるぞ」
右手に、円形の板のようなものを持ち、みんな、というより、僕と真乙さんに聞いた。
「私、見ます!」「オレも見るか」
真乙さんと高島先輩が、カメラを入れていたのとは違うバックから、双眼鏡を取り出し、おもいおもいの方向の空に向けて、レンズを覗きはじめた。伊森先輩と堀先輩は望遠鏡を交互に覗き込んだ。
「北極星はどこだ?」
「北斗七星を先に探さないと、見つけるのは難しいぞ」
「あれ? よく見えない……」
僕は一番近くで空の模様を観察している真乙さんの傍で、「よく見えますか?」と尋ねた。
「…………」
彼女は何も言わず、左手で僕を手招きした。不審がりながらも近づくと、唐突に腕を掴まれた。
「……!」
内心悲鳴を上げたかったが、なんとか抑えた。
「ほら、この方角でこの角度なら、白鳥座のデネブが見えるよ!」
腕をグイッと引っ張られ、手に双眼鏡を渡された。どうすればいいのかわからず、真乙さんを見た。彼女は空を指差した。
僕は双眼鏡を覗きこみ、真乙さんが指差すデネブを見ようとした。が、黒光りするレンズの奥には、無数に弱い光を放つ星が光るだけで、デネブらしき星はなかった。
「星団とか、見えないかな」
ふと、思い出したように言うと、今まで掴んでいた僕の腕を放した。僕はそのまま微調整をしながら、夏の夜に輝く小さな印を見つけようとした。
「あ!」
右隣から、ちょっとばかり裏返った悲鳴がした。
「どうしました?」
双眼鏡を覗いたまま適当に尋ねると、「流れ星」と、静かなか細い声で彼女はつぶやいた。
あわてて双眼鏡をはずしたが、流れ星など見えるはずがなかった。
流れ星――それは、僕が一生のうち、せめて一回は見てみたいと思う、空の絵のひとつだ。
「初めて見た、私……」
尊い存在を感じたように、彼女はうっとりと言った。
「……残念です。僕も見たかった……」
真乙さんが仰ぐ上空を睨んだ。
「本当に見えました?」
「うん。あっちから、そっちに向かって」
左にそびえる山の影から右斜め下に、蝶のような動きをする指で示した。流れ星の動きには見えなかった。
「見たかったな……」
「また見えるかもしれないよ。それに見えなくても、また来年来ればいいんじゃない?」
「ここに来れば、ぜったい見れるわけではないでしょう……」
「今は、流星群が来る時期とかぶるんだって。だからまた来年、この時期にここへくれば見えるよ」
僕は目を閉じ、深くため息を吐いた。
「そうですね。流星群なら、高い確率で流れ星が見える。それも、一度だけでなく、二度、三度くらい……」
――いや、それ以上かも……。
考えただけでも、顔がほころびそうだが、微塵にもださないように勤めた。
流れ星が見たい。その言葉が、ベートーベンの『運命』のように、頭にこだました。不快だな。
「思ってたよりずっと、見えなくなるの早かったな」
「見たかった……」
そうつぶやいてログハウスの背後に展開する空を仰いだ。ただひとつ、孤高に、気高く光り続けている月が、薄い雲に隠れ、幻想的な姿を見せていた。
どこか、物寂しかった。




