12
宿に着くまでに想像以上に時間がかかった。
道中真乙さんは、僕の生活態度について、あれこれ駄目出しをした。
「先生に指されたとき以外、ほとんど声を出してないでしょ」
「何でいつも、席替えで隅の方の席になるんだろうね?」
「そんな暗い顔しているから、誰も関わろうとしないんだよ! ……え、私? そりゃあ……」
「それなら、なぜ真乙さんは僕をかまうんですか?」と尋ねたら、彼女は口ごもった。
「…………」
いくら待っても、返事はなかった。そのかわり「赤木くんは、基本的にファッションセンスが云々」と、さらに語った。君が言えた義理か、とは言わなかった。
携帯電話の時計が七時三〇分を示したころ、目的のバス停に停車した。
「降りるよ」
高島先輩が延々と僕に口うるさくする真乙さんに、面倒くさそうに言った。
バスを見送った後、先輩たちがバス停の近くにあった登山道を歩きはじめた。彼らに続いて、僕と真乙さんも歩き出した。
登山道は、もちろん天上を木の枝に覆われ、木が揺れ合い、隙間ができる刹那に太陽光が差し込んだ。
木のトンネルには、蝉の鳴き声が響いた。が、いくらトンネルのようでも、全方向から反響して聞こえてくるのは反則のような気がした。うるさすぎる。
その蝉の鳴き声に混じり、真乙さんが蚊に対して悪態を吐いている声も聞こえた。
「あー、もう! 苛々するな!」
「真乙、すこし静かにしろよ。いいかげん怒るよ」
覇気のない掠れた声で、伊森先輩が注意した。
「……わかりました。ところで先輩、苦しそうじゃありません?」
真乙さんがそう言うと先輩は足を止め、「休もうか……」と力なく言った。
みんな、近くにある岩に腰かけた。
伊森先輩の隣に座り、あとどれくらいで宿に着くのか聞いた。
「あと、五、六分ぐらいかな」
「そうですか。ところで、僕は急に加わるわけですが、大丈夫なんですか?」
真剣な表情と、真剣な口調でそう聞いたのだが、先輩は軽く笑って、「心配は要らないよ」と答えただけだった。
「そうですか……ところで先輩。その宿まで、意外と遠いですね」
先輩は自嘲気味に笑ってからみんなを見て、
「さて、長く休んでいるわけにもいかない。そろそろ行こう」
さっきまでとは違い、蝉の鳴き声が一瞬消えたと思うくらい鋭い声で告げた。
「もうですか?」
おっくうそうに真乙さんも立ち上がった。伊森先輩は、答える代わりに歩き出した。
僕も岩から腰を上げて、不満顔の真乙さんを宥めながら歩き出す。
「暑いな……。だるいな……。帰りたいな……」
気だるそうに歩きながら、彼女は繰り返しつぶやいた。
聞きたくもない真乙さんの愚痴を聞きながら山道を歩くと、木でできた建物が見えてきた。
「あれが、僕たちが泊まる宿ですか?」
明らかに、築五〇年はするボロ家を右の人差し指で指しながら、伊森先輩に尋ねた。
「うん、そうだよ」
そう答える先輩の表情は、暗かった。
「まさかとは思いますが、幽霊なんか……出ませんよね?」
冗談のつもりでそんなことを聞いてみた。
「どうだろう? わからない」
先輩は、暗い表情のままだった。
「……そうですか」
そこで会話を中止し、僕らは黙々と家に向かって歩いた。わずか三〇秒ほど歩いただけで建物に着いた。近くで見ると、ログハウスのように細長い形をしていた。三角形の天井に、木で組み上げられた壁。やはり、ログハウスである。
「やっと、着いた!」「休める……」「…………」
他の三人の反応を見て、僕以外この家の異様さに、気づいていないのかと思った。
「肝試しができそうだ」
堀先輩がひとり、愉快そうでいた。
「あらあら、遠いところからよく来たわね。さあさあ、早く上がりなさい。冷たい飲み物がありますよ」
ログハウスの中にいたのは、幽霊でなく、六〇代と思われる小柄な女性だった。髪を、後ろで団子にしている。
「どうも。二日間ですが、よろしくお願いします」
伊森先輩がお婆さんに愛想よく、会釈した。
「こちらこそ」
お婆さんのほほえみの目が僕の目と合った。
「あら、この子は? 確か、去年も来た楓くんたちと、今年は新入生の女の子が一人の四人って聞いてたけど?」
お婆さんが不思議そうに言い、僕は緊張した。先輩には心配ないと言われたが、どうして心配しなくていいのだろうか?
「ああ、彼はここに来る途中、偶然遭遇して入部したんです。真乙のクラスメイトです」
先輩が僕と真乙さんを示しながら答えた。するとお婆さんはまさに目を輝かして、「すごい偶然ね! すごいわよ!」と感嘆した。
「……どうも」
お婆さんに一礼して、建物内を見回した。
入り口近くに階段がある。階段を上らずに真っ直ぐ行けばドアがある。
「さて、お兄さんたちの部屋は二階の突き当たり、お嬢さんは二階の一番手前だから。三つしか部屋はないから、すぐにわかると思うわ」
部屋の中は大掃除のあとみたいに綺麗だった。
「すごい……」
高島先輩が窓から外を見て、その景色に絶句した。
「景色、格別だぜ」
そう言われて僕も窓枠に手をかけ、景色を見た。
「――……」
文字通り、言葉を失くした。山々が連なり、朝霧がかかっていた。それだけでなく、霧を貫くように、山間から漏れた太陽光が降り注いでいる。
「神秘的ですね」
「まさに、ミスティック」
僕と、いつの間にか隣にいた伊森先輩が、同じ感想を抱いた。
「きゃー! すっごーい!」
いちいち間延びして感嘆する声が、側から聞こえてきた。声のした方を向いてみたが、誰の姿もなかった。そのかわり、廊下から人の駆けてくる音がした。部屋のドアが開かれ、真乙さんが入ってきた。
「先輩たちに赤木くん、外の景色!……なんだ、もう見ていたのか」
「そこまではしゃぐな。体力がもたないぞ」
若くないんだから。堀先輩が、高島先輩の言葉に付言し、彼女に罵られた。




