4年
僕は長男なので、こんな経験があります。家族の大切さは多くを語らないことにこそあると思います。だから、この短編の中で考えるのではなく
感じてほしいと思います。
4年だ。東京の大学に通った俺が、久しぶりに帰る実家。大学生活の中では1度も実家には帰らなかった。忙しくて帰れなかった。遊びも、バイトも、サークル活動も、勉強も、とにかく充実した4年だった。そして、地元に帰ってきた。住んでた家を引き払い、間も無く実家の最寄駅に着く。まだ少し肌寒いが、その中にも少し穏やかな春の日差しをかんじる。そんな14時の空。
東京の家を出て、静岡の実家まで約2時間。随分と景色が変わっていた。高校時代の、甘酸っぱい記憶のドアを叩くあの駅のベンチは塗り替えられていたし、通過する駅も作り変えられて大きくなっていた。部活帰りに寄ったファミレスは無くなっていて、高校時代好きだった店員さんはもう駅前のコンビニには働いていなかった。こんな風に、見慣れた街も知らぬ間に変わってしまう。俺を残して変化していく。自分だけが変わらずに記憶の中に置いていかれる。そんな気がした。
駅前のロータリーに母親が迎えにきてくれた。キャリーケースを引きずって歩く俺に、見慣れない車の中から母は手を振っていた。車を変えたことは知っていた。でも、初めて見るその車は何故か俺を受け入れてはくれないような居心地の悪さを感じさせた。お前は誰だ、とそんな風に言われているような気がした。エンジン音も、振動も、俺を拒絶するシステムに思えた。
車から見える景色も、俺の知らない街を写した。駅前には大きなマンションが3つほど増えていたし、あれほど流行していたラーメン屋さんも無くなっていた。市役所の場所も移動していたし、通い慣れた中学校は校舎が建て替えられていた。なんだか、ここはもう違う世界になってしまったんだ、という気持ちになって小さな溜息をつく。
「随分変わったでしょ。」
気持ちを見透かしたように母親は言う。その声と、優しい口調だけは変わらない気持ちを与えてくれた。
「変わっちゃったね。もう違う街みたいだ。」
俺は答える。
「この4年でいろんなことがあったのよ。今話すには時間が足りなすぎるくらい。」
「そうみたいね。4年ってのは、俺が思ってたよりも大きいんだね。」
「あんたも変わったね。すごく落ち着いた。昔は、もっと子供っぽいとこがあったのに。この4年は楽しいことばかりじゃなかったでしょう。頑張ったね。」
その一言は、まだなにも話していないのに全てを知っているかのようで、まるで許されたかのようで、ただただ、泣きそうになる。4年ぶりの母親は、やたらに優しく、自分が守られていたことに今更ながら気付いたたりして、言葉にならなかった。
自宅に帰ると、そこには記憶となんの変わりもない我が家があった。1階がレストランで、2.3階が自宅。
「ただいま。」
そう言ってレストランの裏口から入った俺に親父は笑って答える。
「おかえり。」
少し痩せたな。白髪も増えた。
「久しぶり。元気してたか?親父。」
「おかげさまで。お前の方こそ、元気でやってたか?」
その会話そのものに意味がないことは、お互いわかっている。4年ぶりに顔を合わせて会話することが、すごく貴重で大切な行為なのだ。内容ではなく、その時間の尊さを感じている。
親父には夕方からの営業もあるので挨拶だけ済ませて2階に上がる。玄関には2つ年下の弟が待っていた。
「ただいま。」
「おかえり。」
「お前は元気そうだな。」
「兄貴もな。」
「おかげさまで。」
「親父も、母さんも、歳とったろ?」
「あぁ。久しぶりに見るとどうしても感じるよ。」
「母さんは、まだマシ。親父は、もう、酒もあんま呑まないし、飯も昔ほど食わなくなったよ。」
「そっか。酒だけあれば生きてけるとか言ってたのに、それじゃ長生きできねーじゃんな。」
「まぁ、うちの家はそもそも男は長寿じゃねーしな。50まで生きたらながいんじゃね?」
「間違いないな。それで、お前は今何してんの?」
「別に、バイトして生きてるよ。兄貴は、これからどうすんの?」
「1年くらいバイトしながら就活して、東京戻るつもり。」
「そう。まぁ、頑張れや。」
「おう。」
その夜、親父が仕事を終えた23時ごろ家族全員で簡単な呑み会をやった。酒もつまみも、お店で出してるものを使った。俺の帰宅に乾杯して30分くらいした頃に、それは嫌でも感じた。
「親父、呑まなくなったな。昔は浴びるほど呑んでたくせに。」
「俺も、若くねーからさ。呑みたくても呑めなくなったよ。」
そんな風に言う親父は本当に歳をとった。昔なら、意地を張って呑むペースをあげたところだ。なんだか、その感じは心をぐしゃぐしゃと乱した。親父がすこし離れてしまったような、弱くなってしまったような、そんな気持ちの悪さ。
「そんなこと言うなよ。たった4年でそんな変わらねーって。」
口でそう言う自分の心には、今日見た数々の景色が映った。変わるのだ。4年もあれば。何もかも。
それから1時間後、母親は3階に行って寝た。弟は元から酒に強くないので、すぐに外に風を浴びに出た。親父と二人になった。多分、それは俺が最も作りたくなかった状況だった。だって、嫌でもそんな話は出るから。わかってしまうから。
「俺も長くないと思う。そしたらさ、お前が家のことを支えるんだぞ。」
親父の口からそんな言葉を聞きたくなかった。
「お前は長男だ。俺がやってきた事を今度はお前がやるんだ。家族を守ってくれよ。」
弟がいなくて、母親がいなくて、だからする話。それは、長男と親父だけの特別な空間。昔にはなかったけど、こんな日が来ることはずっと昔から知っていた。
「俺は、親父のようにはできないよ。そんなに強くない。」
本心だった。ずっと昔から思っていた。
「俺だって最初はそう思ったさ。でも、やらなきゃならなくなった時、やれるんだよ。」
親父の言葉は、重かった。これまでのどんな言葉より。今、4年ぶりに再会したこの時に、人生において最も大切な話をしていることは紛れも無い事実だった。
「なぁ、親父。俺は、馬鹿かもしれないけど親父が死ぬなんてことが想像できないよ。死んだらなんてこと、考えられない。」
「すぐには死なないさ。でも、その時は来る。だから、今から気持ちの整理はしておいてほしい。」
重い。とてつもなく、その重積は僕を蝕む。
「俺には、親父の葬式さえ上げてやれる自信がない。きっと、親父が死んだらどうして良いのかもわからない。」
酒のせいか、涙が込み上げてきてポツリポツリと机を濡らす。
「俺だってそうだったよ。でも、周りの人が助けてくれる。何も知らなくても、わからなくても、お前は一人じゃないから。」
そんな言葉、親父は言わない。いつもふざけてて、たまに強情で、強気で、優しさなんてほとんど見せない。それが、親父だろ。それなのに。
「4年って、短いよ。でも、人や街を変えるには充分なのかもな。」
突然話を変えた俺に、親父はただ、そうだな、と満足気に呟いた。切り取られた空間で、ただ誰にも渡せないタスキを受け取った事を俺は理解した。
家族を感じていただけたなら、幸いです。