力で暴れるはなし
今日の俺はむしゃくしゃしていた。
今日に限らずいつもむしゃくしゃしているが、今日は一段とむしゃくしゃしていた。
誰かとすれ違うたびに、そいつを殴り倒したくなる。
気持ち悪かった。
おしゃれな人にしか見えない鞄なんてものを皆が皆持ち歩いている。
小さい頃に見た絵本の王様と一緒だ。皆騙されている。
歩道橋の上で一人の女とすれ違った。女にしては背が高い、それなのに病気なのかと疑ってしまうほど線が細い、色も白い。幽霊を連想させるような不気味さだ。反対に、その女には派手すぎる目に刺さるほどの赤い服、ゆらゆら揺れる赤く長い髪に、何故だか無性に腹が立った。
その女の手元をよく見れば、こいつも見えない鞄を持っている。ストレスが膨らんでいく原因はそれかもしれない。
歩道橋は狭いが人間二人が通るスペースはぎりぎりある。しかし大きな鞄を持っていればそれはぶつかってしまうだろう。そうに違いない。
言い掛かりはそれで充分。
むしゃくしゃする俺は女に怒鳴り付けた。「いってぇーなぁ! なに邪魔くせぇモン持ち歩いてんだ!?」と。
俺は見えない鞄に当たったふりをした。このストレスを発散するだけのために。
女は逃げもせず、鞄を持ったまま、つまらなさそうな顔で俺を見返した。
その表情で更に怒りが増した俺は、一息で距離を詰め固く握った両こぶしを女の頭に振り下ろす。手加減は多少したものの気絶は免れない威力のはずだった。
一撃を喰らった女はぴくりとも動かない。俺は自分の腕を疑った。女は動かない。倒れすらしない。俺のこぶしを頭の上に乗っけたまま、さっきと同じ顔で俺を見ている。
「あなた……この程度なのね」
女が呆れたように言葉をこぼした。
それを聞いて黙っているわけにはいかない。俺は口を閉じて横から女の顔を殴った。今度は手加減なしだ。その勢いのまま床に殴り倒そうとしたのに、女の顔を殴った握りこぶしはそれ以上動かなかった。どんなに力を入れても女はびくともしない。
ならば、と腹に狙いを定め蹴り飛ばそうとしても、足が女に触れた瞬間に力が入らなくなる。
攻撃が効かないなんて、こんな変な出来事は今までなかった。授業に置いていかれた中二の夏から、喧嘩だけは負けたことがなかった。引き分けもなかった。勝ちしかなかった。勝利だけが俺のストレス解消法だった。それなのに。女に勝てないなんてことがあっていい訳がない。女なんかに勝てなかったらその怒りは誰にぶつければいい? それはこの女しかいないだろう。俺が勝てない相手がいて良い訳がない!
「うおおおおおおおおおおおおおああああああああああああああああ!!!!!!!!!」
殴る殴る殴る殴る殴る蹴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る止める頭突き殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る蹴る殴る蹴る蹴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る。
女の赤い服が風圧で靡くたび、意図せず攻撃に籠める力が強くなっていった。
それでも女は倒れない。何時間か経ち、流石にこれは異常だと思い始めた。一撃喰らえば病院送りどころじゃない、命が絶てるほどの攻撃を、この女は何発直撃しても平気で立っている。普通に考えて一般人が一撃必殺のパンチを繰り出せるわけがない。今までの俺が異常だったのかもしれない。しかし俺がこれまで喧嘩常勝だったのは事実だ、だから力は存在していた、けれども今、その力は消えてしまった。
俺は女を殴るのをやめた。
神かなんだか知らないが気まぐれに勝手に力を与えて、気まぐれに勝手に力を奪っていく。そんな者が存在するのなら、目の前にいるこの女以上にむしゃくしゃするじゃないか。
気付くと右腕を歩道橋の手すりの上に振り下ろしていた。鈍い音と共にじんわりとした熱が掌に広がる。手すりはひん曲がっていた。力はまだ失っていなかった。
「私を壊せないからって別の物にやつあたり? イヤだなー、暴力ばっかりの男って」
女の見下す目。
「確認しただけだ! 黙れ!!」
女の喉にこぶしを突き刺す。やはり女は全く動じず、にやりと笑った。
「ほら。あなたにお客さんみたいよ」
女の言う通り、フライパンやバットを持った男たちが歩道橋の階段を両側から駆け上がってきていた。こいつら全員殴れたら気分いいだろうなとか頭をよぎった。
いつの間にか大事になっていたらしい。カメラも何台か設置されてこっちを向いている。
「これだけ大勢を相手にどうするのかな?」
にやにやしながら女は言った。
女の言うとおり、この人数は問題だった。別に俺が負けるとかそういうわけではない。女もそれはわかっているんだろう。問題はこいつらを全員潰した俺がどうなるかってことだ。当然警察に捕まるだろう。逃げても指名手配されるかもしれない。カメラも回っているのだから全国に俺の顔が知られてしまう。逃げ様がない。それなら誰も傷つけていないうちに逃げようか。そう思って手すりの下を覗く。歩道橋をかけるくらいなのだから、下の道路は絶え間なく車が走っていて、飛び降りることはできそうになかった。
俺を捕まえようとする集団はもうすぐにでも攻撃開始できる位置まで来ている。こいつらにボコられて捕まるか、こいつらをボコって捕まるか、この二択しかないないなら少しでも多くの奴を殴った方が得だろう。
腰を落としていつでも反撃ができるように構える。
武器を持った集団の中から男が一人飛び出して来た。他と違い丸腰だった。
飛び出して来たその男の顔を右こぶしで殴る。男はそれを避けた。まさかとは思い左こぶしを振るうも避けられ、蹴りも避けられた。今日はいったいなんなんだ、俺の攻撃が全く効かない女に、俺の攻撃が当たらない男まで出てきやがる。
男は俺と女の間に位置取ると声高々に叫んだ。
「この騒ぎの原因は俺にある! 今すぐにこの争いをやめてくれないか!!」
女は鞄を持ったままその男の股間を蹴り上げた。
「じゃま」
むしゃくしゃしていた俺の怒りも一気に冷め鳥肌が全身に浮き出した。
目の前の男は泡を吹いて倒れた。
暴力のはなし 終




