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図書館に出会いを求めるのは

作者: ありか

図書館での出会いは運命的でなくてはいけない。

これは世界の、暗黙のルールである。

マーライオンが水を吐き出すように、モアイが海の向こうを見つめるように、図書館では運命的な出会いがもたらされる。

文学というものの魅力を君は知っているだろうか。

たかが文字の羅列が、僕らの心をどこか遠くへひきつけてくれる。

そこは見たこともない、たった一人の世界。

一冊の本をたった一言で表すことができないように、その世界の前にはどんな言葉も意味を成さない。

だからこそ、文学は文字を基調としている。

言葉を使って、言葉では表せない世界を形容する。

言葉は、僕と君とを引き寄せる。

そして僕らには、言葉はいらないものとなる。

そんな運命的な出会いの一つは、図書館からもたらされる。


ふわりと図書館のカーテンが揺れる。僕の左手はページがめくられてしまわないように、小さく紙の隅に添えられる。

気の遠くなるような量の文字のカーニバル。

そんなたくさんのかけらが僕の目に入り、ゆっくりと過去へ消えていく。

パタン、本を閉じる音がする。

斜め向かいに座る女の子―――制服がどこかまだ初々しい、しかし図書館には似合う、あるいは図書館の景色の一部のようなその少女は目を瞑って物語の余韻に浸っていた。

ふと、目が合った。

いつの間にか少女は現実に戻ってきていた。

僕はなんだか悪い気がして、慌てて本の世界に視線を戻した。

僕の運命はきっと、この程度だ。


授業開始のチャイムが鳴った。

チャイム開始と同時に教室に向かうなんて悪い気がしたが、遅れてくる先生が悪いので、と僕は悪びれることなく席を立った。

その少女はもういなかった。

僕は教室に向かう足取りの中、その子を思い浮かべた。

残念ながら、思い出せるのは本の表紙が黄色かったということだけであった。


黒板に数字のない数式が次々と現れては消えていく。

そんな授業は決まって退屈で、僕は空を見つめるか眠っていた。

僕はもう、この世界には「期待していない」。

少年のころは、未来は夢に満ちていた。

消防士にあこがれた。

ワールドカップに出たかった。

ノーベル賞か、芥川賞がほしかった。

東京大学に入りたかった。

きれいな女の子をお嫁さんにもらいたかった。

しかし時の流れは残酷で、自分の虚弱さに消防士やスポーツ選手になる夢は消えていき、自分の才能のなさにこうして普通の進学校に満足し、自分の思いやりのなさに僕は一人で空を見上げる。

そして自分のやる気のなさに、世界のすべてを否定できるような溜息をついた。

年をとることできっとやること、やれることは増えていく。夜遅くまで外で遊べるようになって、結婚できるようになって、お酒を飲めるようになって。そして微分積分をしなくちゃいけなくなって、選挙にいって自分の意見を示さなくちゃいけなくなって、働かなきゃいけなくなって、結婚しなくちゃいけなくなる。

年を取るということは自分の規制を解除しながら、可能性を排除することである。あるいは、自分を無個性にしていくこと。

授業は膨大な宿題を残して幕を閉じる。

僕は教科書の入っていない軽い鞄を持ち上げ、一番目に教室を後にした。


玄関を出るとふわりと甘い匂いに包まれた。近くにピンク色の花がいくつか咲いていた。名前は知らなかった。

きっと今、自分の目は曇っている。

何も見えていないからである。

正しくは、見なくてはいけないもの―――向かってくる車や障害物、明日提出の課題、空腹感。そういった類のものしか見ていない。

明るい未来、とか楽しい放課後、という想像上の概念が見えないのだ。


家に帰り、ベッドに寝転がる。そばに積まれていた本を無造作に手に取り読み始める。

何もすることがないときは、なるべく本を読むことにしている。

僕の知らない、経験し得ない世界を見るため。

僕と違って自分の可能性を信じて、成功した人のお話。

魔法で姫を救って、キスをしてもらうお話。

最後の最後に努力したものが勝利する、野球のお話。

空から降ってきた女の子といい感じになるお話。

世界は理不尽で、愛に満ちている。

「生きる」ということは前向きな言葉である。

しかし実際はゆっくりと死に近づいているだけである。

生きる意味を考えたところで何も始まらない。

始まらないからこそ、僕は明日を想う。

いつかきっと、僕の夢はかなう。

魔法で姫を救えるはずの未来。

努力が報われる未来。

空から女の子が降ってくる未来。

そして、図書館で運命的な出会いがもたらされる明日。

「いつか」を言い訳にして、僕は生きていかなくてはいけない。

言い訳なしでは足取りが重すぎて、坂をのぼることは難しい。

だから数メートル先に、小さなゴールを設ける。

そのゴールの一つに僕は夜ご飯を思い浮かべた。

今日のごはんはなんだろう。

こうすることで少なくとも、夜ご飯の時間までは死ななくて済むのだ。


次の日の図書館にもあの子はいた。

昨日とは違う表紙の本を、昨日と同じ席で読んでいる。

きっと、君は僕に声をかけてくれる。

そして徐々に仲良くなっていく。

遠い未来、あるいは来週に、君は木陰で僕にこう囁く。

好きです、と。

そう、運命的な出会い。運命の始まり。

しかし、運命は意外と照れ屋さんである。

彼女は本の世界から視線を外さない。

まるで僕なんてこの世界には存在していないように。

もしくは、本の世界のほうが彼女にとっては現実なのであろう。

僕が君との運命を妄想している間にもページはめくられ、世界は広がり、昼の時間は過ぎていく。

くだらない、僕は聞こえないようにため息をついた。

世界はなんにも面白くない。

運命は、僕に心地よい嘘をついて過ぎ去って行った。


チャイムが鳴った時、顔を上げるとその子はまだそこにいた。

まるでチャイムが聞こえてないようだった。

声をかけたほうがいいのだろうか。本当に聞こえてないのかもしれない。

ぺらっと、小さな音を立てて彼女はページをめくる。

その細くて美しい指に、僕は声をかけてしまう。

「チャイムなったよ」

我ながら、なんとも不親切でぶっきらぼうなセリフ。

彼女はぴくっと目覚めた。

それから彼女は言い訳を考え始めた。

少しばかりの沈黙の後、彼女は答えた。

「次の時間は、読書です」

僕は迷った。

そうですか、あるいはそんな授業あるんですか。

もしくは、なんでやねん。

正しい回答が見つからず、僕も言い訳を考えた。

「僕も」

僕はあきらめて本の世界に目を戻した。

僕が次の時間受けるべき授業は物理だった。

でも、次の時間は「読書」になった。

彼女はきっと今の短い会話を過去のものにして、また本を読み始めた。

世界に再び訪れた静寂。

主人公が、絶対に成功しないような告白を放課後の屋上で叫び、見事に失恋した。


チャイムが鳴った。「読書」の時間、終わり。

僕は次の授業が体育であることを思い出し、席を立つ。

「さぼりですね」

彼女が唐突に呟いた。

「君もね」

僕は軽く笑った。

運命は思ったより小さかった。


やめてくれと頼んでもお構いなしな日差しが真夏のグラウンドに落ちてくる。

たった一つのボールを22人で追っかける競技。

僕はそのうちの一人であることに嫌気がさす。

このフィールドの主人公はボールだけ。

僕らもただの「景色」でしかない。

土埃も、ゴールの六角形のネットも、吹き抜ける風も。

ボールを中心に世界が回る。

僕らは脇役でしかない。

きっとこれが世界の真理。

すべての生命も、僕も君も「歴史」という名のサッカーボールの脇役に過ぎない。

生まれて、愛して、傷つけて、殺して、死ぬ。

それだけのライフ。

起きて、食べて、歩いて、嘘ついて、お風呂に入って、寝る。

それだけのエブリディ。

想って、希って、絶望して。

それだけの、それだけの一瞬。

それだけの一瞬を愛するために、僕は明日を生きる。


次の日も、また次の日も、彼女の姿は図書館にはなかった。

運命がきっと、彼女を連れ去ったのだ。

思い描いた美しい放課後も、流れる景色も、きっともう訪れない。

僕は直感していた。

もう彼女には逢えないことを。

そう、図書館での出会いは運命的であった。


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