-3- 悪魔と剣
守ろうとする手が、酷く優しかった。
イアルが顔を出した場所は、運悪くその集団の目の前だった。
真っ先にこちらに気付いたのは、体ごと向かい合っている少女で、次の瞬間には、少女に向いていた顔をこちらに向けた悪魔や動物たちとも目が合った。
この時は、両者とも状況がよく分かっていなかった。しかし、イアルの背後でまた草木ががさがさと擦れる音がして、レイがタイミング悪く姿を現したことから、静寂が脆く崩れ去る。
悪魔の顔が歪む。醜く歪む。
『うがああああああああ』
『人間! 人間!』
『去れ! 人、去れ!!』
毛が逆立ち、暗い空気が溢れ出す。
いつの間にか、少女や動物たちはどこかへ消え、残るのは数十匹の悪魔たちと人間二人。
イアルからは笑みが消え、レイは突然起こった異変に狼狽えている。
「どういうことですか、イアル様!」
「どうやら、こいつらは悪魔らしい」
「そんなことは言われずとも知っていますが!?」
「なら、一体何を疑問に思っているんだ?」
「なぜこんないきなり怒っているのだということです!!」
「ああ、そこか」
姿をおぞましいものに変えた悪魔がにじり寄ってくる。回りを囲まれて、四方八方姿形それぞれな悪魔に睨み付けられて竦み上がった。
二人は背中合わせになり、それぞれ剣を構えた。レイの剣は短剣、イアルの剣は片手直剣。どちらも装飾美しく、刀身は磨かれて綺麗だ。
「俺たちが魔女の唄を止めてしまったからじゃないか?」
「はい!?」
突如襲いかかってきた悪魔を、寸分の狂いもなく斬り払う。その一匹を皮切りに、数匹の悪魔がまとめて飛びかかる。
短剣を逆手に構えたレイも、鞘を受け止めるのに使うイアルも、着実に悪魔を倒していく。
「…っ、切りがないな」
「そもそも数で負けてるんですから、体力勝負に持ち込まれて勝てるわけがないんです、よっ」
「はは、それもそうか」
場に似合わずほだらかに笑い、襲いかかろうとしていた悪魔を返す刃で払い、一瞬の隙を作る。
「ボスを探してくる」
「………、しっかり取ってきてくださいよ」
「了解」
猿のような姿をした悪魔を踏み台に、イアルが跳ぶ。見上げる悪魔の顔には驚愕が浮かんでいる。それもそうだ。彼の跳躍は人の域を越えていた。
人間約二人分の高さを跳んだイアルは、猫のように音もたてず着地し、呆気にとられる悪魔たちに、にやりと笑みを見せた。
彼の地味な服は、悪魔の返り血で染まっている。改めて剣を構えると、真正面にいた、人形の悪魔に剣先を突き付けた。
「主はいるのか? 指示を出しているのは?」
訊ねると、相手は口角を限界まで上げて意地の悪い笑みを浮かべ、小馬鹿にしたような笑い声を上げた。
『主? 指示? 馬鹿なことを。悪魔は権力に従わん。我らは力に怯えない。人とは違うのだ!』
「ならなぜ、俺たちを狙う?」
すると笑いを収め、歯をぎりぎりと食い縛り、怒りを露にした。
その形相に狼狽える。
『我らの魔女を見た人間よ! 森からは逃がさん! ここで殺すっ!!』
「魔女? やはりあの子が……」
『黙れ! 魔女は我らのもの、おまえたちにはやらん!!』
言葉とともに飛びかかってきた悪魔。その顔には明確な怒りがあった。人に向けた、紛れもない怒りが。
なぜ、とイアルは思う。剣で尖った爪から身を守りながら、疑問を深める。
――――彼ら悪魔は、人から魔女を守ろうとしている。
おかしい。本来悪魔は人と馴れ合うことはなく、無闇矢鱈に人を襲ったりはしない。多くは人に無関心なものだからだ。しかし、ここにいる悪魔は"魔女"を守るために彼らを襲っている。
魔女。やはり……、やはりここへ来たのは正解だった。
思わず笑みを浮かべてしまう。悪魔が怯んだ隙に剣を払い、間髪入れず声を張り上げる。
「魔女に告げる! 俺はレアルド王国第二王子、イアル・アセルダ・レアルド。あなたに頼みがあってここへ来た」
『おまえ、よくも…!』
「ともかく姿を見せてくれ。危害は加えない。約束する」
その時、草木が揺れた。風も吹いていないのに。
悪魔たちが動きを止めた。驚いているうちに、一匹が空を見上げ目を細めた。そして何故か膝を付き、爪を下ろす。
その一匹を皮切りに、全ての悪魔が膝を付き、頭を垂れた。
少し向こうで、同じように驚いているレイと目が合う。苦笑を向けると顔をしかめられた。
『いいのか、メル…』
一匹が下を向いたまま、呟くように訊ねた。
突如風が吹いて、イアルの目の前で空気がうねった。そのままの勢いで空気のうねりは舞い上がり、小さな竜巻のようになる。
そのうねりの中から、真っ黒な物体が現れた。それが人形だと気付いた時には、それは目の前にはいなくなり、悪魔たちの中心にいた。
『メル…』
『魔女よ…』
悪魔たちが申し訳ないと言うように、呼ぶ名が、探していた人物であると教えてくれた。
そして魔女が口を開く。
「いいんだよ、大丈夫。大丈夫だから、今はお帰り」
『しかし、』
「危険があったらすぐ呼ぶから。これ以上、傷付く君たちを見たくないんだよ。……早くお帰り。唄の続きはまた今度にしよう」
悪魔たちはお互いの顔を見合わせると、すっと立ち上がって、次々と姿を消した。傷を負った者も全ていなくなると、レイがイアルの元に駆け寄ってきた。
どちらも血塗れで、レイの腕には切り傷があった。それを見たイアルは顔をしかめたが、レイの機嫌が最悪に悪そうだったので何も言わなかった。
イアルが指摘するまでもなく、レイは自分でしっかり止血していた。
視線を真っ黒なローブを着た魔女に戻す。そしてからからに渇いた喉を意識しながら、声をかけた。
「君が魔女、なのか?」
振り返ってこちらを見た彼女の容姿に目が奪われた。
髪はローブよりも深い黒。それに反して、雪のように白い肌。ふっくらとした唇とすっと通った鼻筋。そして何より目を惹かれるのは、長い睫に囲まれた、あまりにも綺麗な、紫の大きな瞳だった。
彼女は微かに微笑み、体ごとこちらに向けた。
「森の魔女、メル・イグラティアです。お見知りおきを、イアル殿下」