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 僕の暮らしは、表面上、なにも変化なく経過していった。仕事にはきっちり時間を守って通っていたし、家での様子もどこか変化が生じたところはなかった。毎日、定められたルーチンワークにのっとって一個もはずれないようにつつがなくこなしていった。それは、僕の得意とするところである。変化のない生活を、いかに変事を起こすことなく、説明書どおりの積み木をつみあげる作業に従事する、規格にかなった形を最高の美として崇拝する没個性の生活こそ最も尊いのだ。それが、僕が受けてきた人生教育であった。 


 僕には、好きなことはなかった。やりたいことも、これといってない。食べ物も、好き嫌いはない。どれを食べても、おいしいとか、まずいとかはなく、どれも同じ味に思えた。何をしていても、歌や運動とか、僕が心の底から楽しいと思ったものはなかった。勉強も、面倒くさい。学生のころは、それが順守する規則であったから命令に従ってやっていただけで、その義務がない身となったら、自分から学びたいとは思わない。体を動かす義務がなきゃしないし、頭を働かす必要がない時には頭も使いたくなかった。


 僕は無駄なことをしたくない。たとえば、テレビゲームをして自分から目を疲れさすのはしたくないし、歌唱で喉を痛めるのもいやだ。日に当たって日焼けや偏頭痛を起こすのもいやだし、夜に出かけて事故に巻き込まれるのも遠慮したい。園芸をして、手を泥や土中のバクテリアに汚されたくない。動物は苦手だ。やつらはうるさく、汚い。植物も苦手だ、やつらは僕とは無関係に芽生えて、勝手に枯れる。他人と関係して、気分を良くしたり悪くしたり、それらにいちいち煩わされたくない。僕は、愛情も、憎悪も、苦手だ。どっちも持つには疲れる。人を愛したくない。憎みたくない。悲しみを覚えたくない。嬉しさも楽しさも、無用だ。感情の介しない平坦な荒野こそ僕の居場所だ。どこまでもつまらない、何もない世界が僕の衣食住の場なのだ。


 休みの日、僕のすることは決まっている。自室にこもって、起き上がらないことだ。日がな一日、天井や壁だけを見つめて過ごすのだ。僕の部屋には、ベッドと、タンスと、何も乗っていない机しかない。窓はあるけれど、昼でもカーテンは開けない。僕はそこで何もせず過ごす。眠いのではない。どんなに暇な日でも、朝の七時には目を覚ましている。居間に行けば母が食事を用意している。それを食べて、テレビも見ず、僕はまたすぐさま、部屋にもどっていく。ベットに身を投げて、あとは時々寝返りをうつ以外、何もしない。何も考えない。考えないようにする。思考の星空にフィルターを施し、自分と思考を分ける。身体の各部から刺激信号を受けると、想像や記憶が自動的に作動して無作為に像を結ぶのだが、その無用な運動と僕とは何も関係ないよいうように、無視を続ける。そうしていると脳内の運動はやがて終息し、眠りの中にも似た覚醒時の静寂が訪れる。いつのまにか眠っていることもある。気づくのはふと目が覚めたときだ。夢を見ていたような気がするが、記憶には残っていない。やがて、また浅いに眠りにつく。それを繰り返す。僕を悩ますものは何もない。脳が麻痺したように霧がかかり、視界その他の感覚器は働きをやめている。神経がささくれ立つことはなく、冬の夜のようにおごそかに口をつぐんでいる。

 そうしていると、時計の針は右から左にふれ、朝日は夕日になる。休日は終わり、翌日から仕事をしにいく。これが、僕の生活だ。


 だが、最近、僕に新しい習慣ができた。休みの日、以前は僕の過ごし方はもう述べたとおりだが、最近は頻繁に外に出かけていく。どこに行くかは知れたこと。当然、あのビルだ。屋上まで長い階段をのぼりつないで、彼女に会いに行くのだ。彼女は、いつに行っても必ずいた。普段、何をしているのかは聞かないことにした。行けば絶対に会えると彼女の存在がとても大切になっていた。そこで僕は、彼女のそばに寄り添って、少なからぬ時間を過ごす。まるで、長年来の親友とのように話すことは尽きなかった。話し下手の僕が退屈もせずにいられたのは、全編ひとえに彼女のおかげであった。教養があり、含蓄が深く、彼女の態度と物腰にはたしかな気品と知性が込められていた。言葉の端々には何にも揺らがない芯のある信念があり、どんな論難の敵にも屈服することはないと思われた。彼女の話にはいちいち納得することがあり、僕はうんうんと頷いてばかりだった。


 彼女はよくこう言った。


「私は自殺するために生きています。」 


「自殺するため?」


「はい。それが私の全目標なのです。」


 ならば、なぜ、早くその目標を果さないのだろう、と首を傾げたくなったが、心の中で思うだけにとどめた。それを口にすることははばかれるべきだと感じたのだ。


 僕は、飽きもせず、彼女のもとを訪れた。前のように死にたいという気持ちは影をひそめてしまったが、彼女と過ごしたい気持ちはどんどんつのっていった。彼女のほうでも僕を心中に誘うことはしなかった。そうしている間の僕らは、傍目にはとても自殺志願者とは映らないだろう。仲の良い友人か、はたまた・・・・・・こんな不遜は許されないか・・・・・恋人・・・・・・のようだっただろう。


 月日は流れた。


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