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 錆びついた扉がギイ、と音を立てると、前とおなじ冷たい風が強くふきつけてきた。


「こんには。言ったとおりになりましたね」


 彼女は、屋上の縁べりに腰をおろし、優雅にも手をふともものうえに重ね合わせ、泰然自若、ゆったりと声をかけてきた。


「やっと決心がついたのですか? 今度はもう引き返さないように?」


「僕は・・・・・・生きるべきでしょうか? それとも・・・・・・もう良い時期なんですかね?」


「そうですね・・・・・・・・・あなたはまだ生きるべきでしょうね」


 僕は不思議な気持ちになって彼女をみつめた。彼女は、まちがえなくこの前のように自殺をすすめるか、自分で考えろと突き放すかすると思っていたからだ。


 出入り口でかたまっていると、彼女は立ち上がり、一歩一歩、歩み寄ってきた。自然と、僕の足も前に出る。


「どうして・・・・・どうしてそう思うのですか?」


「あなたが、迷っているからですよ。時期の来た人間に、そんな甘いこと・・・・・・選択の余地なんてものはないのです。」


 静かに、まっすぐに、視線をそらさない瞳。ふきつく風でパッ、パッと髪の毛が舞い上がる。


「あの・・・・・・あの時の言葉は・・・・・その、本当なのですか? ・・・・・あの、いっしょに、という・・・」


 自信がなく、途切れ途切れの言葉が口からもれる。


「はい、本当ですよ。あなたが望むのなら、いますぐでも構いません」


 細く、長い指を一本立てて、彼女は横手に向ける。その先には虚空だけが満ちている。


「あの・・・・・・でも、どうして? 君と、僕は、全然・・・・」


「全然関係ない人間ですね。少なくとも、私はあなたを知りませんでした。」


「そうです。僕もです。・・・・・だから、なんで、僕と死のうだなんて・・・・・」


「誰でもいいのですよ。」


 素っ気ない言い方だった。いや、それは彼女の本心なのかもしれない。


「誰でも?」


「そう。私は、死のうとしてきました。今でも、そうです。ここに死にに来ています。」


「・・・・・以前も、そう言っていましたよ」


「はい。あなたと初めて会ったあの時も、私はここに死にに来ていました。」


 そう言って、生き身の彼女は、こともなげに告白する。彼女の言葉とは裏腹に、いまだに生きているのを考えると、ある考えに行き着いた。


 彼女は、僕の、同類?


「残念ながら、ちがいますね」


 僕の心理を読み取ったように彼女は言った。


「あなたは、どっちにしようか迷いに迷って、どっちつかずにまごついている。ぶざまな死にたがり人間です。」


 彼女は辛辣な言い方で僕という人間を評した。


「対して、私はちがいます。本物なんですよ。」


 本物。その自分の言葉を彼女は自信をもって言い放った。自分の言葉に、絶対の信用と効力をいだいている人間だけの出せる重みであった。だが、彼女の発言は自ずから、彼女の現状と矛盾している。


 だが、そのことは指摘しなかった。この前のような言い争いは、今、僕は望んでいないのである。


「ここのことが・・・・・・君のことが頭からはなれなかった。何をしていても、まるで無視できない大事なことのように、考えてしまうんだ。でも、変なんだけど、僕はそれを考えると、気分はよくなってくるんだ。どうしてだろうね? 死ぬことを考えると、気が休まるなんて。」


「うそ」


 鋭く、彼女は、鋭く僕をさえぎった。


「どうか、愚かな誤りに気づいてください。あなたは、死というものをわかっていない。あなたの言う、慰めというのは、単なる現実逃避に端を発する、ぼんやりとした空想ですよ。死ねば楽になるという安易な発想に過ぎません。」


「それのどこがいけないのですか? 自殺者なんておおむね逃避者と変らないでしょう?」


「たしかに、それは否定しません。彼らは、何らかの出来事から逃げてきた者です。しかし、彼らは同時に、挑戦者、闘争者でもありました。戦い、立ち向かい、敗れた、挫折者なのです。それと比べて、あなたは本当の意味で逃走者ですね。大変なことから目を背け、楽な方へ、楽な方へと流れてきた怠け者ですね。そして、最後に、あなたはきっと、死という一番怖いことからも逃げるでしょうね。」


「僕は・・・・・・・悩んでいるし・・・・・・つらい・・・・・・本当だ。そんな僕は・・・・・・でも、たしかに・・・・・・最後のふんぎりさえつけられない」


「あなたは、死ねないでしょうね。その判断さえつけられない。」


「でも・・・・・・だからこそ、君が必要なんだ。君がもし、僕の同行者になってくれるなら、僕は逃げられなくなるかもしれないんだ。」


「それは無理ですよ。あなたという人間は、どこまでも利己に固執する。必ず、直前で引き返してしまうでしょう。」


 まるで、僕のことは理解しきっているような口ぶりだ。だが、彼女に言われると腹は立たなかった。彼女は、僕の仲間のような気がしたし、馬鹿にも、軽蔑もしていないと感じたからだ。


「君の言うとおり・・・・・・僕も、自分がそんなような気がする。・・・・・愚かな空想者だ。」


「死から逃れられるというのは素晴らしいことです。死から眼を背けられる権利を持っているのなら、それが切れるまで使い尽くせばよいのです。いずれ、いやがおうにもやってくるその時期まで」


 二十階の、屋上に佇む女性は、周囲を高度の空間に断絶された孤高の虚空を居城とする女主おんなあるじとして威厳をもち言い渡した。


 枯れていた僕の心があたたかく充足していくようだった。彼女の口は命の泉として僕に不足していたものを飲ませてくれたのだ。


「また、来てもいいですか? ここにくると、なんだか心地が良いのです。」


「ええ、いいですよ。いつか、あなたの決心がかたまるまで、私は待っていますから。」


「先に行ったりしませんか?」


「ええ、決めました。私は、あなたを置いていきません」


 彼女は片手をさし出した。僕はその手をにぎった。その白い手は、ひんやりとしていた。

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